訓読万葉集 巻5 ―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―


巻第五(いつまきにあたるまき)


雑歌(くさぐさのうた)


太宰帥(おほみこともちのかみ)大伴の(まへつきみ)の凶問に報へたまふ歌一首(ひとつ)、また序

禍故重畳(かさな)り、凶問(しき)りに集まる。(ひたぶる)に心を崩す悲しみを懐き、独り腸を断つ(なみだ)を流す。但両君の大助に依りて傾命(わづか)に継ぐのみ。筆言を尽さず。古今歎く所なり。

0793 世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり

神亀(じむき)五年(いつとせといふとし)六月(みなつき)二十三日(はつかまりみかのひ)


筑前守(つくしのみちのくちのかみ)山上臣憶良(やまのへのおみおくら)(みまか)れる()悲傷(かな)しめる(からうた)一首、また序*

盖し聞く、四生の起滅は、夢に(あた)りて皆空なり。三界の漂流は、環の息まざるに喩ふ。所以に維摩大士は方丈に在りて、疾に染む(うれひ)を懐くこと有り。釋迦能仁は双林に坐し、(ない)オン*の苦を免るること無しと。故に知る、二聖至極すら、力負の()ぎて至るを払ふこと能はず。三千世界、誰か能く黒闇の捜り来たるを逃れむ。二鼠(にそ)競ひ走りて、目を(わた)る鳥(あした)に飛び、四蛇争ひ侵して、隙を過ぐる駒夕に走る。嗟乎(ああ)痛きかな。紅顏三従と共に長逝し、素質四徳と(とも)に永滅す。何そ図らむ、偕老要期に違ひ、独飛半路に生ぜむとは。蘭室の屏風徒らに張り、断腸の哀しみ弥よ痛し。枕頭の明鏡空しく懸かり、染ヰン*の涙逾よ落つ。泉門一掩すれば、再見に由無し。嗚呼哀しきかな。
 愛河の波浪已く先づ滅び
 苦海の煩悩また結ぶこと無し
 従来此の穢土を厭離す
 本願生を彼の浄刹に託せむ


日本挽歌(かなしみのやまとうた)一首、また短歌(みじかうた)

0794 大王(おほきみ)の 遠の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫(つくし)の国に
   泣く子なす 慕ひ来まして 息だにも いまだ休めず
   年月も 幾だもあらねば 心ゆも 思はぬ間に
   打ち靡き ()やしぬれ 言はむすべ 為むすべ知らに
   岩木をも 問ひ()け知らず 家ならば 形はあらむを
   恨めしき 妹の命の (あれ)をばも いかにせよとか
   にほ鳥の 二人並び居 語らひし 心背きて 家(ざか)りいます

反し歌

0795 家に行きて如何にか()がせむ枕付く妻屋(さぶ)しく思ほゆべしも

0796 ()しきよしかくのみからに慕ひ()し妹が心のすべもすべ無さ

0797 悔しかもかく知らませば青丹よし国内(くぬち)ことごと見せましものを

0798 妹が見し(あふち)の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ()なくに

0799 大野山(おほぬやま)霧立ち渡る我が嘆く息嘯(おきそ)の風に霧立ち渡る

神亀五年七月(ふみつき)二十一日(はつかまりひとひ)筑前国(つくしのみちのくちのくに)(かみ)山上憶良(たてまつ)る。


惑へる(こころ)(かへ)さしむる歌一首、また序

或る人、父母敬はずして、侍養を忘れ、妻子を顧みざること脱履よりも軽し。自ら異俗先生(せむじやう)と称る。意気青雲の上に揚がると雖も、身体は猶塵俗の中に在り。未だ修行得道の聖を()らず。蓋し是山沢に亡命する民なり。所以(かれ)三綱を指示(しめ)して、更に五教を開く。遣るに歌を以て、其の惑ひを反さしむ。その歌に曰く、

0800 父母を 見れば貴し 妻子(めこ)見れば めぐし(うつく)
   遁ろえぬ 兄弟(はらから)親族(うがら) 遁ろえぬ 老いみ(いとけ)
   朋友(ともかき)の 言問ひ交はす*
 世の中は かくぞことわり
   もち鳥の かからはしもよ 早川の* ゆくへ知らねば
   穿沓(うけぐつ)を 脱き()るごとく 踏み脱きて 行くちふ人は
   石木(いはき)より 成りてし人か ()が名()らさね
   (あめ)へ行かば 汝がまにまに (つち)ならば 大王(おほきみ)います
   この照らす 日月(ひつき)の下は 天雲の 向伏(むかふ)す極み
   蟾蜍(たにぐく)の さ渡る極み 聞こし()す 国のまほらぞ
   かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか

反し歌

0801 久かたの天道(あまぢ)は遠し黙々(なほなほ)に家に帰りて(なり)を為まさに


子等を(しぬ)ふ歌一首、また序

釋迦如来金口(こんく)正に説きたまへらく、等しく衆生を思ふこと、羅ゴ羅*の如しとのたまへり。又説きたまへらく、愛は子に過ぐること無しとのたまへり。至極の大聖すら、子を(うつく)しむ心有り。況乎(まして)世間の蒼生(あをひとぐさ)、誰か子を愛まざる。

0802 瓜()めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ
   いづくより 来りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとなかかりて
   安眠(やすい)()さぬ

