初名は光豊。後に義豊。通称は右京・隼人。戸田茂睡の従兄。幕府御書院番を務める。
和歌は飛鳥井雅章の門人本多重世に学ぶ。二万五千首を越える歌を詠んだというが、家集は伝存しない。江戸の武家歌人の作を集めた私撰集の編纂を発意したが果たさず、戸田茂睡がその遺志を継いで編んだのが『鳥の迹』である(近世和歌撰集集成一・新編国歌大観六)。同集の最多入集歌人であり、収載歌八百三十首のうち三割以上を玉山の歌が占める。
以下には『鳥の迹』より七首を抄出した。
雨中花
雨かすみ吹くとしもなき風のゆふべ花しめやかにかをりみちつつ
【通釈】雨が霞のようにほのかに降り、吹くという程でもなく風の吹く夕暮時、桜の花の香がひっそりとあたりに満ちてくる。
【補記】桜は梅などに比べるとさしたる香りはないが、山地に自生する山桜には幽かな芳香がある。霞のような雨が降り、風のほとんど無い日であれば、山桜の森は得も言われぬほのかな香に満ちるだろう。当時なお異端視されていた京極派を思わせる繊細な詠風で、第三句の字余りも玉葉・風雅の風韻を匂わせる。
【参考歌】花園院「新千載集」
春風は吹くとしもなき夕暮に木ずゑの花ものどかにぞ散る
雨中柳
みどりそふ堤の柳うちしめり春雨かすむ夕ぐれの道
【通釈】緑の色が差し添う堤の柳はしっとりと潤って、春雨が霞んで見える夕暮の道よ。
【補記】自然の風物に浸透するような皮膚感覚の叙景歌で、やはり京極派の影響が顕著に見られる。
【参考歌】伏見院「伏見院御集」
うちしめりみどりの木ずゑのどかにて藤の色こき雨の夕ぐれ
永福門院右衛門督「風雅集」
見るままに軒ばの花はさきそひて春雨かすむをちの夕ぐれ
浦月
わたの原暮るれば見えぬ
【通釈】海原は日が暮れると、何処からが天か見分けがつかないが、月が昇ればその光によって天地の境い目を知るのである。
【補記】月の出によって水平線の在り処を知る。海に昇る月を雄大な趣向で歌い上げている。
夕雪(二首)
この夕べ雪ふりぬべし薄曇り日の影よわみ風寒き空
【通釈】今夜はきっと雪が降るだろう。空を見れば薄曇りの日の光は弱く、風が寒々と吹いている。
【語釈】◇ふりぬべし 必ず降るに違いない。この完了の助動詞「ぬ」は、将来の事柄について、既定の事実であるかのように見なしていることを示す。
【補記】「夕雪」は鎌倉後期あたりから好まれた歌題。掲出歌は「この夕べ雪ふりぬべし」と日常平生の感懐を詠み、かつ空の有様を写実的に描いて、当時正統と見なされていた二条家風の題詠の旧套を脱している。
夕日影雲のいづこに残るぞと暮るる色なき雪に見るかな
【通釈】夕日の光は雲のどこに残っているのかと、日が暮れても一向にその気配がない雪景色に眺めるのである。
【補記】一面に積もった雪によって、日が暮れてもあたりは明るい。それで夕日がまだ雲の中に残っているのかと、空にその在り処を探ってしまう。雪の積もった夕暮に誰しもおぼえる錯覚であろう。『鳥の迹』には同題で詠んだ玉山の歌がもう一首収められている。「暮れやらで光をしばし残しけん雲に入日の雪にゆづりて」。
【参考歌】伏見院「風雅集」
ふりつもる色より月のかげになりて夕ぐれみえぬ庭のしら雪
旅の歌の中に
あとさきと見えつ隠れつせし人も同じ里とふ夕暮の声
【通釈】後になり先になって、見えたり隠れたりしていた人も、同じ里を訪れたことを知る、夕暮の声よ。
【補記】同じ道を旅して来た見知らぬ人が、村人に宿を問う声を聞き、袖触り合う縁にしみじみとした旅情をおぼえている。
暮山松風
同じ松同じ山さへさびしきはいかなる風か暮に吹くらん
【通釈】日ごろ見慣れた同じ松、同じ山であるのに、それさえも寂しく感じられるのは、どのような風が夕暮に吹くのだろうか。
【補記】夕暮、山の松を鳴らして吹く風(松籟)に尋常でない寂寥を感じている。
【参考歌】和泉式部「詞花集」
秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらん
源通光「新古今集」
武蔵野やゆけども秋の果てぞなきいかなる風か末に吹くらむ
公開日:平成20年01月27日
最終更新日:平成22年04月07日