大伴坂上大嬢 おおとものさかのうえのおおいらつめ 生没年未詳

大伴宿奈麻呂と坂上郎女の間の長女。家持の従妹、のち正妻。名は坂上大娘とも見える。大嬢を「おほひめ」「おほをとめ」などと訓む説もある。天平四年(732)頃から家持との間に歌の贈答が見られるが、その後離絶。天平十一年(739)年頃から再び交渉を持ち、恭仁に都があった頃(天平十二〜十六年)、家持の正妻になったかと思われる。万葉集には十一首所載。以下にはそのうちの九首を選んだ。

大伴坂上家の大娘の大伴宿禰家持に贈る歌四首

生きてあらば見まくも知らず何しかも死なむよ妹と(いめ)に見えつる(万葉4-581)

【通釈】生きていれば会うこともあるかも知れません。それなのにどうして貴方は「もう死んでしまうよ、おまえ」などと言って夢に出て来たのですか。

【語釈】◇大娘 普通「大嬢」と同じく「おほいらつめ」と訓む(但し「おほをとめ」と訓む説も)。いずれにしても一家の長女に対する敬称である。

【補記】万葉集の歌の排列からすると、天平四年(732)頃の作。相手の家持はまだ十五歳ほどの少年で、大嬢はまだ幼い少女であったことになり、本連作を母坂上郎女の代作と見る論者が少なくない。しかし万葉集巻四はさほど厳密な年次構成を取っているわけではなく(例えば少し後に出て来る笠女郎の連作などは、かなり長い期間にわたる作であることがその内容から明らかである)、代作説を取る必要はない。ともあれ大嬢の最初期の作品には違いない。

 

大夫(ますらを)もかく恋ひけるを手弱女の恋ふる心にたぐひあらめやも(万葉4-582)

【通釈】貴方のようなますらおでさえ、それほどに恋い焦がれるものだったのですね。まして私は手弱女、その恋する心の苦しさには、比べるものもないほどです。

【語釈】◇手弱女(たわやめ) 若草のように撓みやすい、しなやかで年若い女。原文は「幼婦」。「手弱女」は当て字であるが、すでに万葉集に用例がある。

【補記】相手が夢にあらわれたと詠んだ前歌を承けて「ますらをもかく恋ひけるを」と言う。

 

月草のうつろひやすく思へかも我が思ふ人のことも告げこぬ(万葉4-583)

【通釈】私のことを月草のように移ろいやすいと思っているからでしょうか、私の思う人が何とも言って寄越さないのは。

露草 鎌倉市二階堂にて
月草(露草)の花

【語釈】◇月草 露草の古名。初夏から秋にかけて、早朝、鮮やかな青紫色の小花を咲かせるが、午後には萎んでしまう。染色に用いられたが、色が褪せやすいため、うつろいやすいものの喩えとして歌に詠まれることが多かった。

【補記】相手に強く問いかけた前二首からトーンを転じ、自身の内心に問いかけるような形をとる。もとより言外には、自身の心が「うつろひやす」いものではないことを相手に訴えているのである。

 

春日山朝立つ雲の居ぬ日なく見まくのほしき君にもあるかも(万葉4-584)

【通釈】春日山に毎朝かならず雲がかかっているように、一日も欠かさずに会いたいと思う貴方なのです。

【語釈】◇春日山(かすがやま) 奈良市の東郊、春日山・若草山など一帯の山々の総称。

【補記】四首の締めくくり。普段眺めている景に寄せて、自身の思いを率直に抒べている。

大伴坂上大嬢の大伴宿禰家持に贈る歌三首

玉ならば手にも巻かむをうつせみの世の人なれば手に巻きがたし(万4-729)

【通釈】あなたが玉であったなら、緒に通して腕に巻き、肌身離さずいようものを。この世の人であるから、手に巻くことは難しい。

【語釈】◇手に巻く 腕飾りにして纏き付けること。また抱擁する意にもなり、ここでは掛詞風に両義を意識して用いているのだろう。

【補記】家持の和した歌は「我が思ひかくてあらずは玉にもがまことも妹が手に纏かれむを」(大意:こんな思いばかりしていないで、いっそ玉になって妹の手に巻かれていたいものです)。

【参考歌】大伴家持「万葉集」巻三
朝に日に見まく欲りするその玉をいかにせばかも手ゆ離れずあらむ

 

逢はむ夜は何時もあらむを何すとかその宵逢ひて(こと)の繁きも(4-730)

【通釈】夜逢う機会は他にいくらもあったでしょうに、どういうつもりでか、あの晩お逢いしてしまって、ひどく噂が立ってしまったことです。

【補記】家持の和した歌は「空蝉の代やも二行く何すとか妹にあはずて我(あ)が独り寝む」(大意:現実の世は二度繰り返されるだろうか、いや繰り返されはしない、たった一度きりのかけがえのない現世に、どうして妹に会えずに私は独りで寝るのだろう)。

 

我が名はも千名(ちな)五百名(いほな)に立ちぬとも君が名立たば惜しみこそ泣け(4-731)

【通釈】私の名は千も五百も噂に立ってかまいませんけれど、あなたの名が一度でも立ってしまったら、惜しんで泣くことでしょう。

【補記】家持の和した歌は「今しはし名の惜しけくも我はなし妹に因りては千遍立つとも」(大意:今はもう名など私は惜しくありません。愛しいあなたのためにだったら、たとえ千遍噂に立とうとも)。

【参考歌】鏡女王「万葉集」巻二
玉くしげ覆ふを安み明けていなば君が名はあれど我が名し惜しも

同じ坂上大嬢の家持に贈る歌一首

春日山霞たな引き心ぐく照れる月夜に独りかも寝む(万4-735)

【通釈】春日山に霞が棚引いて月が朧に照っている――あの人は来るのか、来ないのか。こんなにぼんやりと切ない気持を抱いて、今宵私は独り寝るのだろうか。

【補記】家持の和した歌は「月夜には門に出で立ち夕占(ゆふけ)問ひ足占(あうら)をそせし行かまくをほり」(大意:月の出ている夜には、門のところに出て行って、夕占で吉凶を問い、また足卜で正否を占いました。あなたのもとへ行きたいと思って)。

同じ坂上大嬢の家持に贈る歌(二首より一首)

かにかくに人は言ふとも若狭道の後瀬(のちせ)の山の後も逢はむ君(万4-737)

【通釈】私たちの仲をああだこうだと人は言いましょうとも、若狭路の後瀬山ではありませんが、後々またお逢いしましょう、あなた。

【語釈】◇後瀬の山 福井県小浜市にある山。「のち」を言うために使われているが、逢う日までの長い道のりを暗示してもおり、巧みな用法である。後世、歌枕・俳枕として数多くの歌・句に詠まれた。

【補記】家持の和した歌は「後瀬山のちも逢はむと思へこそ死ぬべきものを今日までも生けれ」(大意:後瀬山の名のように後には逢おうと思うからこそ、本当なら死んでしまうところを、何とか今日まで生き延びてきたのではありませんか)。

【他出】五代集歌枕、古来風躰抄、歌枕名寄、夫木和歌抄、新拾遺集

【主な派生歌】
思ひ出でよ忘れやしぬる若狭路や後瀬の山と契りしものを(藤原俊成)
たのめおきし後瀬の山のひとことや恋をいのりの命なりける(藤原定家)
逢ひ見てし後瀬の山の後もなど通はぬ道の苦しかるらん(良覚[新後撰])


更新日:平成15年12月29日
最終更新日:平成20年09月30日