歌枕紀行 泉川・瓶原

―いづみがは・みかのはら―

泉川

みかの原わきて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらむ兼輔「新古今」)

泉川は、京都府の南部を流れ、淀川に合流する木津川の古名である。現在の相楽郡木津町のあたりで川は大きく北へ屈曲しているが、その少し手前、流れに沿ってひらけた平地を瓶原(みかのはら)と言った。
ここから南へ一山越えれば奈良である。奈良時代の泉川は平城京を難波と結ぶ交通の大動脈であった。
瓶原は山水の景観にも恵まれていたので、平城遷都後まもなく、泉河畔の地に離宮が営まれた。聖武天皇は皇太子時代からこの地を好み、たびたび滞在されたが、天平十二年(740)の藤原広嗣の乱に端を発した彷徨の末、ここを都と定められた。恭仁京(くにきょう)である。
わずか四年にも満たない短命の都であったが、万葉集には少なからぬ恭仁京讃歌が収められている。

山背の 久迩(くに)の都は 春されば 花咲きををり
秋されば もみち葉にほひ ()ばせる 泉の川の
(かみ)つ瀬に 打橋渡し 淀瀬には 浮橋渡し
あり通ひ (つか)へまつらむ 万代(よろづよ)までに

楯並(たたな)めて泉の川の水脈(みを)絶えず仕へまつらむ大宮所(巻十七)

天平十三年二月、右馬頭境部老麻呂が詠んだ新都讃歌である。山を彩る花と紅葉、その山を帯のように巡って流れる川、その川に渡された橋をうたい、水脈が絶えないように都が万代にわたって続くことを予祝している。
当時右大臣橘諸兄のもとで宮廷歌人的な活躍を見せていた田辺福麻呂にも、この地を詠んだ歌は多い。やはり泉川は忘れずに詠み込まれている。

泉川行く瀬の水の絶えばこそ大宮どころ移ろひゆかめ(巻六)
狛山(こまやま)に鳴く霍公鳥(ほととぎす)泉川渡りを遠みここに通はず(巻六)

二首目は、ほととぎすも通えないほど川幅が広い、と泉川を誉め讃えているのである。往時、泉川の水量は今よりも遥かに豊かであった。

狛山と泉川
狛山と泉川

天平十六年、聖武天皇は大仏造立の適地を求めてさらに紫香楽(しがらき)の地へと都を遷し、同年の山火事と地震によって平城旧京へ還都することになる。この時恭仁京も打ち捨てられたのである。
以後、瓶原の地はひっそりと時の流れの中に埋没していった。今この土地を訪れれば、宅地化の波は押し止めようがないとしても、泉川はゆったりと青波を湛えて流れ、瓶原には野の花が咲き乱れている。華やかな天平の都がかつて存在したとは到底信じられない、のどかな田園の風景が広がるばかりである。

泉川かは風寒し今よりや久迩の都は衣うつらん(宗尊親王)
泉川いつより人のすみたえて久迩の都は荒れはじめけん(源兼氏)

鹿背山と泉川
鹿背山と泉川

福麻呂の歌に詠まれていた狛山は泉川北岸の山であるが、南岸には鹿背(かせ)山という山が横たわる。「鹿背」は宛て字であろうが、じっさい地面にうずくまった鹿の背のように見えぬこともない独特の山容で、枕草子にも「山は をぐら山。かせ山。三笠山」とあり著名である。次の古今集の歌は、王朝びとに愛誦された一首であった。

都いでて今日みかの原いづみ川かは風さむし衣かせ山(読人不知「古今」)

瓶原の「みか」に「見」、泉川に「出づ」、鹿背山に「貸せ」を掛けた、リズミカルな言葉遊びの楽しい歌である。瓶原・泉川は、その名前自体から喚起されるイメージの美しさもさることながら、掛け詞に用いやすい点でも歌枕としての要素を十分に備えていたのである。

みかの原わきて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらん兼輔
時わかぬ浪さへ色にいづみ川ははその杜に嵐ふくらし定家
つつみあまる袖の涙の泉川くちなむ果てはころもかせ山(源家長)
泉川
泉川 瓶原離宮趾付近より

また泉川は、夏の炎暑にあって涼しさを呼び起こす景物としても用いられるようになる。「いづみ」という名の喚起する清冽なイメージとともに、上記の古今読人知らずの歌「かは風さむし衣かせ山」の反響を見出すことができるだろう。

泉川かは波しろく吹く風に夕べすずしき鹿背山の松後鳥羽院
泉川かは波きよくさす棹のうたかた夏をおのれ()ちつつ(定家)

定家の歌の「うたかた」は水泡であるが、棹の起こす波の泡がたちまち消えてゆくイメージに「うたかた夏」(はかない夏)が去ってゆく季節感を重ねて、あざやかな印象を残す。
俊成卿女の次の歌は、泉川の波に夏の月を映して、一抹の清涼感を与えることに成功しているように思われる。

月影も夏の夜わたる泉川河風凉し水のしら波(俊成女)

また三条西実隆は、夏から秋へ移る頃おい、山々の緑を映す川面と、その上を渡る夕風の涼しさを印象深く詠いあげた。

ははそ原いつはた色にいづみ川緑もすずし水の夕風(三条西実隆)

これが晩秋や冬に舞台を移せば、冷涼とした寂びで風景を包むことになるだろう。

みかの原山風吹けばいづみ川紅葉ぞ色にわきて流るる(源有俊)
狛山(こまやま)のあらしや寒き泉川渡りを遠み千鳥鳴くなり(宗尊親王)
泉川水の水曲(みわた)柴漬(ふしづけ)に柴間もこほる冬は来にけり(藤原仲実)

三首目、「ふしづけ」は、冬の間、川に柴を束ねて沈め、魚を獲る仕掛けをいう。その小枝の隙間に氷が張るという微小なイメージの内に冬の到来を感じ取っている。これも「川風さむし」と詠われた歌枕泉川を効果的に用いた例であろう。


つぎへ

表紙山城畿内歌枕紀行歌枕一覧

©水垣 久 最終更新日:平成11-07-16
thanks!