やまとうたQ&A集


Q1-5.国歌「君が代」の出典は? 何かの和歌集に載っているのですか?

A.古今集巻七、賀部巻頭によく似た歌が載っています。
わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで
「君が代」とは、最初の句が違うだけですね。
初句を「君が代は」とした最古の例は、普通『和漢朗詠集』(平安時代中期に藤原公任が編集した詩歌集)であろうと言われています。江戸時代に流布した版本を見ると、大概「君が代は…」となっているのです。ところが、伝藤原行成筆の信頼できる『和漢朗詠集』の古写本等では古今集と同じ「我が君は…」の形で出ているそうです。したがって、流布本の「君が代は…」は、誤写か改竄と考えた方が良いようです。
鎌倉時代以降の様々な歌書に「君が代は…」の形で引用されているのですが、平安時代以前の古典的な歌集に「君が代は…」の確実な典拠を見い出すことはできないのです。
結局、「君が代」の歌詞の出所については、「古今集巻七巻頭歌の異伝として、かなり昔から伝わってきたらしい」ということくらいしか言えないのではないでしょうか。

余談ですが、「君が代」の出典を薩摩琵琶歌であるとする見方もあり得ます。
初めて国歌として「君が代」に曲をつけたのは、明治二年頃、イギリス歩兵隊の軍楽隊長として日本に在留していたフェントンですが、その時用いられた歌詞は、薩摩琵琶歌「蓬莱山」中にあった「君が代は…」であったとされているのです(出雲寺敬和『古樂の眞髓』)。これは現在の「君が代」と全く同一の歌詞で、その意味では「君が代の歌詞の出典は薩摩琵琶歌である」という言い方も不可能ではない、というわけです。
フェントンの曲は式典などで国歌として演奏されるようになりましたが、評判が悪く、やがて使われなくなってしまいました。その後、明治十三年、海軍省がフェントンの曲を改訂する形で、林広守作曲(奥好義との合作とも言う)・エッケルト編曲で現在の「君が代」が完成した、と言われています。
詳しくは、山田孝雄『君が代の歴史』をお読みになるとよいと思います。



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最終更新日:平成15年11月17日
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