藤原成範 ふじわらのしげのり 保延元〜文治三(1135-1187) 号:桜町中納言

藤原南家。後白河院の近臣通憲(信西)の三男。母は従二位藤原朝子(通称紀伊局。後白河院の乳母)。小督局の父。
平治元年(1159)の平治の乱で父を喪う。この時、乱に連座して下野国に流されたが、永暦元年(1160)本位に復し、諸官を歴任して、正二位中納言民部卿に至る。文治三年(1187)二月、出家。
自家で歌合を催すなど、きわめて和歌を好んだ。嘉応二年(1170)五月の実国家歌合、同年十月の住吉社歌合、承安二年(1172)十二月の広田社歌合、治承二年(1178)三月の賀茂別雷社歌合などに出詠。藤原清輔藤原実定ら多くの歌人と親交があった。『新時代不同歌合』に歌仙として選ばれている。千載集初出。勅撰入集十三首。

故郷花を

ふるさとの花に昔のこと問はば幾代の人のこころ知らまし(続古今120)

【通釈】由緒ある里に咲く、古木の桜――その花に昔のことを問うたなら、幾時代もの人々の心を知ることができるだろうに。

【語釈】◇ふるさと かつて宮都などがあったが、今は寂びれた土地。王朝和歌では、奈良・吉野・飛鳥・志賀などを思うのが普通。◇知らまし この「まし」は現実には叶い得ない願望をあらわす。

【補記】「故郷の花」は平安末期ごろから好まれた歌題。例えば平忠度の「さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山ざくらかな」も同じ題で詠まれた、ほぼ同時代の作である。

【他出】治承三十六人歌合、万代集、雲葉集、別本和漢兼作集、新時代不同歌合、題林愚抄

【参考歌】奈良の帝「古今集」
ふるさととなりにし奈良の都にも色はかはらず花はさきけり

【主な派生歌】
しらぬ世の人のなさけもかくこそと花にむかしの春ぞしたしき(伏見院)
故郷の花にむかしのこととへど答へぬ色はかひなかりけり(鵜殿余野子)

題しらず

恋ひわびてうちぬる宵の夢にだに逢ふとは人の見えばこそあらめ(千載899)

【通釈】恋い焦がれ、ぐったりとして、ふと眠りに落ちて見た宵の夢――せめてそんな夢だけでも……「逢う」とは、恋しい人が目に見えてこそ「逢う」というのに。

【補記】思い寝に見た夢にさえ恋人は現れなかった。第三句「夢にだに」で、絶望に口をつぐむかのように、歌は一旦途切れる。

【参考歌】藤原敏行「古今集」
恋ひわびてうちぬる中に行きかよふ夢のただぢはうつつならなむ

母の二位みまかりてのち、よみ侍りける

鳥辺山おもひやるこそかなしけれひとりや苔の下にくちなん(千載591)

【通釈】鳥辺山を遠く思いやるだけで悲しくてならない。母はひとり墓の下で朽ちてゆくのだろうか。

【語釈】◇鳥辺山(とりべやま) 鳥部山とも。京都東山。墓地、葬送の地。

【補記】成範の母は藤原朝子。後白河院の乳母、典侍従二位。永万二年(1166)正月十日、薨。

【他出】治承三十六人歌合、宝物集、定家八代抄、新時代不同歌合、歌枕名寄

【参考歌】和泉式部「金葉集」
もろともに苔の下にはくちずして埋もれぬ名を見るぞかなしき

【主な派生歌】
故郷をおもひやるこそあはれなれ鶉なく野となりやしぬらむ(宗尊親王)
夜もすがら思ひやるこそかなしけれいかなる世にて月を見るらむ(香川景樹)

あづまのかたにまかりける道にてよみ侍りける

道のべの草のあを葉に駒とめてなほ古郷をかへりみるかな(新古965)

【通釈】道のほとりの草の青葉を食ませようと馬を停めて、それを口実に、懐かしい都の方を再び振り返って見るのだ。

【語釈】◇古郷(ふるさと) この場合は「馴染んだ土地」の意で、作者の住んでいた平安京を指す。

【補記】平治元年(1159)、作者の成範は乱に連座して下野国(今の栃木県にあたる)に流された。詞書はそのことを婉曲に述べている。『平治物語』などにも引用されて名高い歌。


公開日:平成19年12月16日
最終更新日:平成19年12月16日