反し歌

0803 (しろかね)(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも


世間(よのなか)(とどま)り難きを哀しめる歌一首、また序

集め易く排し難し、八大辛苦。遂げ難く尽し易し、百年の賞楽。古人の歎きし所、今また及ぶ。所以因(かれ)一章の歌を作みて、以て二毛の歎きを(のぞ)く。其の歌に曰く、

0804 世間(よのなか)の すべなきものは 年月は 流るるごとし
   取り続き 追ひ来るものは 百種(ももくさ)に 迫め寄り来たる
   娘子(をとめ)らが 娘子さびすと 唐玉を 手本に巻かし
   白妙の 袖振り交はし 紅の 赤裳(あかも)裾引き
   よち子らと 手(たづさ)はりて 遊びけむ 時の盛りを
   留みかね 過ぐしやりつれ (みな)(わた) か黒き髪に
   いつの間か 霜の降りけむ ()()なす (おもて)の上に
   いづくゆか 皺か来たりし ますらをの (をとこ)さびすと
   剣太刀 腰に取り佩き さつ弓を ()握り持ちて
   赤駒に 倭文鞍(しつくら)うち置き 這ひ乗りて 遊び歩きし
   世間や 常にありける 娘子らが 閉鳴(さな)す板戸を
   押し開き い辿り寄りて 真玉手(またまで)の 玉手さし交へ
   さ寝し夜の いくだもあらねば 手束杖(たつかづえ) 腰に(たが)ねて
   か行けば 人に(いと)はえ かく行けば 人に憎まえ
   ()よし()は かくのみならし 玉きはる 命惜しけど 為むすべもなし

反し歌

0805 常磐なすかくしもがもと思へども世の事なれば留みかねつも

神亀五年七月の二十一日、嘉摩(かま)の郡にて撰定(えら)ぶ。筑前国守山上憶良。


太宰帥大伴の卿の相聞歌(したしみうた)二首*
〔脱文〕*
歌詞両首 太宰帥大伴卿

0806 (たつ)()も今も得てしか青丹よし奈良の都に行きて来むため

0807 うつつには逢ふよしも無しぬば玉の夜の(いめ)にを継ぎて見えこそ

大伴淡等(たびと)謹状。

官氏報ふる歌二首*

伏して来書を(かたじけな)くす。(つぶさ)に芳旨を承る。忽ち漢を隔つる恋を成し、復た梁を抱く意を傷む。唯(とも)しくは、去留恙無く、遂に雲を(ひら)かむことを待つのみ。

答ふる歌二首

0808 龍の馬を(あれ)は求めむ青丹よし奈良の都に来む人の(たに)

0809 (ただ)に逢はずあらくも多し*敷細(しきたへ)の枕去らずて夢にし見えむ

姓名謹状。


(かみ)大伴の卿の梧桐(きり)日本琴(やまとこと)中衛大将(なかのまもりのつかさのかみ)藤原の卿に贈りたまへる歌二首*

梧桐の日本琴一面(ひとつ) 對馬ノ結石山ノ孫枝ナリ
此の琴、夢に娘子(をとめ)()りて曰けらく、「(われ)根を遥島の崇巒(すうれむ)()せ、(から)九陽(くやう)の休光に(さら)す。長く烟霞を帯びて、山川の(くま)に逍遥す。遠く風波を望みて、雁木の間に出入りす。唯百年の後、空しく溝壑(こうがく)に朽ちなむことを恐れき。(たまた)ま長匠に遭ひて、散りて小琴と為りき。質(あら)く音少きを顧みず、恒に君子(うまひと)の左琴とならむことを希ふ」といひて、即ち歌ひけらく、

0810 いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の()()が枕かむ

(われ)その詩詠(うた)(こた)へけらく、

0811 言問はぬ木にはありとも(うるは)しき君が()馴れの琴にしあるべし

琴の娘子が答曰()へらく、「敬みて徳音を(うけたま)はる。幸甚幸甚」といへり。片時にして覚めたり。即ち夢の言に(かま)け、慨然として黙止(もだ)り得ず。(かれ)公使(おほやけつかひ)に附けて、聊か進御(たてまつ)るのみ。 謹状不具

天平(てんびやう)元年十月の七日、使に附けて進上(たてまつ)る。

謹みて中衛高明閤下(たてまつ)る 謹空。


中衛大将藤原の卿の報へたまふ歌一首*

跪きて芳音を承はる。嘉懽(こもごも)深し。乃ち龍門の恩復た蓬身の上に厚きことを知りぬ。恋望殊念、常心に百倍す。謹みて白雲の什に和へて、野鄙の歌を(たてまつ)る。房前謹状。

0812 言問はぬ木にもありとも我が背子が手馴れの御琴(つち)に置かめやも

十一月八日、還る使大監(おほきまつりごとひと)に附けて、
謹みて尊門記室に(たてまつ)る。


山上臣憶良が鎮懐石を詠める歌一首、また短歌*

筑前国怡土郡(いとのこほり))深江村(ふかえのむら)子負原(こふのはら)、海に()ひたる丘の上に二の石有り。大きなるは長さ一尺(ひとさかまり)二寸(ふたき)六分(むきだ)(うだ)き一尺八寸(やき)六分、重さ十八斤(とをまりむはかり)五両(いつころ)。小さきは長さ一尺一寸、囲き一尺八寸、重さ十六斤十両。並皆(みな)楕円にして状鶏の子の如し。其の美好(うるはし)きこと、()へて論ふベからず。所謂径尺璧これなり 或は云く、此の二の石は肥前国彼杵郡平敷の石にして、占に当りて取ると。深江の駅家を去ること二十許里(はたさとばかり)、近く路頭在り。公私の往来、馬より下りて跪拝(をろが)まざるは莫し。古老相伝へて曰く、往者(いにしへ)息長足日女(おきながたらしひめ)の命、新羅の国を征討(ことむけ)たまひし時、茲の両の石を(もち)て御袖の中に挿著(さしはさ)みたまひて、以て鎮懐と為したまふと 実はこれ御裳の中なり所以(かれ)行人(みちゆきひと)此の石を敬拝すといへり。乃ち歌よみすらく、

