宗岳大頼 むねおかのおおより 生没年未詳

伝不詳。『古今和歌集目録』には、「先祖不詳。算博士」とある。古今集の詞書によれば越の国に住んでいたことがあり、凡河内躬恒と親しかったらしい。古今集に二首のみ。

題しらず

冬河のうへはこほれる我なれや下にながれて恋ひわたるらむ(古今591)

【通釈】冬の川のように、表面だけは氷っている私というわけか。だから、うわべは澄ましているけれども、氷の下を水が流れるように、泣きながらずっと恋し続けているのだろう。

【補記】「ながれて」に「泣かれて」を掛ける。また、「わたる」は河の縁語。

【主な派生歌】
水鳥のうへはこほれる羽衣いでいりあらふ波のまもなし(賀茂保憲女)
ただ一重上は氷れる河の面にぬれぬ木の葉ぞ風に流るる(九条左大臣女[玉葉])
世中ようへはこほれる冬川のしられぬにこそわたりかねぬれ(三条西実隆)

むねをかのおほよりが越よりまうできたりける時に、雪のふりけるを見て「おのが思ひはこの雪のごとくなむつもれる」といひけるをりによめる   凡河内躬恒

君が思ひ雪とつもらばたのまれず春よりのちはあらじとおもへば

【通釈】あなたの思いが雪のように積もったとおっしゃるのなら、あてにできませんねえ。春になった後は、消えてなくなるだろうと思いますから。

返し

君をのみ思ひこしぢのしら山はいつかは雪のきゆる時ある(古今979)

【通釈】あなたばかりを思いながら後にして来た越路の白山は、いつ雪の消える時などあるでしょう。そのように、雪と積もった私の思いも決して消えることなどありません。

【補記】大頼が越(北陸)から都にやって来た時、躬恒と贈答した歌。「こしぢ」に「来し」を掛ける。「しら山」は加賀白山。四時雪の消えない山とされていた。

【主な派生歌】
かねてよりおもひこしぢのあらち山ことわり過ぐる峰の白雪(藤原知家)
はるかにも思ひこしぢの春の雁かへる山をば都にぞ見る(後柏原天皇)
人をのみ思ひこしぢのはてなれや身を白雪のつもる恨みは(宗良親王)


最終更新日:平成14年11月03日