大伴坂上郎女 おおとものさかのうえのいらつめ 生没年未詳 略伝

大伴安麻呂石川内命婦の間の子。稲公の姉。旅人の異母妹。家持の叔母、姑。大嬢・二嬢の母。坂上郎女の通称は坂上の里(現奈良市法蓮町北町)に住んだためという。
初め穂積皇子に嫁す。霊亀元年(715)皇子の薨去後、一説に宮廷に留まり命婦として仕える。この頃首皇太子(のちの聖武天皇)と親交を持ったらしく、後年個人的に歌を奉っている。養老年間、藤原麻呂に娉われるが、養老末年頃、異母兄大伴宿奈麻呂の妻となり、坂上大嬢・二嬢を生んだ。おそらく神亀元年(724)〜四年頃宿奈麻呂は卒し、のち、旅人を追って大宰府に下向する。帰京後は佐保邸に留まり、一家の刀自として、また氏族の巫女的存在として、また恐らくは家持の母代りとして、大伴氏を支えた。
額田王以後最大の女性歌人であり、万葉集編纂にも関与したとの説が有力。万葉集に長短歌84首を所載。女性歌人としては最多入集であり、全体でも家持・人麻呂に次ぐ第三位の数にあたる。

万葉集に収録された坂上女郎の歌を五十一首抜萃し、相聞・四季・雑・悲傷に分類した。末尾には付録として拾遺集に坂上郎女作としてみえる歌三首を載せた。

 相聞 28首  3首  1首  1首  2首  14首 悲傷 2首 計51首
 付録(勅撰集より)

相聞

大伴郎女のこたふる歌四首

佐保川の小石踏み渡りぬばたまの黒馬くろまの来る夜は年にもあらぬか(万4-525)

【通釈】天の川ならぬ佐保川の小石を踏みながら渡って、あなたを乗せた黒馬が来る夜は、年に一度はあってくれないものか。

【語釈】◇佐保川 奈良市の春日山中に発し、最終的に大和川に合流する川。◇ぬばたまの 「黒」の枕詞◇黒馬 旧訓は「こま」。また「くろ」と訓む説もある。◇年にもあらぬか 恋人の訪問が周期的であってほしい、との心。「とし」は、もともと一毛作の周期を指した語。

【補記】藤原麻呂から贈られた歌「よく渡る人は年にもありといふをいつの間にぞも我が恋ひにける」を踏まえる。麻呂の歌の大意は「まめによく川を渡る人(牽牛)は年に一度の逢瀬でも我慢しているというのに、どれだけの間が空いたからと言って私はこんなに恋い焦がれているのだろう」。坂上郎女はこれに対し、同じく七夕を暗示しつつ「あなたは年に一度も来て下さっているのでしょうか」と皮肉を籠めて相手の疎遠を恨んだのである。その裏には「あなたとの逢瀬が年のように繰り返し、周期的にあってほしい」というような心を籠めている。

 

千鳥鳴く佐保の川瀬のさざれ波やむ時もなしが恋ふらくは(万4-526)

【通釈】千鳥が鳴く佐保川の川瀬のさざ波のように、やむ時もない。私の恋心は。

【語釈】◇千鳥鳴く 「佐保」に冠する常套句。◇さざれ波 さざ波。「さざれ」は「ささら」の転で、「細かな」程の意。◇恋ふらく 恋しく思うこと。

 

来むと言ふも来ぬ時あるをじと言ふを来むとは待たじ来じと言ふものを(万4-527)

【通釈】あなたは来ようと言っても来ない時があるのに、ましてや、来ないだろうと言うのを来るだろうと待ちはすまい。来(こ)まいと言っているのだもの。

【主な派生歌】
来むと言ひて来ぬがつらさに比ぶれば来じとて来ぬは嬉しかりけり(俊恵)
来じといはば来む夜もありと待たましを来むとたのめて来しやいつなる(油谷倭文子)

 

千鳥鳴く佐保の川門かはとの瀬を広み打橋渡すと思へば(万4-528)

