鵜殿余野子 うどのよのこ 生年未詳〜天明八(-1788) 法号:涼月尼

生年は享保十四年(1729)とも。名は清子(きよい子)とも。旗本の家柄に生まれる。服部南郭に学んだ漢学者鵜殿孟一の妹。
若くして紀州侯の大奥に仕え、きよい子または瀬川と呼ばれた。徳川宗将の室富宮、側室八重の方(清信院)、総姫などを主人とし、独身のまま紀伊家に勤め続けて、大奥年寄となる。晩年は出家して涼月と号し、紀州の吹上御殿内の涼月院に住む。天明八年(1788)十月(十一月とも)、没。六十歳か。
賀茂真淵に入門して和歌・国学を学び、土岐筑波子油谷倭文子とともに県門三才女と謳われた。兄の影響で漢詩も能くしたという。著作に家集『佐保川(佐保河)』(江戸時代女流文学全集四・校註国歌大系十五・女人和歌大系三・新編国歌大観九などに所収)、紀行『岐曾路日記』などがあり、遺稿集として寛政五年(1793)村田春海が編纂した『涼月遺草』がある(江戸時代女流文学全集三・女人和歌大系三に所収)。また油谷倭文子との往復書簡「ゆきかひ」が倭文子の遺稿集『文布』に収められている(江戸時代女流文学全集三・新日本古典文学大系六十八「近世歌文集 下」所収)。

以下には『佐保川』『涼月遺草』より十三首を抄出した。

  1首  2首  3首  2首  5首 計13首

さくらを

清らなる色こそは似め桜花などはかなさの雪にあえつる(佐保川)

【通釈】清らかな色こそ似てもいようが、桜の花よ、なぜおまえは果敢なく消える雪にあやかってしまうのだ。

【補記】「あえ」は「そっくりに似る」「あやかる」意のヤ行下二段活用動詞「あゆ」の連用形。

卯月のころ、かへでを

青葉より(くれなゐ)匂ふ若楓もみぢむ秋の色ぞゆかしき(佐保川)

【通釈】青葉の間から紅がさしている若楓よ。紅葉する秋の色が今から慕わしい。

翼果を付けた楓
赤い翼果を付けた楓

【語釈】◇紅にほふ 楓は初夏、青葉の間に赤い実(翼果)をつける。◇もみぢむ 「もみぢ」は「紅葉する」意の上二段動詞「もみづ」の未然形。「む」は未来推量の助動詞

【補記】原典の詞書は「おなじころ、かへでを」。「おなじころ」とは『佐保川』の一つ前の歌の詞書「卯月ばかり」云々を承ける。

【参考歌】延政門院新大納言「玉葉集」
をぐら山秋とばかりのうす紅葉しぐれて後の色ぞゆかしき

すずみがてら船にて楽するを

物の()もながるる水に声すみて夏の(ほか)行く船のうちかな(佐保川)

【通釈】楽の音(ね)も、流れる水のうちに声がいっそう澄んで、夏の暑さもどこ吹く風と進み行く船の中であるよ。

【補記】同題二首あり、最初の一首が「河浪の音にきほひて涼しきは秋の風てふしらべなるらし」。

【参考歌】式子内親王「式子内親王集」
夕さればならの下風袖過ぎて夏のほかなる日ぐらしのこゑ
  慈円「千載集」「拾玉集」
山かげや岩もるし水おとさえて夏のほかなるひぐらしのこゑ

水上秋月てふことを

ふるさとの佐保の河水ながれてのよにもかくこそ月はすみけれ(佐保川)

【通釈】奈良旧京の佐保川の水は、昔も今も流れ続け、移りゆく世にあってもこのように月は変わらず澄んだ光を宿しているのだった。

【語釈】◇ふるさと かつて都があったが、今はさびれている里。ここでは平城旧京を指す。◇佐保川 平城京の北を流れる川。◇月はすみけれ 月は澄んでいた。「すみ」には「住み」の意が掛かり、月が佐保川に住んで(宿って)いることを含意。

