東常縁 とうつねより(とうのつねより) 生没年未詳 通称:東野州 法号:素伝

桓武平氏。下総千葉氏の庶流。美濃国郡上郡篠脇を伝領する。父祖には源実朝以下の鎌倉将軍に仕えた胤行(素暹)をはじめ、勅撰歌人が少なくない。常縁の父は新続古今集に「素明法師」として歌を載せる下野守益之である。子に素純がいる。
生年は応永八年(1401)、同十四年(1407)説がある。享徳三年(1454)、左近将監となり、従五位下に叙せられる。翌年の康正元年(1455)、下総で千葉氏の内乱が起こると、将軍足利義政に鎮圧を命ぜられて下向、各地を転戦して長く関東に留まった。この間、京で勃発した応仁の乱は地方へ波及し、篠脇の所領は守護代斎藤妙椿によって攻め取られてしまう。ところが常縁がこれを嘆いた歌「思ひやる心のかよふみちならで便もしらぬ古郷の空」等に心を動かされた妙椿は領地を常縁に返却したという(『常縁集』)。文明元年(1469)、帰京し、やがて美濃に帰国。同五年までに下野守となる。同十六年(1484)頃に没したと推定されている。
上洛して宝徳二年(1450)、尭孝門に入り、二条派和歌の正統を継承する一方、異風の正徹にも学んだ。文明三年(1471)三月、伊豆三島の陣中で宗祇に古今集の講釈を行い、古今聞書の証明を授けた(「古今伝授」の初例とされる)。ほかにも新古今集・百人一首・伊勢物語など古典を講釈し、多くの歌書を書写した。歌学書に『東野州聞書』、注釈書に『新古今和歌集聞書』などがある。家集『常縁集』がある。勅撰集への入集はない。

『常縁集』群書類従260(第15輯)・私家集大成6・新編国歌大観8
『東野州聞書』群書類従298(第16輯)・日本歌学大系5
『新古今和歌集聞書』冨山房名著文庫・笠間書院「新古今集古注集成 近世旧注編1」
 
『東常縁』河村定芳、昭32、東常縁顕彰会
『東常縁』井上宗雄・島津忠夫編、平6、和泉書院

  3首  1首  1首  1首  1首  4首 計11首

梅風

とりとむる物にもがなや梅が香を枕のうへにすぐる春風(常縁集)

【通釈】抑え留められるものであってほしい、梅の香はさあ。枕の上を通り過ぎてゆく春風よ。

【補記】「梅が香を」の「を」はいわゆる間投助詞。語調を整えて余情を添える。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
とりとむる物にしあらねば年月をあはれあなうとすぐしつるかな

朝花

あさなあさな雲たちそひて小倉山みねふく風は花の香ぞする(常縁集)

【通釈】朝ごとに白雲が増えて、小倉山の峰に吹く風は花の香がする。

【補記】花を雲に見立てるのは常套手法だが、悠々とした風格があり、丈の高い春歌となり得ている。

【参考歌】在原元方「古今集」
霞立つ春の山べはとほけれど吹きくる風は花の香ぞする

故郷夕花

世はなにとうつろひかはるふるさとの昔ながらの夕ぐれの花(常縁集)

【通釈】この世は何かと移ろい変わってゆく――古里とて例外ではないが、夕暮の桜の花だけは昔ながらの趣である。

【補記】「ながら」には桜の名所である近江の歌枕長等山が意識され、「ふるさと」の語は遠つ代の志賀の都を想起させる。

【参考歌】紀貫之「拾遺集」
あだなれどさくらのみこそ旧里の昔ながらの物には有りけれ
  平忠度「千載集」
さざ浪や志賀の都はあれにしをむかしながらの山ざくらかな

吹く風や空にかよへる夏山の峯よりたかき蝉の声かな(常縁集)

【通釈】吹きわたる風が空との間を往き来しているのだろうか。夏山の峰より高いところから聞こえてくる蝉の声であるよ。

【先蹤歌】藤原有家「六百番歌合」
雲居までひびきやすらん夏山の峰よりたかき蝉のもろごゑ

暮秋興

今はとて暮れゆく秋を山かげや木の葉に(まど)小鹿(をしか)なくらむ(常縁集)

