久米禅師 くめのぜんじ 生没年未詳

伝不詳。「禅師」は師僧に対する称号であるが、俗人の名であろうともいう(萬葉集古義)。万葉集巻二に石川郎女との贈答歌三首が載る。

久米禅師、石川郎女を(つまど)ふ時の歌五首

みこもかる信濃の真弓我が引かば貴人(うまひと)さびて否と言はむかも(万2-95)

【通釈】信濃の檀で作った弓の弦を引くように、私があなたの袖を引いたなら、貴人ぶって、イヤだとおっしゃるでしょうかね。

【語釈】◇みこもかる 原文「水薦苅」。「信濃」の枕詞

みこもかる信濃の真弓引かずして弦著(をは)くるわざを知ると言はなくに 郎女

【通釈】信濃の真弓を実際引きもしないで、弦をかける方法を知っているなどと言いません。(私を従えたいのなら、本気でお誘いなさい。)

梓弓引かばまにまに寄らめども後の心を知りかてぬかも 郎女

【通釈】弓を引くように、本気で私を引っ張ったなら、お誘いのままに靡きましょうけれど、一度許したのち、あなたの心はどうなるか、私には判りかねます。

梓弓弓弦(つらを)取り()け引く人は後の心を知る人ぞ引く(万2-98)

【通釈】弦をつけて梓弓を引く人は、どうなるか判っているからこそ引くのです。そのように、女を誘う男は、先々まで相手の心を読み取った上で誘うのですよ。(私もあなたも、心変わりなどするものですか。)

東人(あづまと)荷前(のさき)の箱の()の緒にも妹が心に乗りにけるかも(万2-99)

【通釈】東国の人が献上品の初穂を入れた箱の荷をしばる紐のように、あなたは私の心にすっかり乗りかかってしまった。もう忘れることなど出来ません。

【補記】石川郎女は不詳。同名の人物は万葉集にたびたび登場するが、そのうちの誰かと同一人かどうかも不明。
「どうやら、五首には、男女が妻問い(共寝)をなしとげる時の模範的なやりとりを示す歌として語り継がれる歴史があったらしい。そこには、法師すらかくうたうという意識を伴う享受の姿勢もあったのかもしれない」(伊藤博『萬葉集釋注』)。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日