0813 かけまくは あやに畏し 足日女(たらしひめ) 神の命
   韓国(からくに)を 向け平らげて 御心を 鎮めたまふと
   い取らして (いは)ひたまひし 真玉なす 二つの石を
   世の人に 示したまひて 万代に 言ひ継ぐがねと
   (わた)の底 沖つ深江の 海上(うなかみ)の 子負の原に
   御手づから 置かしたまひて 神ながら 神さびいます
   奇御魂(くしみたま) 今の(をつつ)に 貴きろかも

0814 天地のともに久しく言ひ継げとこの奇御魂敷かしけらしも

右ノ事伝ヘ言フハ、那珂郡伊知郷蓑島ノ人、建部牛麻呂(タテベノウシマロ)ナリ。


太宰帥大伴の卿の宅に宴してよめる*梅の花の歌三十二首(みそぢまりふたつ)、また序

天平二年(ふたとせといふとし)正月(むつき)十三日(とをかまりみかのひ)(かみ)(おきな)(いへ)(つど)ひて、宴会を()ぶ。時に初春の令月、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉を(ひら)き、蘭は珮後の香を薫らす。加以(しかのみにあらず)曙は嶺に雲を移し、松は(うすきぬ)を掛けて(きぬかさ)を傾け、夕岫(せきしふ)に霧を結び、鳥はうすもの*(こも)りて林に迷ふ。庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。是に天を盖にし地を(しきゐ)にして、膝を促して(さかづき)を飛ばし、言を一室の(うち)に忘れ、衿を煙霞の外に開き、淡然として自放に、快然として自ら足れり。若し翰苑にあらずは、何を以てか(こころ)のベむ*。請ひて落梅の篇を(しる)さむと。古今それ何ぞ異ならむ。園梅を賦し、聊か短詠(みじかうた)()むベし。

0815 正月立ち春の来らばかくしこそ梅を折りつつ楽しき終へめ 大弐(おほきすけ)紀卿

0816 梅の花今咲けるごと散り過ぎず我が()の園にありこせぬかも 少弐(すなきすけ)小野大夫

0817 梅の花咲きたる園の青柳は(かづら)にすべく成りにけらずや 少弐粟田大夫

0818 春さればまづ咲く屋戸の梅の花独り見つつや春日暮らさむ 筑前守山上大夫

0819 世の中は恋繁しゑやかくしあらば梅の花にも成らましものを 豊後守(とよくにのみちのしりのかみ)大伴大夫

0820 梅の花今盛りなり思ふどち挿頭(かざし)にしてな今盛りなり 筑後守(つくしのみちのしりのかみ)葛井大夫

0821 青柳梅との花を折り挿頭(かざ)し飲みての後は散りぬともよし 某官笠氏沙弥*

0822 我が園に梅の花散る久かたの天より雪の流れ来るかも 主人(あるじ)

0823 梅の花散らくはいづくしかすがにこの()の山に雪は降りつつ 大監大伴氏百代*

0824 梅の花散らまく惜しみ我が園の竹の林に鴬鳴くも 少監(すなきまつりごとひと)阿氏奥島

0825 梅の花咲きたる園の青柳を縵にしつつ遊び暮らさな 少監土氏百村

0826 打ち靡く春の柳と我が屋戸の梅の花とをいかにか分かむ 大典(おほきふみひと)史氏大原

0827 春されば木末(こぬれ)(がく)りて鴬ぞ鳴きて去ぬなる梅が下枝(しづえ)少典(すなきふみひと)山氏若麻呂

0828 人ごとに折り挿頭しつつ遊べどもいやめづらしき梅の花かも 大判事(おほきことわるつかさ)舟氏麻呂

0829 梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべく成りにてあらずや 薬師(くすりし)張氏福子(さきこ)

0830 万代に年は来経(きふ)とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし 筑前介佐氏子首(こびと)

0831 春なればうべも咲きたる梅の花君を思ふと夜寐(よい)も寝なくに 壹岐守(いきのかみ)板氏安麻呂

0832 梅の花折りて挿頭せる諸人は今日の間は楽しくあるべし 神司(かむつかさ)荒氏稲布(いなふ)

0833 年のはに春の来らばかくしこそ梅を挿頭して楽しく飲まめ 大令(おほきふみひと)史野氏宿奈麻呂

0834 梅の花今盛りなり百鳥の声の(こほ)しき春来たるらし 少令史(すなきふみひと)田氏肥人(うまひと)

0835 春さらば逢はむと()ひし梅の花今日の遊びに相見つるかも 薬師高氏義通

0836 梅の花手折り挿頭して遊べども飽き足らぬ日は今日にしありけり 陰陽師(うらのし)磯氏法麻呂

0837 春の野に鳴くや鴬なつけむと我が()の園に梅が花咲く 算師(かぞへのし)*志氏大道

0838 梅の花散り(まが)ひたる岡びには鴬鳴くも春かたまけて 大隅目(おほすみのふみひと)榎氏鉢麻呂(もひまろ)

0839 春の()に霧立ちわたり降る雪と人の見るまで梅の花散る 筑前目田氏眞人

0840 春柳かづらに折りし梅の花誰か浮かべし酒坏の()壹岐目村氏彼方(をちかた)

0841 鴬の音聞くなべに梅の花我ぎ家の園に咲きて知る見ゆ 對馬目高氏老

0842 我が屋戸の梅の下枝に遊びつつ鴬鳴くも散らまく惜しみ 薩摩目高氏海人

0843 梅の花折り挿頭しつつ諸人の遊ぶを見れば都しぞ思ふ 土師氏御通

0844 妹が()に雪かも降ると見るまでにここだも(まが)ふ梅の花かも 小野氏国堅

0845 鴬の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子が為 筑前拯(まつりごとひと)門氏石足

0846 霞立つ長き春日を挿頭せれどいやなつかしき梅の花かも 小野氏淡理

員外(かずよりほか)故郷(くに)(しぬ)ふ歌両首(ふたつ)