【通釈】ああ山陰で悲しげな啼き声がする――今は限りと暮れて行く秋を惜しんで……いや、散り乱れる木の葉に混乱して、鹿が鳴いているのだろう。

【補記】「暮れ行く秋を」と来れば「惜しみ」或いは「恨み」等と続くのが普通だが、予想を裏切りこの「を」は間投助詞であって、ここで一息切れる。和歌の常套を上手く逆用して興趣を生み出した。

【校異】「迷ひ」の用字は群書類従本に拠る。中世以前なら「まどひ」と訓むのが普通である。但し書陵部蔵本を底本とする新編国歌大観は仮名で「まよひ」としている。

故郷雪

ふる里の吉野の宮は今もかも見し世ながらに雪は降りつつ(常縁集)

【通釈】古い由緒を持つ里である吉野の宮跡では、今もまあ、昔の人が見た時そのままの様子で雪は降り、雪は降りしているのだろう。

【補記】末句に「あるらむ」が略されている気持。現在と過去が反響する中、「ふるさと」「ふりつつ」、「よしの」「みしよ」と、韻も妙(たえ)に響き合う。

【参考歌】藤原為家「為家集」
故郷のよしのの宮はしら雪の山かぜさむみふらぬ日はなし

後朝恋

夢ならば覚むる枕や頼ままし思ひにたどる朝の別れ路(常縁集)

【通釈】これが夢であるなら、目覚めての枕に身を委ねようものを。恋人と別れ、物思いに耽りつつ辿る、朝の帰り道よ。

【校異】結句「けさのわかれぢ」とする本もある。

佐夜中山にて

月にゆくさよの中山なかなかに明けてはくらき霧の下道(常縁集)

【通釈】月明かりをたよりに越えて行く小夜の中山――夜が明けると、朝霧が立ち込めてきて、かえって暗くなったと感じられる、霧の下を辿る道よ。

【補記】「さよ(さや)の中山」は遠江国の歌枕で月の名所。谷間を通る急な坂道で、東海道の難所とされた。作者は関東との往還に何度もこの坂を越えたはずである。

【参考歌】藤原家隆「壬二集」
ふみわけんものともみえず朝ぼらけ竹のは山の霧の下道
  薬師寺公義「公義集」
月に行くさよの中山中中に明けばふもとに宿やからまし

題不知(三首)

暮れわたる入江の波もすて舟もありとて明日もたれかすさめむ(常縁集)

【通釈】すっかり暗くなってゆく入江の波も、その浜に打ち捨てられた舟も、このままあったとしたところで、明日は私以外の誰がまた数寄心を寄せることだろう。

【補記】旅先で見た物悲しい情景への愛着。「すさめ」は下二段活用の他動詞スサムの連用形で、「すさめむ」は「興ずるだろう」程の意。中世からやがて近世へと向かう数寄心が言挙げされた、興味深い作。

 

今朝の山路きのふの野べも忘られて夕波荒き浜辺をぞゆく(常縁集)

【通釈】今朝は山路を辿ったっけ。昨日は野辺を行ったっけ。そんなことも忘れてしまって、この夕べは波が荒々しく寄せる浜辺をひたすら行くのだ。

【補記】この歌も関東と京、あるいは美濃と関東の間をたびたび往復した作者の実感が籠っているだろう。

 

松島や雄島の苫屋くれはててなほおもかげに浦風ぞ吹く(常縁集)

【通釈】松島の雄島の苫屋はすっかり暗くなってしまって――それでもなお、浦風が激しく吹く様が面影にはっきり見える。

【補記】「苫(とま)」は菅や茅などを編んだもの。粗末な小屋の屋根を葺くのに用いた。侘しい風情への愛着が「なほおもかげに」の句によくあらわれている。

【参考歌】藤原定家「拾遺愚草」
あけぬとも猶おもかげに立田山恋しかるべき夜はの空かな


最終更新日:平成16年12月09日