【通釈】千鳥の鳴く佐保川の渡り瀬は幅が広いので、板の橋を渡しておく。あなたがやって来ると思うので。

【語釈】◇川門 川が浅瀬になっていて、渡るのに使われた場所をいう。◇瀬を広み 瀬が広いので。◇打橋 板を打ち渡しただけの臨時の橋。

【補記】以上四首は、「京職藤原大夫、贈大伴郎女歌三首」(4-522〜524)への返し。藤原麻呂が京職(左京大夫)に在ったのは養老五年六月以後。神亀元年の歌がこの後にあるので、養老五年(721)〜神亀元年(724)の間に作られた歌と見られる。坂上郎女は二十歳代前半か。

また大伴坂上郎女の歌一首

佐保川の岸のつかさの柴な刈りそね ありつつも春し来たらば立ち隠るがね(万4-529)

【通釈】佐保川の小高い崖に生えている雑草を刈らないで。ずっとそのままにしておいて、春になったなら、その繁みの陰に隠れて恋人に逢うために。

【語釈】◇岸のつかさ 崖の小高くなったところ。◇立ち隠るがね 隠れるように。隠れようから。「がね」は連体形に付いて理由や目的を示す助詞。「隠る」は四段・下二段両形の活用をしたが、この場合は四段動詞。

【補記】この歌は旋頭歌。

大伴坂上郎女の歌二首

黒髪に白髪しろかみ交じり老ゆるまでかかる恋にはいまだ逢はなくに(万4-563)

【通釈】黒髪に白髪が混じって、これほど年寄るまで、こんな恋にはまだ出逢ったことはありませんことよ。

【補記】この歌は、万葉集の排列からすると、天平元年から二年頃の作。郎女は三十歳前後。

 

山菅やますげの実ならぬことをに寄そり言はれし君はたれとからむ(万4-564)

【通釈】山菅が実を結ばないことを、私との仲になぞらえて世間から噂されたあなたは、今頃どなたと一緒に寝ているのでしょうか。

大伴宿禰坂上郎女の歌一首

心ぐきものにぞありける春霞たなびく時に恋の繁きは(万8-1450)

【通釈】心が切なくて苦しいものだったのだなあ。春霞がたなびく時節にしきりと恋心に襲われるのは。

【補記】『萬葉考』は題詞「宿禰」の後に「家持贈」の三字脱とする。即ち家持が坂上郎女に贈った歌か。春相聞。

大伴坂上郎女の歌一首

夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものを(万8-1500)

【通釈】夏の野の繁みにひっそりと咲いている姫百合のように、人に知られない恋は苦しいものだなあ。

【補記】夏相聞。姫百合は夏、山野に赤・朱・黄色などの花を咲かせる。百合の仲間の中では花が小さめなので、この名がついたものらしい。続後拾遺集に入集(第四句「しられぬ恋は」)。

【主な派生歌】
忍びても我が袖ひめや姫ゆりのしられぬ草の下のしら露(藤原家隆)

大伴坂上郎女の怨恨の歌一首 并せて短歌

おしてる 難波なにはすげの ねもころに 君が聞こして 年深く 長くし言へば 真澄鏡まそかがみ ぎし心を ゆるしてし その日の極み 波のむた 靡く玉藻の かにかくに 心は持たず 大船おほぶねの たのめる時に ちはやぶる 神かけけむ 空蝉うつせみの 人かふらむ 通はしし 君も来まさず 玉梓たまづさの 使つかひも見えず なりぬれば いたもすべなみ ぬばたまの よるはすがらに 赤らひく 日も暮るるまで 嘆けども しるしを無み 思へども たづきを知らに 手弱女たわやめと はくもしるく たわらはの のみ泣きつつ たもとほり 君が使を 待ちや兼ねてむ(万4-619)

反歌

はじめより長く言ひつつ恃めずはかかる思ひに逢はましものか(万4-620)

【通釈】[長歌] 難波の菅の根のように、こまやかな心遣いで言葉をかけて下さって、長い間、末永くなどと言い寄られたので、たやすく靡くまいと張りつめていた心を、とうとう緩めてしまった――その日を境に、波のまにまに靡く海藻のように、あちらへこちらへ揺れるような心は持たず、大船に乗ったように信頼していたのに、神が仲を裂いたのだろうか、人が邪魔をするのだろうか、ずっと通い続けていた人は御出でにならず、使の者さえ見えなくなってしまったので、どうにもなすすべがなく、夜は一晩中、昼は日の暮れるまで嘆いているけれども、その甲斐もなくて、いくら思い悩んでも、どうすべきか手立てを知らず、「たわやめ」と人が言う通り、いとけない子供のように声あげて泣きながら、うろうろとして、あの人からの使いを待ち切れずに過ごすのだろうか。
[反歌] あなたが最初から末永くなどと言って期待させなければ、これほど苦しい思いをせずにすんだでしょうに。