0847 我が盛りいたく(くだ)ちぬ雲に飛ぶ薬()むともまた変若(をち)めやも

0848 雲に飛ぶ薬食むよは都見ばいやしき()が身また変若ぬべし

後に追ひて()める(うめのはな)の歌四首

0849 残りたる雪に交れる梅の花早くな散りそ雪は()ぬとも

0850 雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも

0851 我が屋戸に盛りに咲ける梅の花散るべくなりぬ見む人もがも

0852 梅の花夢に語らく風流(みやび)たる花と(あれ)()ふ酒に浮かべこそ


松浦河(まつらがは)に遊びて贈り答ふる歌八首、また序

(われ)暫く松浦県(まつらがた)に往きて逍遥し、玉島の潭に臨みて遊覧するに、忽ち魚釣る女子等に()へり。花容双び無く、光儀匹ひ無し。柳葉を眉中に開き、桃花を頬上に(ひら)く。意気雲を凌ぎ、風流世に絶えたり。(われ)問ひけらく、「誰が郷誰が家の児等ぞ。若疑(けだし)神仙ならむか」。(をとめ)等皆咲みて答へけらく、「児等は漁夫の(いへ)の児、草菴の(いや)しき者、郷も無く家も無し。なぞも()()るに足らむ。唯性水に便り、復た心に山を楽しぶ。或は洛浦に臨みて、徒に王魚を(とも)しみ、(あるい)は巫峡に臥して空しく烟霞を望む。今邂逅(わくらば)貴客(うまひと)相遇()ひ、感応に勝へず、輙ち款曲を陳ぶ。今より後、豈に偕老ならざるべけむや」。下官(おのれ)対ひて曰く、「唯々(をを)、敬みて芳命を(うけたま)はりき」。時に日は山西に落ち、驪馬(りば)去なむとす。遂に懐抱を()べ、因て詠みて贈れる歌に曰く、

0853 漁りする海人の子どもと人は言へど見るに知らえぬ貴人(うまひと)の子と

答ふる(うた)に曰く、

0854 玉島のこの川上に家はあれど君を(やさ)しみ顕はさずありき

蓬客等(をのれ)また贈れる歌三首

0855 松浦川川の瀬光り鮎釣ると立たせる妹が裳の裾濡れぬ

0856 松浦なる玉島川に鮎釣ると立たせる子らが家道知らずも

0857 遠つ人松浦の川に若鮎(わかゆ)釣る妹が手本を我こそ巻かめ

娘等(をとめら)また報ふる歌三首

0858 若鮎釣る松浦の川の川波の並にし()はば我恋ひめやも

0859 春されば我家(わぎへ)の里の川門(かはど)には鮎子さ走る君待ちがてに

0860 松浦川七瀬の淀は淀むとも我は淀まず君をし待たむ

後れたる人の追ひて()める(うた)三首 都帥老*

0861 松浦川川の瀬早み紅の裳の裾濡れて鮎か釣るらむ

0862 人皆の見らむ松浦の玉島を見ずてや我は恋ひつつ居らむ

0863 松浦川玉島の浦に若鮎釣る妹らを見らむ人の(とも)しさ


吉田連宜(よしだのむらじよろし)が答ふる歌四首*

(よろし)(まを)す。伏して四月の六日の賜書を(うけたまは)り、跪きて封函を開き、芳藻を拝読するに、心神の開朗たること、泰初が月を(うだ)きしに似たり。鄙懐の除こること、樂廣が天を(ひら)きしが若し。至若(しかのみにあらず)、辺域に羇旅し、古旧を懐ひて志を傷ましむ。年矢停まらず、平生を憶ひて涙を(なが)す。但達人は排に安みし、君子は悶り無し。伏して(こひねがは)くは、朝に(きぎし)*(なつ)くる化を宣べ、暮に亀を放つ術を(たも)ち、張趙を百代に架し、松喬を千齢に追はむのみ。兼ねて垂示を奉はる、梅苑の芳席、群英藻をのべ*、松浦の玉潭、仙媛の贈答、杏壇各言の作に(たぐ)へ、衡皐税駕の篇に(なぞら)ふ。耽読吟諷し、感謝歓怡す。(よろし)主を(しぬ)ふ誠、誠に犬馬に逾ゆ。徳を仰ぐ心、心(きつ)カク*に同じ。而るに碧海地を分ち、白雲天を隔て、徒に傾延を積む。(なぞ)も労緒を慰めむ。孟秋膺節、伏して願はくは万祐日新たむことを。今相撲部領使(すまひことりつかひ)に因りて、謹みて片紙を付く。宜謹みて啓す。不次。

諸人の梅の花の歌に(なぞら)(まつ)一首(ひとうた)

0864 後れ居て長恋せずは御苑生(みそのふ)の梅の花にも成らましものを

松浦仙媛(まつらをとめ)の歌に和ふる一首

0865 君を待つ松浦の浦の娘子らは常世の国の海人娘子かも

君を思ふこと未だ尽きずてまた(しる)せる二首(うたふたつ)

0866 はろばろに思ほゆるかも白雲の千重に隔てる筑紫の国は

0867 君が(ゆき)()長くなりぬ奈良道なる山斎(しま)の木立も神さびにけり

天平二年(ふたとせといふとし)七月の十日(とをかのひ)


山上臣憶良が松浦の歌三首(みつ)*

憶良誠惶頓首謹啓す。憶良聞く、方岳の諸侯、都督の刺使、(みな)典法に依りて部下を巡行し、其の風俗を()る。意内端多く、口外出し難し。謹みて三首の鄙歌を以て、五蔵の欝結を写さむとす。其の歌に曰く、

