神奈川月記9805

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切った張ったの積極的な治療行為ではないけれども,気管支に内視鏡を入れるのを3度やっている。胃カメラと言ったほうがイメイジしやすいのかな。先端にカメラとマジックハンドの付いた直径1cm?のチューブである。日本の発明である。これを気管支の奥深く,肺胞に届けと挿入する。カメラを通すのはともかくカメラマンと照明さんを飲みこむのが大変である。
カメラだけでも喉に突っ込めば咳反射で咽るに決まっている。局部麻酔は必須だ。病室で術前の処置があり,処置室(手術室?)にストレッチャ(キャスタ付きの移送専用ベッド)で運ばれて料理されたあと意識半濁で帰ってくるくらいのインパクトはあるのだ。
これ,本人は固より家族の同意の必要な医療行為なのである。やって良いよと文書で残さないと行なわれないん。

ストレッチャまづ病室で処置服に着替えてストレッチャに乗ると──自分で乗る──おしりに筋肉注射(予備麻酔?)を打たれる。
それから毛布にくるまれ看護婦さんにストレッチャを押してもらって処置室へ行くのであるが,おれの場合は11階から1階まで延延廊下を通ってエレヴェイタで降りてまた廊下を渡ってと,外の患者や外来・見舞い客の闊歩する中を割って進む。まだ意識がはっきりくっきり平常なので大袈裟に思われちと恥ずかしい。
処置室に着いたら──ここが間抜けなところであるが──自分でストレッチャを降りて椅子に座る。喉への本格的な麻酔はうがいでするのだ。じゃストレッチャでなくても良かったんじゃん。でも帰りは麻酔が効いてるからね。それでも行きは歩きで良かったのでは。看護婦さん,重そうだぜ。
さて麻酔に掛かる。粘度の高いシロップを口に垂らし,恐ろしい苦みに噴出する唾液で希釈してがらがらがらとうがいする。がらがらがらとうがいする。がらがらがらとうがいする。がらがらがらとうがいしてぺっと吐いたら,口内と喉ちんこの辺りまでは半殺しの目に遭っている。麻酔成分の外に筋肉疲労も手伝っているだろう。
気管から肺の中までは麻酔液の霧吹きを吸い込んで麻痺させる。吸ーぅ吐ー吸ーぅ吐ーとこちらが調子を取るのに合わせて麻酔医がジャッとポンプを打つのだ。もの凄い刺戟が粘膜を強襲するので,わずかでもタイミングがずれると果てしなく咳込む。医者の巧拙で明暗のはっきり分かれる場面である。填まると,熟達の餅つきの杵と捏ね手のようにほいほい進む。
ここまででもう半分以上涙ぐんでいる。どんな短い時間でうまく行っても,麻酔薬のまずさと刺戟・痺れによって声を出すのも面倒な気持ちになり,ココロがあうーで満たされたころ処置室の寝台によじ登る。
仰向けに寝て,目隠し・心電図の電極・右手首に点滴・鼻酸素の各アイテムが配置されたら準備完了。あがががががと内視鏡が口から挿入される。目隠しされているので判らないが,客観的に見てたぶんメカペニスとロリータという感じだろう。何でや。

内視鏡を入れるには目的がある。

  1. 肺胞組織をむしって生検に出す。
  2. 患部を観察する。
  3. 患部を洗浄する。

洗浄するというのは,本当に生理食塩水を肺臓にぶちまけてその区画を水浸しにし,次いでポンプで吸引するのである。BAL(Brancho Alveolar Lavage)という手法だ。
これはおれからすれば正に溺れている状態である。事実として肺に浸水するほどの水難に遭ったことはないけれども,実際プールや海に潜ったまま息を吸おうとしてパニクった際の感覚が全身に蘇った。肺はいくつかの小袋の集合体であるからひと袋が水没しても呼吸を留めてしまうことはない。しかし溺死の恐怖はじゅうぶん味わえる。咳反射も盛大に起きる。
映画『アビス』だったかね,深深海へダイヴするのに肺呼吸できる特殊液で肺を満たすシーンがあったけれど,初めて試すにはそうとう勇気が要るだろうね。目の前で誰かヒトがやって見せてくれないと,とてもやる気は起きない。

