藤原為基 ふじわらのためもと 生没年未詳 法名:玄哲(玄誓とも)

御子左家。為世の弟左馬頭為言の子か。参議俊言の弟(尊卑分脈は俊言の子とする)。京極為兼の猶子となる。女子は大納言西園寺実尹の室となり内大臣公直の母となった。
正和二年(1313)、正四位下内蔵頭。同四年、為兼の失脚により解官され籠居。同五年、為兼の土佐配流に際し、和歌文書の一部を託されたという。正慶二年(1333)、出家。法名は玄哲。
後期京極派歌人。風雅集寄人。正和二年四月の内裏詩歌会、康永二年(1343)以後と推測される花園院五首歌合などに出詠。観応元年(1350)四月の玄恵法印追善詩歌などに出詠したのが最終事蹟。勅撰入集は風雅集のみ二十二首。

春歌の中に

あさみどり柳の糸のうちはへてけふもしきしき春雨ぞふる(風雅109)

【通釈】浅緑の柳の糸が長く垂れている――そのように長く引き続いて、今日も頻りに春雨が降ることだ。

【補記】「あさみどり柳の糸の」までは歌い出しとして春の風趣を持ち出すと共に「うちはへて」を導く序詞のはたらきをしている。

【参考歌】藤原為家
あさみどり柳のいとの引きはへてながきは春の日影なりけり

院五首歌合に、秋視聴といふ事を

色かはる柳がうれに風すぎて秋の日さむき初雁のこゑ(風雅527)

【通釈】枯れ始め色が変わってゆく柳の梢に風が吹き過ぎて、秋の寒々とした日射しの中、初雁の声が聞こえる。

【補記】花園院の五首歌合。康永二年(1343)以後かと言う。題「秋視聴」は視覚・聴覚両面でとらえた秋の風趣。「初雁」は秋、渡ってくる最初の雁。

【参考歌】伏見院「御集」
しほれあふ花のすゑずゑ色さびて秋の日さむき草のうへの雨

冬動物といふ事を

おく霜はねやまでとほる明がたの枕にちかき雁の一こゑ(風雅764)

【通釈】霜が降りる程の寒さが閨までしみとおってくる明け方――枕に近く雁の一声が聞こえる。

【参考歌】九条良経「秋篠月清集」
わすれずよかりねに月をみやぎのの枕にちかきさをしかの声

題しらず

とびつれてとほざかりゆく烏羽(からすば)にくるる色そふをちかたの空(風雅1660)

【通釈】眺めやれば、列なり飛んで遠ざかってゆく烏の羽に暮色が添わって、いっそう寂しげに昏れてゆく、彼方の空よ。

題しらず

山もとや雨はれのぼる雲のあとにけぶりのこれる里の一むら(風雅1699)

【通釈】山の麓を眺めやれば、雨があがって空高くのぼってゆく雲の跡には、煙がその名残のようにたなびいている、里の一群の家々よ。

【参考歌】伏見院「御集」
山かげや雨はるらしも谷ごしの向ひの峯に雲のぼるみゆ


最終更新日:平成15年04月19日