0868 松浦(がた)佐用姫(さよひめ)の子が領巾(ひれ)振りし山の名のみや聞きつつ居らむ

0869 足姫(たらしひめ)神の命の()釣らすとみ立たしせりし石を誰見き

0870 百日(ももか)しも行かぬ松浦道今日行きて明日は()なむを何か(さや)れる

天平二年七月の十一日、筑前国司山上憶良謹みて(たてまつ)る。


領巾麾(ひれふり)()を詠める歌一首*

大伴佐提比古(さでひこ)良子(いらつこ)(ひとり)朝命(おほみこと)(かが)ふり、藩国(みやつこくに)奉使()けらる。艤棹(ふなよそひ)して()き、稍蒼波を(あつ)む。その()松浦佐用嬪面(さよひめ)、此の別れの易きを(なげ)き、()の会ひの難きを嘆く。即ち高山の嶺に登りて遥かに(さか)()く船を望む。悵然として腸を断ち、黯然として(たま)()つ。遂に領巾を脱きて()る。傍者流涕(かなし)まざるはなかりき。(かれ)此の山を領巾麾の嶺と(なづ)くといへり。乃ち作歌(うたよみ)すらく、

0871 遠つ人松浦佐用姫夫恋(つまこひ)に領巾振りしより負へる山の名

後の人が追ひて(なぞら)ふる歌一首

0872 山の名と言ひ継げとかも佐用姫がこの山の()に領巾を振りけむ

(いと)後の人が追ひて和ふる歌一首

0873 万代に語り継げとしこの(たけ)に領巾振りけらし松浦佐用姫

最最(いといと)後の人が追ひて和ふる歌二首

0874 海原(うなはら)の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫

0875 ゆく船を振り留みかね如何ばかり(こほ)しくありけむ松浦佐用姫


書殿(ふみとの)餞酒(うまのはなむけ)せる日の倭歌(やまとうた)四首

0876 (あま)飛ぶや鳥にもがもや都まで送り申して飛び帰るもの

0877 人皆の*うらぶれ居るに立田山御馬(みま)近づかば忘らしなむか

0878 言ひつつも後こそ知らめ(しま)しくも*(さぶ)しけめやも君いまさずして

0879 万代にいまし給ひて天の下(まを)し給はね朝廷(みかど)去らずて


敢へて私(おもひ)()ぶる歌三首

0880 天ざかる(ひな)五年(いつとせ)住まひつつ都の風俗(てぶり)忘らえにけり

0881 かくのみや息づき居らむあら玉の来経(きへ)ゆく年の限り知らずて

0882 ()が主の御霊(みたま)賜ひて春さらば奈良の都に召上(めさ)げ賜はね

天平二年十二月(しはす)六日(むかのひ)、筑前国司山上憶良、謹みて(たてまつ)る。


三島王の後に追ひて(なぞら)へたまへる松浦佐用嬪面の歌一首

0883 音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が領巾振りきとふ君松浦山


大典(おほきふみひと)麻田連陽春(あさたのむらじやす)が大伴君熊凝(くまこり)(かは)りて志を述ぶる歌二首*

0884 国遠き道の長手をおほほしく()ふや過ぎなむ言問(ことどひ)もなく

0885 朝露の()やすき()が身他国(ひとくに)に過ぎかてぬかも親の目を欲り


筑前の国司守(みこともちのかみ)山上憶良が、熊凝に(かは)りて其の志を述ぶる歌に敬みて(なぞら)ふるうた六首、また序

大伴君熊凝は、肥後国(ひのみちのしりのくに)益城郡(ましきのこほり)の人なり。年十八歳(とをまりやつ)。天平三年(みとせといふとし)六月(みなつき)十七日(とをかまりなぬかのひ)を以て、相撲使(すまひのつかひ)某の国の(みこともち)官位姓名の従人(ともびと)と為り、京都(みやこ)参向(まゐのぼ)る。天為るかも不幸、路に在りて疾を獲、即ち安藝国佐伯郡(さいきのこほり)高庭(たかには)駅家(うまや)にて、身故(みまか)りぬ。臨終(まか)らむとする時、長歎息(なげ)きて曰く、「伝へ聞く、仮合の身滅び易く、泡沫の命駐め難し。所以に千聖已く去り、百賢留まらず。况乎(まして)凡愚の微しき者、何ぞも能く逃れ避らむ。但我が老親、(みな)菴室に在りて、我を侍つこと日を過ぐし、自ら心を傷む恨み有らむ。我を望むこと時を違へり。必ず明を喪ふ(なみだ)を致さむ。哀しき哉我が父、痛き哉我が母。一身死に向かふ途を(うれ)へず、唯二親在生の苦を悲しむ。今日長く別れ、何れの世かも観ることを得む」。乃ち歌六首(むつ)()みて(みまか)りぬ。其の歌に曰く、

0886 打日さす 宮へ上ると たらちしの 母が手離れ
   常知らぬ 国の奥処(おくか)を 百重山 越えて過ぎゆき
   いつしかも 都を見むと 思ひつつ 語らひ居れど
   おのが身し (いた)はしければ 玉ほこの 道の隈廻(くまみ)
   草手折り 柴取り敷きて 床じもの うち()い伏して
   思ひつつ 嘆き伏せらく 国にあらば 父とり見まし
   家にあらば 母とり見まし 世間(よのなか)は かくのみならし
   犬じもの 道に伏してや 命過ぎなむ

