藤原義孝 ふじわらのよしたか 天暦八〜天延二(954-974) 通称:後少将・夕少将

一条摂政伊尹の三男(四男とも)。母は恵子女王。冷泉天皇の女御懐子は同母の姉。源保光女を娶り、一男行成をもうけた。
侍従・左兵衛佐を経て、天禄二年(971)、右少将。同三年、正五位下。天延二年、疱瘡に罹り、九月十六日、朝に亡くなった兄挙賢(たかかた)に続き、夕に亡くなった。享年二十一。美貌で道心深かったことは、『大鏡』『栄花物語』などの逸話に窺われる。その生涯は『今昔物語』などにも説話化された。死後、近親や知友の夢に現れて歌を詠んだことも記録されている。
清原元輔源順・源延光ら歌人との交流が知られる。家集『義孝集』がある。また日記一巻があったというが、伝存しない。拾遺集初出。勅撰入集二十四首。中古三十六歌仙小倉百人一首にも歌を採られている。

  1首  2首  3首 哀傷 6首 計12首

春、人のよめといひしに

夢ならでゆめなることをなげきつつ春のはかなきものおもふかな(義孝集)

【通釈】夢でなくて、夢であること――そんな頼りないことを歎きながら、春のはかない物思いに耽っていることよ。

【語釈】◇夢ならでゆめなること 夢のようにはかない現実の恋のことを言うか。

秋の夕暮 (二首)

秋はなほ夕まぐれこそただならね荻の上風はぎの下露(義孝集)

【通釈】秋はやはり夕まぐれが尋常でない。荻の上を吹いてゆく風と言い、萩の下葉に置いた露と言い。

荻 鎌倉永福寺跡
風に靡く荻

【語釈】◇夕まぐれ 夕方、ものの姿がぼんやり見える頃。◇ただならね 普通でない。恋心がつのり、尋常の精神状態ではいられない、ということであろう。◇荻(をぎ)の上風(うはかぜ) 荻をそよがせながら過ぎてゆく風。荻はイネ科ススキ属の多年草。夏の間に伸ばした葉に吹きつける風の音によって秋を知る、という趣向が好まれた。◇はぎの下露 萩の下葉の露。

【補記】『撰集抄』等によれば、摂政藤原伊尹邸で連歌の催しがあり、連衆が「秋はなほ夕まぐれこそただならね」への付句に苦心していたところ、当時十三歳だった息子の義孝が進み出て「荻の上風はぎの下露」と続け、喝采を浴びたと言う。なおこの歌は『和漢朗詠集』『深窓秘抄』などに採られたが、勅撰集には漏れた。

【他出】義孝集、深窓秘抄、和漢朗詠集、撰集抄

【主な派生歌】
秋来ぬと荻のうは風うたがひて萩のした露こころおかるな(源通親)
霧のまも荻のうは風おとたかし知らねば野辺の萩のした露(覚性法親王)
秋きぬと荻の葉風のつげしより思ひしことのただならぬ暮(*式子内親王)
夕まぐれ木の葉みだれて荻の上にきかぬ嵐もただならぬかな(貞常親王)

 

露くだる星合の空をながめつついかで今年の秋を暮らさむ(義孝集)

【通釈】夜露が落ちてくる星合の空を眺めては悩むのだ、どうやって今年の秋を終わりまで過ごそうかと。

【語釈】◇露 涙を暗示。◇星合の空 彦星・織姫が出会う七夕の空。

【補記】『義孝集』に前歌「秋はなほ…」と共に「秋の夕暮」の題で括られた一首。

【他出】夫木和歌抄

堀川の中宮の内侍の簾の前に物言ふほどに、雨の降りかかれば、女のつげければ

わびぬればつれなし顔はつくれども袂にかかる雨のわびしさ(義孝集)

