朝倉義景 あさくらよしかげ 天文二〜天正一(1533-1573)

越前守護孝景の子。初め延景を名乗る。
天文二十一年(1552)家督を相続し、一向一揆を鎮圧して越前を平定。さらに弘治元年(1555)、加賀一向一揆を抑えて加賀半国を制圧した。しかしこの年、一族の重鎮で輔佐役であった教景を病で失い、その後の義景は文弱に流れ遊芸に耽ったという。永禄九年(1566)、足利義昭を越前国一乗谷に迎え、幕府恢復を要請されるが腰をあげず、義景の許を去った義昭は同十一年(1568)織田信長に擁立されて入洛した。義景は上洛を命ぜられるも拒否し、浅井長政と結んで信長に対抗。元亀元年(1570)、長政のもとに援軍を送るが、姉川の戦で信長軍の徳川家康に敗れた。のち信長軍に一乗谷を侵攻され、一族の朝倉景鏡(かげあきら)の謀叛により自刃に追いやられた。享年四十一。

早涼至

花ながす昔を汲みて山水の一葉をさそふ秋の涼しさ(戦国時代和歌集)

【通釈】花を浮かべて流した昔の風流を思いやるように、風が木の葉の一枚を誘って落とし、小舟さながら遣水を流れてゆく――庭園の秋の涼しさよ。

【語釈】◇花ながす昔 かつて宮中や貴族の庭園で盛んに行なわれた曲水の宴(春三月に設けるのが普通)のことを言う。◇昔を汲みて 昔を思いやって。「汲み」には酒を盃についで飲む意を掛ける。◇山水(やまみづ) 庭園の水流を谷川に見立てる。また、「山水(さんすい)」、すなわち築山と池を備えた庭園をも含意する。◇一葉(ひとは) 一枚の葉を意味すると共に、盃を一艘の小舟に見立てている。

【補記】永禄五年(1562)八月二十一日、一族を一乗谷に集め、曲水の宴を催した時の作。川田順『戦国時代和歌集』より。

【参考歌】坂上是則「紀師匠曲水宴和歌」「新古今集」
花ながす瀬をも見るべき三日月のわれて入りぬる山のをちかた


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日