0887 たらちしの母が目見ずておほほしくいづち向きてか()が別るらむ

0888 常知らぬ道の長手を暗々(くれくれ)といかにか行かむ(かりて)は無しに

0889 家にありて母が取り見ば慰むる心はあらまし死なば死ぬとも

0890 出でてゆきし日を数へつつ今日今日と()を待たすらむ父母らはも

0891 一世には二遍(ふたたび)見えぬ父母を置きてや長く()が別れなむ


貧窮問答の歌一首、また短歌

0892 風(まじ)り 雨降る()の 雨雑り 雪降る夜は
   すべもなく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ
   糟湯酒(かすゆさけ) うち(すす)ろひて (しはぶ)かひ 鼻びしびしに
   しかとあらぬ 髭掻き撫でて (あれ)をおきて 人はあらじと
   誇ろへど 寒くしあれば 麻衾(あさふすま) 引き(かがふ)
   布肩衣(ぬのかたきぬ) ありのことごと 着()へども 寒き夜すらを
   我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ
   妻子(めこ)どもは 乞ひて泣くらむ この時は いかにしつつか ()が世は渡る
   天地は 広しといへど ()が為は ()くやなりぬる
   日月は (あか)しといへど ()が為は 照りやたまはぬ
   人皆か ()のみやしかる わくらばに 人とはあるを
   人並に (あれ)も作るを 綿も無き 布肩衣の
   海松(みる)のごと (わわ)(さが)れる かかふのみ 肩に打ち掛け
   伏廬(ふせいほ)の 曲廬(まげいほ)の内に 直土(ひたつち)に 藁解き敷きて
   父母は 枕の方に 妻子どもは (あと)の方に
   囲み居て 憂へ(さまよ)ひ 竈には 火気(けぶり)吹き立てず
   (こしき)には 蜘蛛の巣かきて (いひ)(かし)く ことも忘れて
   ぬえ鳥の のどよび居るに いとのきて 短き物を
   端切ると 云へるが如く 笞杖(しもと)執る 里長(さとをさ)が声は
   寝屋処(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世間(よのなか)の道

0893 世間を憂しと(やさ)しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

0900 富人の家の子どもの着る身なみ(くた)し捨つらむ絹綿らはも*

0901 荒布(あらたへ)の布衣をだに着せかてにかくや嘆かむ為むすべを無み

山上憶良頓首謹みて上る。


好去好来の歌一首、また短歌*

0894 神代より 言ひ伝て()らく そらみつ (やまと)の国は
   皇神(すめかみ)の (いつく)しき国 言霊(ことたま)の (さき)はふ国と
   語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと
   目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども
   高光る 日の朝廷(みかど) 神ながら 愛での盛りに
   天の下 (まを)したまひし 家の子と 選びたまひて
   大御言 反云、大命(オホミコト) 戴き持ちて (もろこし)の 遠き境に
   遣はされ 罷りいませ 海原の ()にも沖にも
   神づまり (うしは)きいます 諸々の 大御神たち
   船の舳に 反云、フナノヘニ 導きまをし 天地の 大御神たち
   倭の 大国御魂(みたま) 久かたの (あま)のみ空ゆ
   天翔(あまかけ)り 見渡したまひ 事終り 帰らむ日には
   又更に 大御神たち 船の舳に 御手うち掛けて
   墨縄を ()へたるごとく 阿庭可遠志* 値嘉(ちか)の崎より
   大伴の 御津の浜びに (ただ)()てに 御船は泊てむ
   (つつ)みなく 幸くいまして 早帰りませ