【通釈】辛いので、素知らぬ表情に取り繕っているけれども、袂にかかる雨の侘しいことよ。

【語釈】◇堀河の中宮の内侍 堀河中宮(藤原兼通女)に仕えていた女房。不詳。◇つれなし顔 素知らぬ表情。◇雨 涙を暗示。

【他出】続詞花集

女のもとより帰りてつかはしける

君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひぬるかな(後拾遺669)

【通釈】あなたを知る以前は惜しくもなかった我が命でしたが、それさえ貴方のためには永く保ちたいと思ったのです。

【語釈】◇女のもとより帰りて… いわゆる後朝(きぬぎぬ)の歌であることを示す。男が女の家に泊って翌朝帰宅し、女に文(ふみ)を贈るという慣わしがあった。

【補記】「君がため」は「惜しからざりし」でなく下句「長くもがなと思ひぬるかな」にかかる。同様の例を挙げれば「君がため波の玉しくみつの浜ゆき過ぎがたしおりてひろはむ」(貞数親王『新拾遺集』)。このように初句が中間の句を飛び越えて下句や結句にかかる例は和歌に少なくない。語順を歌意に沿って入れ替えれば、次のようになる。「惜しからざりし命さへ、君がため、長くもがなと思ひぬるかな」。なお、小倉百人一首では第五句「思ひけるかな」とするのが普通。

【他出】義孝集、後六々撰、定家八代抄、百人一首、別本和漢兼作集、新時代不同歌合

【参考歌】作者不詳「万葉集」巻十六
我が命は惜しけくもなしさにつらふ君によりてぞ長くほりする

【主な派生歌】
君がため命をさへも惜しまずはさらにつらさを歎かざらまし(藤原定家)
をしからぬ命も今はながらへておなじ世をだに別れずもがな(藤原定家[玉葉])
あへば先づをしからざりし命よりながくもがなとおもふ夜半かな(松永貞徳)

五節のころ、さし櫛とりたる、かへすとて

人しれぬ心ひとつをなげきつつ黄楊の小櫛をさすかひぞなき(義孝集)

【通釈】人知れず恋心を一心に抱いて嘆くばかりで、あなたの魂の憑代(よりしろ)であるこの黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)を挿しても恋が叶う甲斐がありません――誰と「指し」て「告げ」たところで、思いが通じる甲斐もないのです。

【語釈】◇黄楊(つげ)の小櫛(をぐし) 黄楊製の櫛。櫛は魂の憑代として霊威を発揮するものと考えられた。「黄楊」は「告げ」の、「さす(挿す)」は「指す」の意が掛かる。

【補記】『義孝集』には「返し いかなる人」として、「かきわけて我になさしそうるはしとおもておもてにかつは言ひつつ」(大意:取り分けて私に告げないで。あちこちの方にうるわしいと言い寄っておきながら)。また新勅撰集には次のように載る。「人しれぬ心ひとつに歎きつつ黄楊の小櫛ぞさす空もなき」。

【参考歌】石川少郎「万葉集」巻三(旧訓)
志賀の海女は藻刈り塩焼きいとまなみ黄楊の小櫛を取りも見なくに
  作者未詳「伊勢物語」、在原業平「新古今集」
蘆の屋のなだの塩焼いとまなみ黄楊の小櫛もささず来にけり

哀傷

一条摂政、身まかりにける頃よめる

夕まぐれ()しげき庭をながめつつ木の葉とともにおつる涙か(詞花396)

【通釈】薄暗い夕方、木が繁っている庭を眺めながら、散る木の葉とともに落ちる涙よ。

【補記】詞書の「一条摂政」は義孝の父、伊尹。天禄三年(972)十一月一日薨。義孝はこの時十九歳。

【他出】義孝集、栄花物語、後葉集

春、人のよめといひしに

夢ならで夢なることをなげきつつ春のはかなき物思ふかな(義孝集)

