源顕房 みなもとのあきふさ 長暦一〜寛治八(1037-1094) 号:六条右大臣

村上源氏。右大臣師房の子。母は藤原道長女、尊子。娘の賢子は白河院后となり、善仁親王(堀河天皇)を生む。妻の源隆子(六条右大臣北方)、男子の雅実(久我太政大臣)・顕仲国信も勅撰歌人。待賢門院堀河源雅定藤原忠通は孫にあたる。具平親王は祖父にあたる。
永承二年(1047)、従五位下(祐子内親王御給)。同年元服し、侍従に任ぜられる。右少将・右権中将・蔵人頭などを経て、康平四年(1061)、参議。治暦三年(1067)、権中納言。延久四年(1072)、権大納言。永保三年(1083)、右大臣。寛治八年、従一位。のち贈正一位。
天喜四年(1056)五月、頭中将のとき歌合を主催(「六条右大臣家歌合」と通称される)。承暦二年(1078)四月の内裏歌合、寛治七年(1093)五月の郁芳門院根合で判者を務める。
後拾遺集初出。代々の勅撰集に14首入集している。『大鏡』の著者とする説がある。

京極前太政大臣布引の滝見侍りける時、よみ侍りける

水の色のただ白雲と見ゆるかな(たれ)さらしけむ布引の滝(千載1037)

【通釈】水の色がまるっきり白雲のように見えるなあ。誰が晒してこんなに白くしたのだろう、布引の滝は。

【語釈】◇京極前太政大臣 藤原師実◇布引の滝 摂津国の歌枕。いまの神戸市中央区。生田川の上流。

前々中宮はじめてうちへいらせ給ひけるに、雪ふりて侍りければ六条右大臣のもとへつかはしける   宇治前太政大臣

ゆきつもる年のしるしにいとどしくちとせの松の花さくぞ見る

【通釈】雪が降り積もるように、積もり重なる歳月――そのご利益として、千年の長寿を約束する松がいっそう花咲くのを見るのですね。

【語釈】◇前々中宮 白河天皇の中宮、賢子。延久元年(1069)三月、東宮であった白河天皇に入内。◇六条右大臣 顕房。賢子の実父。◇宇治前太政大臣 藤原師実。賢子の養父。◇ゆきつもる 「ゆき」は「(年が)行き」「雪」の掛詞。◇松の花 稀に咲くものとされ、長寿の象徴とされた。「花咲く」は養女賢子の入内をも暗示する。

かへし

積もるべし雪積もるべし君が代は松の花咲く千たび見るまで(金葉330)

【通釈】積もれ、雪よ積もれ。あなたの齢はこの雪のように積み重り、稀にしか咲かない松の花が咲くのを、千度も見るまで永く続くでしょう。

【補記】顕房の実子で師実の養女となった賢子が、延久元年(1069)三月、東宮であった白河天皇に入内した時の贈答歌。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成18年07月19日