反し歌

0895 大伴の御津の松原かき掃きて我立ち待たむ早帰りませ

0896 難波津に御船泊てぬと聞こえ来ば紐解き放けて立ち走りせむ

天平五年三月の一日 良宅対面、献ルハ三日ナリ。山上憶良 謹みて上る。
大唐大使(もろこしにつかはすつかひのかみ)の卿の記室。


沈痾自哀文 山上憶良作

(ひそ)かに(おもひみ)るに、朝夕山野に佃食する者すら、猶災害無くして世を度ることを得 謂ふは、常に弓箭を執りて六斎を避けず、値ふところの禽獣、大小を論はず、孕めるとまた孕まざると、並皆(みな)殺し食らふ。此を以て業と為す者をいへり。昼夜河海に釣漁する者すら、尚慶福有りて俗を経ることを全くす 謂ふは、漁夫潜女各勤むるところ有り。男は手に竹竿を把りて、能く波浪の上に釣り、女は腰に鑿と籠を帯び、潜きて深潭の底に採る者をいへり况乎(まして)我胎生より今日に至るまで、自ら修善の志有り、曽て作悪の心無し 謂ふは、諸悪莫作、諸善奉行の教へを聞くことをいへり。所以に三宝を礼拝し、日として勤まざるは無く 毎日誦経、発露、懺悔せり、百神を敬重し、夜として欠けたること()謂ふは、天地諸神等を敬拝するをいへり嗟乎(ああ)(やさ)しき*かも、我(いか)なる罪を犯してか此の重疾に遭へる 謂ふは、未だ過去に造りし罪か、若しは是現前に犯せる過なるかを知らず、罪過を犯すこと無くは、何ぞ此の病を獲むやといへり。初めて痾ひに沈みしより已来(このかた)、年月稍多し 謂ふは、十余年を経たるをいへり。是の時年七十有四、鬢髪斑白にして、筋力汪羸(わうるい)。但に年老いるのみにあらず、復た斯の病を加へたり。諺に曰く、「痛き瘡は塩を灌ぎ、短き材は端を截る」といふは、此の謂なり。四支動かず、百節皆疼み、身体太だ重きこと、猶鈞石を負へるがごとし 二十四銖を一両と為し、十六両を一斤を為し、卅斤を一鈞と為し、四鈞を一石と為す、合せて一百廿斤なり。布を懸けて立たむとすれば、翼折れたる鳥の如く、杖に倚りて歩まむとすれば、跛足(あしなへ)(うさぎうま)(たぐ)ふ。吾、身已く俗を穿ち、心も亦塵に(つな)がるるを以て、禍の伏す所、祟の隠るる所を知らむと欲ひ、亀卜の門、巫祝の室に、徃きて問はずといふこと無し。若しは実なれ、若しは(いつはり)なれ、其の教ふる所に隋ひ、幣帛を奉り、祈祷せずといふこと無し。然れども弥よ苦を増す有り、曽て減差()ゆること無し。吾聞く、前代に多く良医有りて、蒼生の病患を救療す。楡柎、扁鵲、華他、秦の和緩、葛稚川、陶隠居、張仲景等のごときに至りては、皆是世に在りし良医にして、除愈せずといふこと無しと 扁鵲、姓は秦、字は越人、勃海郡の人なり。胸を割きて心腸を採りて之を置き、()るるに神薬を以てすれば、即ち寤めて平の如し。華他、字は元化、沛国のセフ*の人なり。若し病結積(むすぼ)沈重(おも)れる者有らば、内に在る者は腸を刳きて病を取る。縫ひ復して膏を摩れば、四五日にして()。件の(くすし)を追ひ望むとも、敢へて及ぶ所にあらじ。若し聖医神薬に逢はば、仰ぎ願はくは五蔵を割刳()きて百病を抄採(さぐ)り、尋ねて膏*奥処(あうしよ)*(いた)*は鬲なり。心の下を膏とす。之を改むること()からず。之に達れども及ばず、薬至らず、二竪の逃れ匿りたるを顕さむと() 謂ふは、晉の景公疾み、秦の(くすし)緩視て還りしは、鬼の為に殺さると謂ふべしといへり。命根既く尽き、其の天年を終りてすら、なほ哀しと為す 聖人賢者一切含霊、誰か此の道を免れむ。何ぞ况んや、生録未だ半ばならずして、鬼に枉殺せられ、顏色壮年にして、病に横困せらる者をや。世に在るの大患、孰れか此より甚だしからむ 志恠記に云く、「廣平の前の大守、北海の徐玄方の女、年十八歳にして死ぬ。其の霊、馮馬子に謂ひて曰く、『我が生録を案ふるに、寿(よはひ)八十余歳なるべし。今妖鬼の為に枉殺されて、已に四年を経たり』と。此に馮馬子に遇ひて、乃ち更活(よみがへ)ることを得たり」といふは是なり。内教に云く、「瞻浮州の人は寿百二十歳なり」と。謹みて此の数を案ふるに、(うたがた)も此を過ぐること得ずといふに非ず。故に寿延経に云はく、「比丘有り、名を難逹と曰ふ。命終の時に臨み、仏に詣でて寿を請ひ、則ち十八年を延べたり」といふ。但善を為す者のみ、天地と相畢()はる。其の寿夭は、業報の招く所にして、其の脩短に隋ひて半ばと為る。未だ斯の算に盈たずしてすみやかに死去す。故に未だ半ばならずと曰ふ。任徴君曰く、「病は口より入る。故に君子は其の飲食を(つつし)む」と。斯に由りて言はば、人の疾病に遇ふは必も妖鬼にあらず。それ医方諸家の広説、飲食禁忌の厚訓、知ること易く行ふこと難き鈍情の、三つは目に盈ち耳に満つこと由来久し。抱朴子に曰く、「人は但其の(まさ)に死なむ日を知らず、故に憂へざるのみ。若し誠に、羽カク*期を延ぶること得べき者を知らば、必ず之を為さむ」と。此を以て観れば、乃ち知りぬ、我が病は盖しこれ飲食の招く所にして、自ら治むること能はぬものか。帛公略説に曰く、「伏して思ひ自ら励むに、斯の長生を以てす。生は貪るべし、死は(おそ)るべし」と。天地の大徳を生と曰ふ。故に死人は生鼠に及かず。王侯為りと雖も、一日気を絶たば、金を積むこと山の如くありとも、誰か富と()む。威勢海の如くありとも、誰か貴しと為む。遊仙窟に曰く、「九泉下の人、一銭にだに(あたひ)せず」と。孔子の曰く、「天に受けて、変易すべからぬものは形なり、命に受けて請益すべからぬものは寿(いのち)なり」と 鬼谷先生の相人書に見ゆ。故に生の極りて貴く、命の至りて重きことを知る。言はむと欲へば言窮まる。何を以てか言はむ。(おもひはか)らむと欲へば(おもひはか)り絶ゆ、何に()りてか慮らむ。惟以(おもひ)みれば、人賢愚と無く、世古今と無く、(ことごと)(みな)嗟歎(なげ)く。歳月競ひ流れ、昼夜(いこ)はず 曾子曰く、「往きて反らぬものは年なり」と。宣尼の川に臨む歎きも亦是なり。老疾相催し、朝夕侵し(さは)ぐ。一代の歓楽、未だ席前に尽きずして 魏文の時賢を惜しむ詩に曰く、「未だ西花の夜を尽さず、(たちまち)北芒*の塵となる」と。千年の愁苦、更に坐後を継ぐ 古詩に云く、「人生百に満たず、何ぞ千年の憂を懐かむ」若夫(それ)群生品類、皆尽くること有る身を以て、(とも)に窮り無き命を求めずといふこと莫し。所以に道人方士の自ら丹経を負ひ、名山に入りて合薬する者は、性を養ひ神を(よろこ)び、以て長生を求む。抱朴子に曰く、「神農云く、『百病愈えずは、(いかに)ぞ長生を得む』」と。帛公又曰く、「生は好き物なり。死は悪しき物なり」と。若し不幸にして長生を得ずは、猶生涯病患無き者を以て福大と為さむか。今吾病を為し悩を見、臥坐を得ず。東に向かひ西に向かひ、為す所知ること莫し。福無きこと至りて甚しき、すべて我に集まる。人願へば天従ふ。如し実有らば、仰ぎ願はくは、(たちまち)に此の病を除き、(さきはひ)に平の如くあるを得む。鼠を以て喩とす、豈に愧ぢざらむや 已に上に見ゆ


