皇后宮摂津 こうごうぐうのせっつ) 生没年未詳 別称:二条太皇太后宮摂津・禎子内親王家摂津

正四位下常陸守藤原実宗の娘(実憲の娘ともいう)。
白河天皇の皇女令子内親王やその妹禎子内親王に仕えた。承暦二年(1078)の内裏後番歌合、寛治七年(1093)の郁芳門院根合、同八年の高陽院七番歌合、康和四年(1102)の堀河院艶書歌合、永久五年(1117)の内大臣忠通歌合などに出詠。家集『摂津集』がある。金葉集初出。勅撰入集十三首(金葉集は二度本で数えた場合)。

宇治前太政大臣家歌合によめる

ちりつもる庭をぞ見まし桜花かぜよりさきにたづねざりせば(金葉49)

【通釈】花びらが散り積もった庭を見ることになったでしょう。もし、風が吹くより先にこの桜のもとを訪ねなかったとしたら。

【補記】実際には風が吹く前に訪れたので、花盛りが見られたのである。寛治八年(1094)八月十九日、藤原師実邸での歌合(「高陽院七番歌合」とも言う)、七番左持。経信の判詞は「いと心ばへをかしうはべめり」。右は源俊頼の名歌「山桜さきそめしよりひさかたの雲ゐにみゆる滝の白糸」で、金葉集でもこの二首が並んでいる。

宇治前太政大臣家歌合に月をよめる

てる月の光さえゆく宿なれば秋の水にもつららゐにけり(金葉193)

【通釈】夜が更けるにつれて、月の光がいっそう冴えわたり、家の庭は空気もつめたく澄んでゆく。だから、今は秋なのに、池の水は氷が張ったようになっているのだ。

【語釈】◇宇治前太政大臣 藤原師実。◇さえゆく 「さえ」には「(大気や水が)凍る・冷える」意と、「(光や音が)つめたく澄む」意がある。◇つららゐにけり 「つらら」はもと「水面に張りつめた氷」の意。「つららゐ」は氷が張る意の上一段動詞。この歌では、冷たく澄んだ月光が水面に映じているさまを言っている。なお第五句を「氷ゐにけり」とする本もある。『摂津集』では「つららゐにけり」。

宇治前太政大臣家歌合に雪の心をよめる

ふる雪に杉の青葉もうづもれてしるしも見えず三輪の山もと(金葉285)

【通釈】降りしきる雪に、杉の青葉もすっかり埋もれてしまった。私の住まいをそこと知らせるしるしも見えなくなって、三輪山の麓にひとり淋しく過ごしている。

【語釈】◇しるし 下の本歌を踏まえた言い方。山里の住まいの標識になる杉を言う。◇三輪の山 大和国の歌枕。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
我が庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門

あとたえて雪ふりつもる深山(みやま)には細谷川ぞ道とみえける(摂津集)

【通釈】人跡も絶えてしまうほど雪が降り積もった山奥には、細い谷川だけが道に見えることよ。

【補記】白一色の深山に、谷川だけが一すじ道のように見えて流れている情景。「細谷川」は細い谷川を意味する一般名詞。固有名詞とすれば、大和国の歌枕で、三笠山の麓を流れる川。例「三笠山細谷川に影さしてさやかに見ゆる冬の夜の月」(源頼綱)。但し三笠山を「深山」とは言えまいから、上の歌での細谷川は普通名詞にちがいない。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日