【語釈】[長歌]◇おしてる 「難波」の枕詞。「おしてる 難波の菅の」までが「ねもころに」を起こす序。◇ねもころに 草木の根が細かく絡み合っているように、細やかに。◇君が聞こして あなたが仰って。「聞こす」は「言う」意の尊敬語。◇年深く 長い年月の間。「深く」は菅の根と縁のある語。◇真澄鏡 「磨ぎ」の枕詞◇大船の 「たのむ」の枕詞◇ちはやぶる 「神」の枕詞◇空蝉の 「人」の枕詞◇玉梓の 「使」の枕詞。昔、伝言をつたえる使者が梓の杖を用いたことから。◇赤らひく 「日」の枕詞◇手弱女 原文は「幼婦」。「たわや」は「たわみ(撓み)」に通い、もとの意は「たおやかな女」「しなやかな若々しい女」といった讃め詞だが、「手弱(たよわ)し」「た童(わらは)」などと音が似ていることから、「か弱い女」「いとけない女」といった意でも用いられるようになったものと思われる。◇た童(わらは) よちよち歩きの幼児。「た」は接頭語。

【補記】詠作年不詳。巻四の排列からすると、天平三〜四年頃か。

大伴坂上郎女の歌二首

久かたの天の露霜置きにけり家なる人も待ち恋ひぬらむ(万4-651)

【通釈】外を見れば、天から降った露が庭の地面に置いています。こんな寒い夜、家にいる人はあなたを恋しくお待ちしているでしょう。

【補記】次の一首と併せて考えるに、娘婿に与えた歌であろう。「人」は坂上郎女の娘、大嬢か二嬢。

 

玉守に玉は授けてかつがつも枕と我はいざ二人寝む(万4-652)

【通釈】玉守に大切な玉は託して、まあまあとにかく、私は枕と二人で、さあ寝るとしましょう。

【補記】「玉守」は玉の番人。原文は「玉主」で、「たまぬし」と訓む本もある。娘を玉に、娘婿を玉守に喩えて言った。なお坂上郎女の娘は大嬢(おおおとめ)・二嬢(おとおとめ)の二人が知られ、その夫となったはそれぞれ大伴家持・大伴駿河麻呂である。

大伴坂上郎女の歌六首

あれのみぞ君には恋ふる我が背子が恋ふと言ふことはことのなぐさぞ(万4-656)

【通釈】私の方が一方的にあなたに恋しているのです。あなたが恋していると言うのは、口先だけの慰めなのですよ。

 

思はじと言ひてしものをはねず色のうつろひやすきが心かも(万4-657)

【通釈】思うまいと口に出して言ったのに。はねずの花の色のように変わりやすい私の心だことよ。

【補記】「はねず」は不詳。今の庭梅かとも言う。紅染に用いられたが、褪せやすかった。

 

思へどもしるしも無しと知るものを何かここだくが恋ひ渡る(万4-658)

【通釈】いくら恋しく思っても、何の甲斐もないと知っているのに、どうしてこれ程私はずっと恋し続けているのだろう。

 

あらかじめ人言ひとごと繁しかくしあらばしゑや我が背子奥もいかにあらめ(万4-659)

【通釈】今のうちからもう人の噂がうるさい。こんな調子だったら、ああいやだ、あなた、この先どうなるのでしょうか。

 

をとを人ぞくなるいで我君あぎみ人の中言聞きこすなゆめ(万4-660)

【通釈】あなたと私の仲を人が裂こうとしているようです。さああなた、人の中傷には耳を貸さないでくださいね、決して。

 

恋ひ恋ひて逢へる時だにうつくしきこと尽くしてよ長くと思はば(万4-661)

【通釈】恋して恋して、やっと逢えた時くらい、情け深い言葉をありったけ言い尽くして下さいな。これからも二人の仲を長く続けようと思うなら。

大伴坂上郎女の歌七首

言ふことのかしこき国ぞ紅の色にな出でそ思ひ死ぬとも(万4-683)