俗道仮合即離、去り易く留まり難きを悲歎する詩一首、また序

竊に(おもひみ)るに、釋慈の示教 釋氏慈氏を謂へり、先に三帰 仏法僧に帰依するを謂へり、五戒 謂ふは、一に不殺生、二に不偸盗、三に不邪婬、四に不妄語、五に不飲酒をいへりを開きて遍く法界を(おもむ)け、周孔の垂訓は、前に三綱 謂ふは、君臣・父子・夫婦をいへり、五教謂ふは、父義・母慈・兄友・弟順・子孝をいへりを張りて、斉しく邦国を(すく)ふ。故に知る、引導は二ありと雖も、悟を得たるは惟一なりと。但(おもひみ)れば世に恒質無し、所以に陵谷更に変る。人に定期無し、所以に寿夭同じからず。撃目の間、百齢已に尽き、申臂(しんぴ)(けい)千代(せんだい)亦空し。旦には席上の主となり、夕には泉下の客となる。白馬走り来るとも、黄泉(くわうせん)は何にか及ばむ。隴上の青松、空しく信釼を懸け、野中の白楊、但悲風に吹かる。是に知る、世俗本より隠遁の室無く、原野唯長夜の(うてな)のみ有り。先聖已に去り、後賢留まらず。如し贖ひて免るべきこと有らば、古人誰か価金無からむ。未だ独り(ながら)へて遂に世の終を見る者を聞かず、所以に維摩大士は玉体を方丈に疾み、釋迦能仁は金容を双樹に掩へり。内教に曰く、「黒闇の後に来らむを欲せずは、徳天の先に至るに入ること莫かれ」と 徳天は生なり。黒闇は死なり。故に知る、生必ず死有り、死若し(ねが)はざらむは、生まれぬには如かず。况乎(まして)縦ひ始終の恒数を覚るとも、何にぞ存亡の大期を(おもひはか)らむ。
 俗道の変化は撃目の如く
 人事の経紀は申臂の如し
 空しく浮雲と大虚を行き
 心力共に尽きて寄る所無し


老身重病年を経て辛苦(くる)しみ、また児等を思ふ歌五首 長一首、短四首

0897 玉きはる (うち)の限りは* 平らけく 安くもあらむを
   事もなく 喪なくもあらむを 世間(よのなか)の 憂けく辛けく
   いとのきて 痛き(きず)には 辛塩を 灌ぐちふごとく
   ますますも 重き馬荷に 表荷(うはに)打つと いふことのごと
   老いにてある ()が身の上に 病をら 加へてしあれば
   昼はも 嘆かひ暮らし 夜はも 息づき明かし
   年長く 病みしわたれば 月重ね 憂へさまよひ
   ことことは 死ななと()へど 五月蝿(さばへ)なす 騒く子どもを
   (うつ)てては 死には知らず 見つつあれば 心は燃えぬ
   かにかくに 思ひ煩ひ 音のみし泣かゆ

反し歌

0898 慰むる心は無しに雲隠れ鳴きゆく鳥の音のみし泣かゆ

0899 すべもなく苦しくあれば出で走り()ななと()へど子等に(さや)りぬ

0902 水沫(みなわ)なす脆き命も栲縄(たくなは)の千尋にもがと願ひ暮らしつ

0903 しづたまき数にもあらぬ身にはあれど千年にもがと思ほゆるかも 去ル神亀二年ニ作メリ。但類ヲ以テノ故ニ更ニ茲ニ載ス

天平五年六月の丙申(ひのえさる)(つきたち)三日(みかのひ)戊戌(つちのえいぬ)作めり。


男子(をのこ)名は古日(ふるひ)を恋ふる歌三首 長一首、短二首

0904 世の人の 貴み願ふ 七(くさ)の 宝も(あれ)
   何せむに 願ひ(ほり)せむ* 我が中の 生れ出でたる
   白玉の 我が子古日は 明星(あかぼし)の 明くる(あした)
   敷細(しきたへ)の 床の辺去らず 立てれども 居れども共に
   掻き撫でて 言問ひ*(たは)れ 夕星(ゆふづつ)の 夕べになれば
   いざ寝よと 手を携はり 父母も うへはな(さか)
   三枝(さきくさ)の 中にを寝むと (うるは)しく しが語らへば
   いつしかも 人と成り出でて 悪しけくも 吉けくも見むと
   大船の 思ひ頼むに 思はぬに 横様(よこしま)風の
   にはかにも* 覆ひ来たれば 為むすべの たどきを知らに
   白妙の たすきを掛け 真澄鏡 手に取り持ちて
   天つ神 (あふ)()()み 国つ神 伏して額づき
   かからずも かかりもよしゑ 天地の 神のまにまと*
   立ちあざり 我が祈ひ祷めど しましくも 吉けくはなしに
   漸々(やうやう)に かたちつくほり 朝な()な 言ふことやみ
   玉きはる 命絶えぬれ 立ち躍り 足すり叫び
   伏し仰ぎ 胸打ち嘆き 手に持たる ()が子飛ばしつ 世間の道

反し歌

0905 若ければ道行き知らじ(まひ)はせむ下方(したへ)の使負ひて通らせ

0906 布施置きて(あれ)は祈ひ祷む欺かず(ただ)()行きて天道知らしめ*


更新日:平成12-08-14
最終更新日:平成20-07-19
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