郁芳門院安藝 いくほうもんいんのあき 生没年未詳 別称:待賢門院安藝

安藝守従四位下藤原忠俊の娘。待賢門院安藝とも。
白河院皇女郁芳門院(堀河天皇准母)に仕えた。寛治三年(1089)太皇太后宮寛子扇歌合、同七年の郁芳門院根合、嘉保二年(1095)の鳥羽殿前栽合、康和四年(1102)の堀河院艶書合などに出詠。のち、鳥羽院后待賢門院璋子に出仕し、晩年には崇徳院主催の久安百首の作者に列した。家集『郁芳門院安藝集』がある。金葉集初出。勅撰入集二十二首。

題しらず

みなかみに桜ちるらし吉野河いはこす浪の花と見えつつ(続後撰139)

【通釈】川上で桜の花が散っているらしい。吉野川の、岩を越えてゆく白波がさながら花と見えて…。

【補記】吉野川の激流の白波を花に見たて、上流では桜の花が散っているのかとした。久安百首。『万代集』にも採られている。

【参考歌】藤原宇合「万葉集」巻九
暁の夢にみえつつ梶島の石(いそ)越す波のしきてし思ほゆ
(第四句の旧訓は「いはこすなみの」。)

崇徳院に百首歌たてまつりける時、夏歌

桜麻(さくらあさ)のをふの下草しげれただ飽かで別れし花の名なれば(新古185)

【通釈】桜麻の麻畑に低く生えている草よ、どんどん繁れ。おまえは、満足できずに別れた「さくら」という花の名をもつ草なのだから。

【語釈】◇桜麻 万葉集に見える桜麻(さくらを)。下記本歌参照。実体は不明だが、麻の一種らしい。◇をふ 麻生。麻畑のこと。

【補記】万葉集に見える「桜麻」(現在は「さくらを」と訓まれているが、かつては「さくらあさ」と訓まれた)という名に引っ掛けて、夏にあって桜を偲んでみせた歌。

【本歌】作者未詳「万葉集」
桜麻の麻生(をふ)の下草露しあれば明かしてい行け母は知るとも

慶賀

玉椿ひかりをみがく君が代に(もも)かへり咲く優曇華(うどんげ)の花(久安百首)

【通釈】美しい椿が輝きを増す御治世には、三千年に一度花をつけるという優曇華の花が、百回繰返して咲くことです。

【語釈】◇玉椿 椿の美称。椿は古来神聖な木とされた。玉椿は特に長寿を祝う場合に用いられた語。◇ひかりをみがく 光彩を添える。「ひかり」も「みがく」も「玉」の縁語。◇百かへり 百返り。百回繰返し。◇優曇華の花 クワ科イチジク属の落葉喬木。三千年に一度花をつけると信じられ、その時如来が出現するとされた。

百首の歌めしける時、旅の歌とてよませ給ふける

笹の葉を夕露ながら折りしけば玉ちる旅の草枕かな(千載514)

【通釈】笹の葉を夕露のついたまま折り敷いて臥せれば、露の玉がこぼれ散り、旅のあわれさに涙も玉となって落ちる。

【語釈】◇百首の歌 久安六年(1150)成立の「久安百首」のこと。◇玉ちる 笹の葉についた露が飛び散る意に、涙がこぼれ落ちる意を掛ける。◇草枕 草を枕にして寝ること。野宿を言う。

【補記】辛いものとされた野宿を唯美的に表現している。久安百首。

百首の歌奉りける時、恋の心をよめる

そなれ木のそなれそなれてむす苔のまほならずとも逢ひ見てしがな(千載804)

【通釈】磯馴(そな)れ木は、潮風や波を繰返し浴びるうちに、幹は曲りくねり、苔を生やしますよね。そんなふうに、まともじゃなくても、あなたとお逢いしたいのです。

【語釈】◇そなれ木 磯馴れ木。磯辺に屈曲して生えている木。「磯馴(そな)れ」とは、磯の激しい風波に馴化することを言う。◇まほならずとも 「まほ」は真っ当であること・十分であること。かりそめの逢瀬でもいいから逢って契りを交わしたい、ということ。

【補記】「むす苔の」までが「まほならず(とも)」を導く序詞。久安百首。

崇徳院に百首の歌奉りける時、恋の歌とてよめる

恋をのみすがたの池に水草(みくさ)ゐてすまでやみなむ名こそ惜しけれ(千載858)

【通釈】あなたの姿を面影として恋い慕ってばかりいて、長い年月が経ちました。姿の池に水草が生えて、濁ってしまうように、私たちの恋は淀んだまま、あなたは通い住んでもくれなくて、このまま終わってしまうのでしょうか。ろくに逢いもしないまま浮き名ばかり立つのが口惜しいことです。

【語釈】【語釈】◇恋をのみ 「す」から「姿の池」を導く有意の序。◇すがたの池 菅田の池。大和国の歌枕。大和郡山市筒井の菅田神社のそばの池という。姿の意を掛ける。また、スには「恋をす」のスを掛けている。◇すまで 澄まで・住まで。

【補記】「水草ゐて」までが「すまで」を導く有心の序。久安百首。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日