楫取魚彦 かとりなひこ 享保八〜天明二(1723-1782) 号:茅生(ちぶ)

享保八年(1723)三月二日、父伊能景栄、母すめの長男として下総国香取郡佐原村に生れる。本姓は伊能といったが、のち、故郷の名に因み楫取姓を名のった。通称、茂左衛門。
六歳で父を亡くし、十三歳で村名主となる。建部綾足に画を学び、また俳諧も能くした(俳号は青藍)。宝暦九年(1759)、正式に賀茂真淵の門人となる。明和二年(1765)、江戸に移住し、浜町の真淵邸――県居(あがたい)――に軒を並べて住んだ。加藤宇万伎橘千蔭村田春海と共に県門四天王と称される。真淵没後は県門の指導的地位に立ち、各地の大名をはじめ全国に多数の門人を持った。天明二年(1782)三月二十三日、浜町にて逝去。六十歳。墓所は千葉県佐原市牧野の観福寺。
安永五年(1776)と六年の歌を自ら記した家集『楫取魚彦家集』が伝存する。古学派の集大成的歌集『八十浦之玉』等にも数首の歌を残す。編著には仮名遣辞典『古言梯(こげんてい)』、万葉集秀歌撰『万葉集千歌』をはじめ、『続冠辞考』『万葉名所歌集』『万葉集新釈』などがある。

「楫取魚彦家集」 校註国歌大系15・新編国歌大観9

  4首  0首  3首  0首  0首  4首 計11首

春のはじめの歌 安永五年

皇神(すめかみ)天降(あも)りましける日向(ひむか)なる高千穂の(たけ)やまづ霞むらむ(楫取魚彦家集)

【通釈】春が来ると、皇祖神が高天原から天降られた日向の国の高千穂の嶺が真っ先に霞むのだろうか。

【語釈】◇皇神(すめかみ) 天皇家の祖先神。この歌では瓊瓊杵尊のこと。◇天降(あも)りましける 天下りなさった。高天原から天孫が降臨して地上を支配したとの神話に基づく。◇高千穂(たかちほ)の岳(たけ) 降臨神話の山。宮崎県の霧島山高千穂峰とする説、同県高千穂町の山とする説が古来対立。

【補記】我が国統治の起源神話を通じて新春を言祝ぐ。五十四歳の作。

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十三
葦原の 水穂の国に たむけすと 天降りましけむ 五百万 千万神の 神代より(後略)

春の夕、墨田河に船をうかぶといふことを(長歌略)

とほしろく清くさやけき山河のかはらず絶えず常にもがもな(楫取魚彦家集)

【通釈】雄大で、清く冴え冴えとした山と川が、いつまでも変わらず同じままであってほしい。

【語釈】◇墨田河 秩父山地に発して東京湾に注ぐ荒川の支流。隅田川。

【参考歌】山部赤人「万葉集」巻三
三諸の 神名備山に 五百枝さし しじに生ひたる 栂の木の いや継ぎ嗣ぎに 玉かづら 絶ゆることなく ありつつも 止まず通はむ 明日香の ふるき都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見がほし 秋の夜は 川しさやけし 朝雲に たづは乱れ 夕霧に かはづは騒く 見るごとに ねのみし泣かゆ いにしへ思へば
  吹黄刀自「万葉集」巻一
河のへのゆつ岩群に草むさず常にもがもなとこをとめにて

春の海とふことを

天雲の向伏(むかぶ)すをちのわたつみの霞める方ゆ船ぞみえくる(楫取魚彦家集)

【通釈】天の雲が垂れ込めている遥かな海の霞んだ彼方から、船があらわれ、段々はっきりと見えて来るよ。

【補記】安永五年春の歌。万葉語彙を用いた力強い調べが、雄大な景をなおさら堂々とさせる。

【参考歌】山上憶良「万葉集」巻五
(前略)この照らす 日月の下は 天雲の 向伏す極み たにぐくの さ渡る極み(後略)

猿をよめる

奥山の木の実とりはむ猿すらも春は花咲く枝にまじれり(楫取魚彦家集)

【通釈】奥山の木の実を取って食う猿ですら、春には花咲く枝の中に交じっているよ。

【語釈】◇猿すらも 花にまじるのは人だけでなく猿も…という心。

【補記】俳諧味のある一首。俳号「青藍」を持つ俳家でもあった魚彦の才の一面を見せる。「ひばりを」の題で詠んだ一首は、「春の野にひばりきかんととめくれば八重棚雲の上にぞありける」と、芭蕉「雲雀より空にやすらふ峠かな」を思わせる。

八月十四日、墨田河に船をうかべて

秩父嶺を(をち)にみさけて久方の(あめ)ゆく月のてれる国原(楫取魚彦家集)