【通釈】人の噂が恐ろしい国ですよ。思う気持を顔色に出してはいけません。たとえ思い死にしようとも。

【補記】「紅(くれなゐ)の」は「色」を持ち出すための枕詞。「紅」はベニバナのこと。

 

今はは死なむよ我が背生けりとも我に依るべしと言ふと言はなくに(万4-684)

【通釈】もう私は死んでしまうよ、あなた。生きていても、あなたが私に心を寄せてくれるというわけではないのだから。

 

人言を繁みや君が二鞘ふたさやの家を隔てて恋ひつついまさむ(万4-685)

【通釈】人の噂がうるさいからだろうか、二鞘のように近い家どうしなのに、あなたはそのわずかな距離を隔てて家に籠り、私を恋しく思っておられるのだろう。

【補記】「二鞘の」は「家を隔てて」を言うための枕詞。「二鞘」は二つの刀が入る鞘のことで、隣り合った家が間を隔てている様を暗示している。この歌の相手とされている恋人が近所の人であることが分かる。

 

このころは千歳や行きも過ぎぬると我やしか思ふ見まくりかも(万4-686)

【通釈】この頃と来たら、逢わずに千年も経ったような気がするが、私がそう思うだけなのだろうか、それとも逢いたいという気持がそう思わせるのだろうか。

 

うつくしとが思ふ心早川のきにくともなほやえなむ(万4-687)

【通釈】愛しいと私が思う心は流れの速い川のようで、塞き止めても塞き止めても、なお崩れて溢れてしまうだろう。

 

青山を横ぎる雲のいちしろく我とまして人に知らゆな(万4-688)

【通釈】青々とした山を横切る白い雲のようにはっきりと私に笑顔を見せて、人には知られないでね。

 

海山も隔たらなくに何しかも目言めことをだにもここだともしき(万4-689)

【通釈】海や山を隔てているわけでもないのに、どうしてちょっと逢って話をするくらいのことさえ滅多にできず、これほど物足りない思いをするのでしょうか。

【補記】「目言」は逢うことと話をすること。対面して話を交わすこと。

大伴坂上郎女の初月(みかつき)の歌一首

月立ちてただ三日月の眉根まよねかき長く恋ひし君に逢へるかも(万6-993)

【通釈】月が替って、たった三日目の月のような私の細い眉――それを掻いたところ、長い日々恋い焦がれていたあなたに逢えたことですよ。

【補記】眉がかゆくなることは恋人に逢える前兆と考えられた。

【参考歌】作者不明記「万葉集」11-2614(或本歌曰)
眉根掻き誰をか見むと思ひつつ日長く恋ひし妹に逢へるかも

大伴坂上郎女の歌一首

酒坏さかづきに梅の花浮け思ふどち飲みての後は散りぬともよし(万8-1656)

【通釈】盃に梅の花びらを浮かべ、親しく思い合う者同士、楽しく飲み交わした後は、梅は全て散ってしまっても良い。

【補記】冬相聞。自邸に親族を招いての宴での作か。

大伴坂上郎女の歌一首

世の常に聞けば苦しき呼子鳥声なつかしき時にはなりぬ(万8-1447)

天平四年三月一日に佐保の宅にて作る

【通釈】ふだんは聞くのが辛い呼子鳥だけれども、その声が懐かしく感じられる時節になったことだ。

【補記】春雑歌。「呼子鳥(よぶこどり)」とは、カッコウなど、鳴き声が人を呼ぶように聞こえる鳥の類。「昔の人は、『あこ、あこ』と、幼子を呼び立てゝ鳴いてゐるものと聞いて、傳説への聯想から、憂鬱な聲として聞いて来たものである」(折口信夫「女流短歌史」)。「声なつかしき時」とは、左注に言う「三月一日」すなわち晩春の初め。

大伴坂上郎女の柳の歌二首

我が背子が見らむ佐保道さほぢの青柳を手折りてだにも見むよしもがも(万8-1432)

【通釈】あの方がこの頃見ておられるだろう佐保路の青柳を、私もせめて手折ってでも見るすべがあればよいのに。

【補記】春雑歌。「佐保道」は平城京北郊佐保の地を通っている道。佐保は坂上郎女にとっては家郷にあたる。佐保の地を離れていた時の作であろう。

 

