源能有 みなもとのよしあり 承和十二〜寛平九(845-897) 号:近院右大臣

文徳天皇の皇子。母は伴氏。藤原基経の娘を妻とする。子に当純がいる。
仁寿三年(853)、源朝臣を賜わって臣籍降下。貞観四年(862)、従四位上に初叙され、貞観十一年、大蔵卿。同十四年、参議。元慶元年(877)、従三位。元慶六年(882)、中納言。寛平元年(889)、右近衛大将に東宮傳を兼任。翌年正三位に昇り、寛平三年、大納言。同八年、右大臣に就任したが、翌年五十三歳で薨じた。贈正二位。
藤原因香国経との贈答歌がある。古今初出。勅撰入集は四首。

右の大臣(おほいまうちぎみ)住まずなりにければ、かの昔をこせたりける文どもをとりあつめて返すとて、よみておくりける   典侍藤原因香朝臣

たのめこし言の葉いまはかへしてむ我が身ふるればおき所なし

【通釈】あなたが散々私に期待させてきた言の葉、これを今はお返しします。我が身は打ち捨てられ、ポンコツになったので、この身も手紙も、どこにも置き場所がなくなってしまったから。

返し

今はとてかへす言の葉ひろひおきておのが物から形見とや見む(古今737)

【通釈】今はもう、お返しになる恋文を、散った木の葉のように拾っておいて、自分のものながら、あなたの形見として見ましょうか。

【語釈】◇かへす言の葉 因香から返された昔の恋文。◇おのが物から… 自分のものではあるが、貴方の形見として見よう。「形見」は思い出のよすが。

【補記】詞書の「右の大臣」は源能有を指す。能有の通いが絶えたため、以前寄越した恋文を取り集めて返そうと因香が詠んだ歌に対する返歌。

河原の大臣(おほいまうちぎみ)の身まかりての秋、かの家のほとりをまかりけるに、もみぢの色まだ深くもならざりけるを見て、かの家によみて入れたりける

うちつけにさびしくもあるかもみぢ葉もぬしなき宿は色なかりけり(古今848)

【通釈】突然になんと寂しいことでしょうか。紅葉もご主人のいないお宅では色を失っていることです。

【語釈】◇河原の大臣 源融◇もみぢ葉も… 紅葉も心があるかのように、主人を悼んで明るい色を控えている。

大納言藤原国経朝臣、宰相より中納言になりける時に、染めぬ袍綾(うへのきぬのあや)を贈るとてよめる

色なしと人や見るらむ昔よりふかき心にそめてしものを(古今869)

【通釈】そっけないと人は見るでしょうか。昔から深くあなたに心をかけてきましたものを。

【語釈】◇色なし この「色」は、「心のつや」「深い心遣い」ほどの意。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、定家八代抄

【補記】藤原国経が参議から権中納言になったのは寛平六年(894)五月五日(公卿補任)。その時、大納言の地位にあった能有が祝いの品と共に贈った歌。

染殿の内侍といふいますかりけり。それを能有の大臣(おとど)と申しけるなむ、時々すみたまひける。物をよくしたまひければ、御衣(おほむぞ)などをなむ預けさせ給ひけるに、綾どもを多く(つか)はしたりければ、「雲鳥(くもとり)の紋の綾をや染むべき」ときこえたりしを、ともかくものたまはせねば、「えなむ(つか)うまつらぬ。さだめうけ給はらむ」と申したてまつりければ、大臣(おとど)の御返り事に、

雲鳥の綾の色をもおもほえず人をあひ見で年のへぬれば(大和物語)

となむ宣へりける。

【語釈】◇染殿の内侍 誰を指すか不明。染殿は藤原良房の邸宅。

【補記】大和物語第百五十九段。話の大要は、昵懇の仲であった染殿の内侍のもとに能有が着物を預け、綾などを多く与えたので、内侍は「雲と鳥の模様の綾を染めましょうか」と聞いたが、何とも答えがない。困惑した内侍は「お指図を頂かなければ」と文を送ると、能有から返事の歌があった。「雲鳥の綾とはどんな色でしたっけ。『あやめも知らぬ恋』と言いますが、恋しい人に逢わずに何年も経ったので、もう私の心は乱れて、綾の色も分らなくなってしまったのですよ」。
「郭公鳴くや五月のあやめ草あやめもしらぬ恋もする哉」を踏まえた歌か。なお、この歌は能有が藤原因香に贈った歌として『続後拾遺和歌集』にも見える。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日