【通釈】夢でなく現実であるのに、この春が夢のように儚く感じられてならず、そのことを嘆きながら取留めもない物思いに耽っているのです。

【補記】父の死の翌年の春か。

殿失せ給ひて又の年の春、雨の降る日

春雨も年にしたがふ世の中にいまはふるよと思ふかなしな(義孝集)

【通釈】春雨も歳月の運行に従うこの世で、今はその降る季節になった――こうして父の死から年月を経てゆくのだと思えば切ないなあ。

【語釈】◇殿 父伊尹。◇年にしたがふ 歳月の運行に従う。◇ふる 「(雨が)降る」「(年を)経る」の掛詞。

【補記】続後拾遺集には次のように掲載。
春雨の時にしたがふ世の中に今はふるぞと思ふかなしさ

 

しかばかり契りしものを渡り川かへるほどには忘るべしやは(後拾遺598)

この歌、義孝の少将わづらひ侍りけるに、亡くなりたりともしばし待て、経よみはてむ、と妹の女御にいひ侍りて、ほどもなく身まかりてのち、忘れてとかくしてければ、その夜、母の夢に見え侍りける歌なり

【通釈】死んでもすぐには納棺しないでほしいと、あれほど固く約束したのに、私が三途の川から引き返す間に、忘れるなどということがあるのでしょうか。

【補記】義孝は天延二年(974)晩秋九月十六日の夕方に亡くなった。臨終の床で「死後もしばらく納棺は待ってくれ、経を最後まで読み通そうから」と「妹の女御(姉の懐子か)」に遺言したのだが、姉はその約束を忘れてしまって葬儀の準備などを進めてしまったので、その晩、義孝が母親の夢に現れて詠んだという歌。

【他出】義孝集、今昔物語、大鏡、袋草紙

【主な派生歌】
しかばかり契りしものをさだめなきさは世の常に思ひなせとや([和泉式部日記])
しかばかり契りし中も変はりけるこの世に人を頼みけるかな(藤原定家)

 

時雨とは千草の花ぞちりまがふ何ふる里の袖ぬらすらむ(後拾遺500)

この歌、義孝かくれ侍りてのち、十月ばかりに、賀縁法師の夢に、心ちよげにて笙をふくと見るほどに、口をただ鳴らすになむ侍りける。「母のかくばかり恋ふるを、心ちよげにていかに」といひ侍りければ、立つをひきとどめて、かくよめるとなむ、言ひ伝へたる

【通釈】現世の貴方たちは私の死を悲しんで時雨のように涙を流していらっしゃるのですか。しかしこの極楽浄土では、時雨とは、さまざまの花が散り乱れる様を言うのです。どうして袖を濡らしなどなさるのでしょう。

【補記】亡くなった翌月、義孝は再び賀縁という名の法師の夢にあらわれる。心地よげに笙など吹いている様子なので、法師はいぶかり、「母君があれほど恋しがっておりますのに、なぜそのように心地よげなご様子でおられるのです」と問うたところ、義孝はまた歌でもって思いを伝える。彼は極楽浄土に往生していたのであった。

【他出】義孝集、江談抄、今昔物語、袋草紙、古来風躰抄、雲玉集

 

着てなれし衣の袖もかわかぬに別れし秋になりにけるかな(後拾遺600)

この歌、身まかりてのち、あくる年の秋、いもうとの夢に、少将義孝が歌とてみえ侍りける

【通釈】着馴れた衣の袖もまだ乾かないのに、もう別れた秋が巡って来たのですね。

【補記】亡くなった翌年の秋、「いもうと」(年齢の上下に関係なく兄弟から見た姉妹をいう。姉の懐子か)の夢にあらわれて詠んだという歌。

【他出】義孝集、今昔物語、袋草紙、古来風躰抄、定家八代抄

【主な派生歌】
着てなれし匂ひを色にうつしもてしぼるも惜しき花染の袖(藤原定家)


更新日:平成16年07月11日
最終更新日:平成21年06月27日