打ちのぼる佐保の河原の青柳は今は春べとなりにけるかも(万8-1433)

【通釈】佐保川を溯ってゆくと、川原に生えている青柳は、もうすっかり春らしくなったことだなあ。

【補記】佐保の家郷に帰る途次の作として詠まれている。

大伴坂上郎女の歌一首

ほととぎすいたくな鳴きそひとり居ての寝らえぬに聞けば苦しも(万8-1484)

【通釈】ほととぎすよ、ひどく鳴かないで。ひとり寝間に座って、眠れずにいる時におまえの声を聞くと辛いのだよ。

【補記】一般に鳥の声は人恋しさを募らせるものだったが、特に時鳥の鳴き声は過去の追想、死者の追憶に結びついた(「古に恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きし我が思へるごと」額田王)。なおこの歌は拾遺集にも大伴坂上郎女の作として収められている。

【参考歌】鏡王女「万葉集」巻八
神奈備の石瀬(いはせ)の杜の呼子鳥いたくな鳴きそ我が恋まさる
 弓削皇子「万葉集」巻八
ほととぎす無かる国にも行きてしかその鳴く声を聞けば苦しも

【主な派生歌】
蟋蟀いたくななきそ秋の夜の長き思ひは我ぞまされる(藤原忠房[古今])

大伴坂上郎女の晩(おくて)の萩の歌一首

咲く花もをそろはうとし晩生おくてなる長き心になほしかずけり(万8-1548)

【通釈】咲く花にしても、早咲きなのは親しめない気持がする。遅咲きの花の気長な心にはやはり及ばないものだよ。

【語釈】◇をそろ 「をそ」は「わさ」と同源で、早熟の意かと言う。なお、類聚古集など「乎曾呂」とあるが西本願寺本は「宇都呂」とあるため、古くは「うつろはうきて」「うつろふはうし」などと訓んだ。◇晩生 原文「奥手」。遅咲きの草木のこと。

【補記】遅咲きの萩を讃める歌。「短気より暢気」、あるいは「性急な恋よりも長く持続する愛情が好ましい」といった寓意を認めることができよう。

【参考歌】大伴家持「万葉集」巻二十
咲く花はうつろふ時ありあしひきの山菅の根し長くはありけり

大伴坂上郎女の歌一首

沫雪あわゆきのこのころ継ぎてかく降らば梅の初花散りか過ぎなむ(万8-1651)

【通釈】この日頃、泡のような雪がこんなに降り続いたら、初咲きの梅の花は散ってしまうだろうか。

【通釈】冬雑歌。初春を迎えないうちに咲いた梅の初花を惜しむ。

大伴坂上郎女の雪の歌一首

松陰の浅茅が上の白雪を消たずておかむことはかもなき(万8-1654)

【通釈】松の木陰の浅茅の上に積もった雪――これを消さずにおくためのまじない言はないものだろうか。

【補記】末句の原文は「言者可聞奈吉」。コトハカモナキと訓むのが普通だが、疑問もある。言を吉の誤写とみてヨシハカモナキと訓む説などもある。

冬十一月、大伴坂上郎女、帥(そち)の家より上道(みちだち)して、筑前国宗形郡名児山を超ゆる時に作る歌一首

大汝おほなむち 少彦名すくなびこなの 神こそは 名付けそめけめ 名のみを 名児なご山と負ひて が恋の 千重ちへ一重ひとへも 慰めなくに(万6-963)

【通釈】国造りをされた大国主命と少彦名命の二柱の神が、初めて名付けたというが、心が「なごむ」という名児山の名を負っているばかりで、私の辛い恋心の千分の一も慰めてはくれないよ。

【語釈】◇冬十一月 天平二年。◇帥 大宰帥大伴旅人◇名児山 福岡県宗像郡の通称ナチゴ山であろうと言う。

【補記】旅人より一足先に大宰府を発ち、京へ帰る時の歌。この「恋」の対象ははっきりしないが、離れてゆく筑紫の地への名残惜しさ、あるいは残して来た旅人たちへの恋しさ、また長い旅路を前にしての都恋しさなど、さまざまな思いが交錯していたのではないかと推察される。

同じき坂上郎女、京(みやこ)にのぼる海路(うみつぢ)にて浜の貝を見て作る歌一首

我が背子に恋ふれば苦しいとまあらば拾ひて行かむ恋忘れ貝(万6-964)

