上総国朝夷(あさひな)郡の人。丸子連の出身。上丁(かみつよほろ)。天平勝宝七歳(755)二月、防人として筑紫に派遣される。
家風は日に日に吹けど我妹子が家言持ちて来る人も無し(万20-4353)
【通釈】家の方から来る風は毎日吹くけれども、我が家の妻の伝言を持って来てくれる人などは居ない。
【補記】故郷の上総を離れ、筑紫への旅の途上での作。「家風」「家言」につき佐佐木信綱は造語であろうと言い、「両語の対立反映は、よい効果を挙げてゐる」と評している(『評釈万葉集』)。
更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日
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