観察するったって,当のおれはマグロであはーんと言っているだけであり,内視鏡の映しだすめくるめく映像が見られるわけではない。胃の検査だったら医者と一所にモニタを観て,カットバックがどうのパンが遅いのこうの幽門ナメで十二指腸の表情撮ってとか言えるのかな。きれいなピンクだったら良いけれど,しろうと目にも荒れてるような粘膜だったら絶望して進行するだろな。

ストレッチャ2この後の記憶は曖昧になる。BALの途中で気絶するのか麻酔が最高潮に達するのだろうか。
もう少しですよとお医者の励ます声が聞こえる。再びストレッチャに移されて廊下を渡ってエレヴェイタを上がってまた廊下を通って病室に戻り,看護婦さん4・5人でえいやとベッドに横たえてもらう。この間の経過や光景をぼんやりと憶えてはいるが時間の感覚が希薄である。いきなり思ひ出になっているみたいな妙な気分。
鼻酸素を病室の壁から採りなおし,点滴は継続である。尿道カテーテルまではやっていないから尿瓶を置いておいてもらう。数時間で麻酔は切れるのだが安静度がひとつ上がり,ちょっとは病人らしく見えるようになる。

さぁ内視鏡とBALでえらいことが判った。
BALの廃水には剥離した細胞や死に細胞・ごみ・膿が混じっている。適当にサンプリングして培養すれば,あーら不思議,か・黴が生えたそうである。えーっ,そうなん。
レントゲンで10年来陰となっていた部位(左中ほどの区画「舌区」)は,そこに至る葉気管支が腫れて殆ど塞がっており,隙間から膿が滲みだしていようかと言う有り様らしい。
なるへそくん。血流から抗生物質なぞの支援を頼んで肺の中の細菌や黴を殺しても,その膿を排出するルートが断たれていてはいつまでもぐずるわけである。すると何かい,医者の言う10年爆弾かかえ説が正しいってのかい。嘘ん。

これで治療方針が明確になる。入院1箇月目にして治療が始まったと言える。

  1. 副腎皮質ホルモンの投与で特定黴を狙い撃ちする。
  2. 気管支拡張剤の吸入で葉気管支までおっ広げる。

舌区上は日常の内科的アプロウチであるが,外科的手法として3回目の内視鏡のときバルーンを使っている。
舌区を孤立させている葉気管支にファイバをこじ入れ,中で風船を膨らませるのだ。葉気管支は外壁の軟骨を軋ませながらも広がり,膿の排出口(本来は気道である)が確保される。
すぐにまた塞がってしまうかもしれない。しかしやってみる価値はあろう。

こうしたバルーンの使い方は,元もと血栓やコレステロールで狭隘した血管を広げるためのテクなのだそうだ。だから気管支に使うのは保険の適用外かもしれず──おれは当然保険治療であって,ある術式だけ保険外のものを受けるというようなオプション的トッピング的選択肢は無い。All保険内かAll保険外(自己負担)か,二者択一なんだって──ひょっとしたら実行できないと事前に説明をされていた。
主治医の努力が奏効し,保険が通ってバルーンが使えた。もしこれが駄目なら──実行しても快方に向かわないようなら──あとは本当に外科手術を以て,病んだ舌区を切除してしまう外ないのである。切除前にやれることがあって,それがやれたということにもいくつかの僥倖の積み重ねがあると知れる。
バルーンでこじ開けた気管支からは,とろり膿が流れたそうである。

1998年8月22日(文中は1998年5月)


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カメラを通すのはともかくカメラマンと照明さんを飲みこむのが大変
 島田洋七(B&Bの太ったほう)のギャグ最高傑作。

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 山根青鬼・赤鬼のマンガ。

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written by nii. n