【通釈】あの人を恋しく思えば辛い。旅の道中、暇があったら拾って行こう、恋を忘れさせるという忘れ貝を。

【補記】題詞に「浜の貝を見て」とあるように、忘れ貝に触発されて作った歌。忘れ貝は二枚貝の片方だけになったもの。

【参考歌】作者不明記「万葉集」巻七
暇あらば拾ひにゆかむ住吉の岸によるといふ恋忘れ貝

大伴坂上郎女の筑紫の大城山(おほきのやま)を思ふ歌一首

今もかも大城の山にほととぎす鳴きとよむらむ我なけれども(万8-1474)

【通釈】今頃はまあ大城の山にほととぎすが鳴き声を響かせているだろう。私はもうそこにいないけれども。

【語釈】◇大城山 福岡県大野城市の四王寺山。大野山とも。大宰府から間近に見える。

【補記】夏雑歌。帰京後、筑紫を追想しての作であろう。天平三年以後。

【主な派生歌】
あしひきの国上(くかみ)の山を今もかも鳴きて越ゆらむ山ほととぎす(*良寛)

大伴坂上郎女、姪(をひ)家持が佐保より西の宅(いへ)に帰るときに贈る歌一首

我が背子がる衣薄し佐保風はいたくな吹きそ家に至るまで(万6-979)

【通釈】いとしいあなたが着ている衣は生地が薄い。佐保山から吹き下ろしてくる風はひどく吹くな、家に帰り着くまで。

大伴坂上郎女の月の歌三首

猟高かりたかの高円山を高みかも出で来る月の遅く照るらむ(万6-981)

【通釈】猟高の高円山が高いからだろうか、月がこんなに遅く山の端から出て、照っている。

【語釈】◇猟高 高円山周辺の旧名かと言う。◇高円山 奈良市春日山の南の丘陵地帯。

【補記】下句は「遅く出で来る月の照るらむ」とすべきところ、音数律の都合上語順が入れ替わったのである。

 

ぬば玉の夜霧の立ちておほほしく照れる月夜つくよの見れば悲しさ(万6-982)

【通釈】夜霧が立ち込めて、ぼんやりと照る月夜を見れば悲しいことよ。

 

山の端のささらえ壮士をとこ天の原渡る光見らくしよしも(万6-983)

【通釈】山の端に現れた可愛い月の美男子さんが、天の原を渡りつつ照らす光――なんと素晴らしい眺めだことよ。

【語釈】◇ささらえ壮士 月の異名。「ささら」は小さい意、「えをとこ」は美男子。

【補記】以上三首は月見の宴での作か。直前の安倍虫麻呂の歌「雨ごもる三笠の山を高みかも月の出で来ぬ夜は降(くだ)ちつつ」も同じ時の作かという(『萬葉集釋注』)。

大伴坂上郎女の元興寺(ぐわんごうじ)の里を詠む歌一首

古郷の飛鳥はあれど青丹よし奈良の明日香を見らくしよしも(万6-992)

【通釈】古いゆかりのある飛鳥の里も良いけれど、今が盛りの奈良の明日香を見るのは素晴らしいものです。

【語釈】◇元興寺 奈良市芝新屋町にあった寺。蘇我馬子が建てた飛鳥の法興寺を平城京遷都後に移転したもの。そのため「奈良の明日香」と呼ばれた。現在は僧房の一画が残るのみ。

元興寺
元興寺 奈良市中院町

大伴坂上郎女の親族(うがら)と宴する歌一首

かくしつつ遊び飲みこそ草木すら春はひつつ秋は散りゆく(万6-995)

【通釈】今夜はこうして遊び楽しみ、お酒を召し上がれ。草木ですら、春は毎年生い茂り、秋には散ってしまうのです。

【補記】草木を例えに出して人生のはかなさを言い、宴のこの時を思う存分楽しんでほしいとの心。

夏四月、大伴坂上郎女、賀茂神社を拝(をろが)み奉る時、相坂山を超え、近江の海を望見(みさ)けて、晩頭(ゆふへ)に還り来たる時に作る歌一首

木綿畳ゆふたたみ手向たむけの山を今日越えていづれの野辺に廬りせむ我等われ(万6-1017)