【通釈】秩父の峰々を遥か遠く見て、天を渡る月がいちめんに光を放つ国原よ。

【語釈】◇秩父嶺(ちちぶね) 武蔵国秩父の峰々。隅田川の水源にあたる。◇国原 万葉集の舒明天皇御製に「国原は 煙たちたつ 海原は かまめたちたつ」とあるように、海原に対して陸の平原を意味するが、国讃めの心が籠る語でもある。

【補記】安永五年秋の詠。

【参考歌】柿本人麻呂「万葉集」巻三
ひさかたの天行く月を網に刺し我が大君は蓋(きぬがさ)にせり

葛をよめる

しばの野に葛引くをとめ家のらへ此野づかさに葛引くをとめ(楫取魚彦家集)

【通釈】しばの野に葛(くず)の蔓を引く娘よ。どこの家の子か、告げなさい。この野の丘で葛の蔓を引く娘よ。

【語釈】◇しばの野 司馬の野。万葉集巻十の歌「国栖(くにす)らが春菜摘むらむ司馬の野のしばしば君を思ふこの頃」に由来する地名で、大和国吉野あたり。葛の名産地。◇葛引く 葛の蔓を引く。葛の根から葛粉を取るため。◇家のらへ 万葉集巻頭の雄略天皇御製にある語句「家聞かな 名告らさね」に由来する。

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十
ほととぎす鳴く声聞くや卯の花の咲き散る丘に葛引くをとめ

雲を

天の原吹きすさみたる秋風にはしる雲あればたゆたふ雲あり(楫取魚彦家集)

【通釈】大空を吹きすさんでいる秋風に、素速く流れ行く雲もあれば、ゆらゆらと漂う雲もある。

【補記】絵師でもあった作者の観察眼の確かさを感じさせる一首。窪田空穂はこの歌に魚彦の「詩魂」を見ている(『和文和歌集』解説)。

浦を

風の音のとほつ大浦にはをよみはららにうける海人の釣舟(楫取魚彦家集)

【通釈】風の音が遠く聞こえる遠津大浦は海面が穏やかなので、点々とのどかに浮かんでいる、漁師の釣舟よ。

【語釈】◇風の音の 万葉集東歌に「かぜのとの遠き我妹(わぎも)が着せし衣たもとのくだりまよひきにけり」と、「風の音の」を「遠き」の枕詞風修飾句に用いているのに倣ったもの。◇とほつ大浦 万葉集に見える地名。琵琶湖北部の大浦湾。◇にはをよみ 「には」は漁場となる海面。「よみ」は「良いので」の意。

【補記】家集では次の一首を近江での作としており、この歌も実際に琵琶湖を訪れての作らしい。

【参考歌】柿本人麻呂「万葉集」巻三
飼飯の海の庭よくあらし苅薦の乱れ出づ見ゆ海人の釣船

詠鯨

大海(おほうみ)に島もあらなくに沖辺(おきへ)ゆも大島なして鯨寄り来も(楫取魚彦家集)

【通釈】大海に島もありはしないのに、沖の方から大きな島のようにして鯨が寄って来るよ。

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻七
大海に島もあらなくに海原のたゆたふ波に立てる白雲

四月廿三日、父まさずなりて四十九年なれば、後のわざすとて、おきつきの前にしてよめる

ちちの実の父いまさずて五十年(いそとせ)に妻あり子ありその妻子あり(楫取魚彦家集)

【通釈】父が亡くなって五十年が経ち――妻と子は生きて存り、子の妻子も存る。

【語釈】◇おきつき 「おくつき」に同じ。墓のこと。◇ちちの実の 同音から「父」にかかる枕詞。◇妻あり子あり 亡父の妻と子、すなわち作者にしてみれば母と自分を指す。◇その妻子(つまこ) 作者の妻子を指す。

【補記】安永六年、亡父の五十回忌における作。事実を淡々と単純に言い下した下句に、却って死後五十年という歳月の長さと重さが滲み出る。

藤原の宇万伎の身まかりし頃、雁のこゑを聞きて

吾がごとく今しも友やまどはせる()わたる雁の声のかなしも(楫取魚彦家集)

【通釈】私と同様、今この時、友の魂も行方を惑わされているのだろうか。夜空を渡って行く雁の声の悲しいことよ。

【補記】同門の加藤宇万伎は安永六年六月十日、没。魚彦より二歳年長だった。

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十
朝に行く雁の鳴く音は吾が如く物思へれかも声の悲しき
  紀友則「後撰集」
声たててなきぞしぬべき秋霧に友まどはせる鹿にはあらねど


公開日:平成18年02月18日
最終更新日:平成18年02月18日