【通釈】手向の山を今日越えて、私たちは今夜どこの野辺で仮寝をすることになるのだろうか。

【語釈】◇賀茂神社 山城国の賀茂別雷(わけいかづち)神社(上賀茂神社)と賀茂御祖(みおや)神社(下賀茂神社)。かつては旧暦四月二の酉の日に祭礼が行なわれた。◇相坂山 逢坂山。近江・山城国境の峠。◇近江の海 琵琶湖。◇木綿畳 木綿を折り畳んで幣としたことから「手向」にかかる枕詞。◇手向の山 神に幣帛を捧げる山。国境の峠などの場合が多い。ここでは逢坂山のこと。

【補記】天平九年の作。なお玉葉集に入集(結句は「いほりせむかも」)。

(をば)大伴氏坂上郎女、越中守大伴宿禰家持に贈る歌二首

つね人の恋ふと言ふよりは余りにて我は死ぬべくなりにたらずや(万18-4080)

【通釈】世の人が普通口にする「恋うる」というのでは足りず、私は死にそうになってしまったではありませんか。

片思ひを馬にふつまに負ほせもて越へにやらば人かたはむかも(万18-4081)

【通釈】私の片思いを馬にどっさり背負わせて、越(こし)の国の方へ遣ったならば、どなたか半分でも担って下さるでしょうか。

【語釈】◇ふつまに 語義未詳。「すっかり」、「太った馬に(乗せて)」などの解釈がある。◇かたはむ 動詞カタフ+推量の助動詞ムか。カタフは他に用例なく不詳だが、「片棒を担ぐ」「一方に心を寄せる」などの解釈がある。「かどひ」(かどわかす)に同じかとも言う。

【補記】天平十八年、家持は国守として越中に赴任した。

京より贈る歌一首 并せて短歌

わたつみの 神のみことの み櫛笥くしげに たくはひおきて いつくとふ たまにまさりて 思へりし 我が子にはあれど うつせみの 世のことわりと 大夫ますらをの 引きのまにまに しなざかる 越路こしぢをさして 這ふ蔦の 別れにしより 沖つ波 とをむ眉引まよびき 大船の ゆくらゆくらに 面影に もとな見えつつ かく恋ひば 老いづく我が身 けだしへむかも(万19-4220)

反歌

かくばかり恋ひしくあらば真澄鏡まそかがみ見ぬ日時なくあらましものを(万19-4221)

右の二首は、大伴氏坂上郎女の女子大嬢に賜ひしなり。

【通釈】[長歌] 海の神様が手箱に大切にしまっておいて大切にするという真珠、それにもまさって愛しく思っていた我が子ですけれど、現世の道理であるからと、官人の夫殿の誘いのままに、遠い越の国をめざして旅立ってしまいました――こうして蔦が別れ別れに伸びてゆくように離別して以来、沖の波がうねるように撓む美しい眉が、大船に乗っているかの如くゆらゆらと面影に見えて仕方なく、このようにひどく恋しがっていたら、老境に至ったわが身、果たして堪え切れるでしょうか。
[反歌] これほど恋しい思いをすると判っていたら、おまえを真澄鏡のようにいつもいつもそばに置いて眺めているのでしたよ。

【補記】天平勝宝二年(750)、夫の家持と共に越中に滞在していた娘の大嬢に贈った歌。制作年が明らかな作としては、坂上郎女の最後の歌である。

悲傷

天平七年、大伴坂上郎女、尼理願りぐわんのみまかれるを悲しみ歎きて作る歌一首 并せて短歌

栲綱たくづのの 新羅しらきの国ゆ 人言ひとごとを 良しとかして 問ひくる 親族うがら兄弟はらから 無き国に 渡り来まして 大君おほきみの きます国に うちひさす 都しみみに 里家さといへは さはにあれども いかさまに 思ひけめかも つれもなき 佐保の山辺に く子なす 慕ひ来まして しきたへの 家をも造り あらたまの 年の長く 住まひつつ いまししものを 生ける者 死ぬといふことに まぬかれぬ 物にしあれば たのめりし 人のことごと 草枕 旅なる間に 佐保川を 朝河渡り 春日野かすがのを 背向そがひに見つつ あしひきの 山辺を指して 晩闇くらやみと かくりましぬれ 言はむすべ 為むすべ知らに 徘徊たもとほり ただ独りして 白栲しろたへの 衣手ころもで干さず 嘆きつつ 我が泣く涙 有間山 雲居たなびき 雨に降りきや(万3-460)

反歌

留め得ぬ命にしあればしきたへの家ゆは出でて雲隠りにき(万3-461)

【通釈】[長歌] 理願尼様は、故郷の新羅の国より、日本の国の評判が良いとお聞きになって、語り合い気を晴らす親族兄弟もいないこの国に渡って来られましたが、天皇のお治めになる我が国では、都にぎっしりと里の家はたくさんあるけれども、どのようにお思いになったものか、縁もない佐保の山辺に、泣く子のように慕って来られて、家も造り、長の年月、お住みになっておられましたのに――生ある者はいつか死ぬということに例外はないので、頼りにしていた人々が皆旅に出ている間に、佐保川を朝に渡り、春日野を後ろに見ながら、山辺を目指して、夕闇とともにお隠れになってしまいました。どう言ってよいのか、どうしたらよいのか、すべを知らず、うろうろするばかりで、たった一人、喪服の袖も乾くことなく嘆きつつ流す涙は、お母様のおられる有馬山の方へ雲となって棚引き、雨となって降ったでしょうか。
[反歌] 留めることの出来ない命ですから、家から出て行き、雲に隠れてしまいました。

【語釈】[長歌]◇栲綱の 「新羅」の枕詞。栲綱は楮(こうぞ)の繊維で作った綱のことで、色が白いので新羅の「しら」に掛けた。◇うちひさす 「都」の枕詞◇しきたへの 「家」の枕詞。敷栲の意で、寝ることに関する語の枕詞となる。◇あらたまの 「年」の枕詞◇草枕 「旅」の枕詞◇あしひきの 「山」の枕詞◇しろたへの衣 喪服。◇有間山 神戸の有馬温泉付近の山。当時坂上郎女の母は療養のため有馬温泉に滞在していた。

【補記】天平七年(735)、新羅から来朝して佐保家に寓居していた尼理願が死去し、留守を預かっていた坂上郎女が葬儀を取り仕切った。この挽歌は有馬温泉に滞在中の母、石川内命婦に宛てたもの。

勅撰集より

題しらず (三首)

潮みてば入りぬる磯の草なれや見らく少なく恋ふらくの多き(拾遺15-967)

【通釈】あの人は、潮が満ちるとすぐ海中に隠れ入ってしまう磯の草だとでもいうのか。姿を見る日は少なく、恋しがる夜ばかりが多いよ。

【補記】万葉集巻7-1394に作者不明記の同じ歌が載っている。また小異歌が「歌経標式」に塩焼王の作として載る。

【主な派生歌】
風吹けばとはに波こす磯なれやわが衣手のかわく時なき(*紀貫之[新古今])
潮みたぬ真野の浜路のさゆりばも入りぬる磯は五月雨のころ(寂蓮)
みるめこそ入りぬる磯の草ならめ袖さへ波の下に朽ちぬる(*讃岐[新古今])
五月雨に入りぬる磯の草よりも雲まの月ぞ見らく少なき(兼氏[新後撰])
とまり舟入りぬる磯の波の音に今夜も夢は見らく少なし(頼氏[風雅])
いづれうき入りぬる磯の夏の夜はみらくすくなき月と夢とに(正徹)

 

志賀の海人の釣にともせる漁り火のほのかに人を見るよしもがな(拾遺15-968)

【通釈】志賀の漁師が釣の時に灯す漁火のように、ほのかにでもあの人を見る手立てがほしいものだ。

【小異歌】作者不明記「万葉集」12-3170
思香のあまの釣し燭せるいざり火のほのかに妹を見むよしもがも

 

岩根ふみ重なる山はなけれども逢はぬ日数を恋ひやわたらむ(拾遺15-969)

【通釈】あの人との間に、岩根を踏み越えて行くような、重畳する山々はないのだけれども、逢えない多くの日々を私は恋し続けるのだろうか。

【小異歌】作者不明記「万葉集」11-2422
石根踏み重成山はあらねども逢はぬ日まねみ恋ひわたるかも

【主な派生歌】
雲かかりかさなる山をこえもせず隔てまさるは明くる日のかげ(藤原定家)


更新日:平成15年12月08日
最終更新日:平成23年04月10日