【補記】家集の冒頭歌。この歌に因み、余野子の家集は『佐保川』と名付けられた。

【参考歌】藤原冬嗣「後撰集」
ふるさとの佐保の河水けふも猶かくて逢ふ瀬はうれしかりけり
  小沢蘆庵「六帖詠草拾遺」
ながれてのよにもかくこそ秋の月すみて久しき白河のみづ

ある局(つぼね)にふたり三人(みたり)より合ひて、夜更くるまで語らひ侍るよし聞きて、月のかたぶく頃にかく言ひやりける

深き夜のあはれを見する月影にいるさの山のおくぞゆかしき(佐保川)

【通釈】深夜の深い情趣を見せる月明かりに興じて、入佐の山の奧へと入って行く――そのように夜遅くまで打ち興じて何をお話しだったのでしょう、知りたいものです。

【語釈】◇いるさの山 入佐山。古くから但馬国の歌枕とされるが、確かでない。「入る」と掛詞。

【補記】月の美しい晩、大奥のある局で女房二、三人が集まって夜更けまで語り合っている由を聞き、月が傾いた頃、この歌を届けたという。「さよ子」の返歌は「ふかき夜の哀れはとはで月影の雲のそなたにいざよふやなぞ」、「もみ子」の返歌は「ふくるよの空にはくまもなきものをへだて顔なるいざよひの月」。知りながら会合に加わらなかった余野子を「いざよひの月」に喩え、戯れに咎めたのである。大奥仕えの女たちの雅交が偲ばれて興味深い贈答である。

【参考歌】土御門院小宰相「続古今集」
春はなほかすむにつけてふかき夜のあはれをみする月のかげかな

山ざとに紅葉見にまかりて

暮れぬとも紅葉のかげしあかければかへる山路はいそがざらまし(佐保川)

【通釈】日が暮れてしまっても、紅葉の下蔭はあかあかと明るいので、帰りの山道は急がずに行こう。

【補記】古歌に言う「もみぢのかげ」は普通「紅葉した木の下蔭」の意であるが、この歌では紅葉それ自体の明るさを感じさせるような用い方(「かげ」には「光」の意もある)。雅びな古語を継承しつつ、微妙に意味合いをずらして清新なイメージを生んでいる。

【参考歌】素性法師「素性法師集」「続古今集」
雨ふらば紅葉のかげにやどりつつ龍田の山に今日は暮らさむ

神無月廿日の夜、かめに植ゑたる梅の咲きたるを見て

ほかげにも小春てふ名はかくれねどはつかに匂ふ夜の梅が香(佐保川)

【通釈】炉の火影によってまことの春ならぬ小春という名は隠れもない今の季節であるが、かすかに匂う夜の梅の香よ。

【語釈】◇ほかげ 火影。火の光。ここでは室内を暖める炉の火の光であろう。◇小春 陰暦神無月の異称。初冬であるが、春を思わせる暖かい日が続くことが多いので、このように呼ぶ。◇はつかに わずかに。「(神無月の)二十日に」の意が掛かる。

【補記】初冬神無月、甕に植えた梅の花が早咲きしたのを見て詠んだという歌。小春日和の暖かさに梅も春かと勘違いしたのだろうか。

〔題欠〕

深き夜の道はしるべにまかせてもかをれる雪をいかで踏むべき(涼月遺草)

【通釈】深夜の道は先導に任すとしても、提灯の火にほのぼのと薫り立つ雪をどうして踏んで行けばよいものか。

【語釈】◇いかで踏むべき 反語と見れば「どうして踏むことなどできよう」の意にも取れる。

【補記】新雪を惜しみ、踏むことを躊躇う心を詠じた歌は多いが、掲出歌は深夜、先導の提灯の火に照らされた雪を詠んで新鮮。

加茂のあがたぬし身まかり給ひけるをいたみてよめる

あま雲の中にや君はまじりにし時雨(しぐ)るる空を見ればかなしも(佐保川)

【通釈】天の雲の中にあなたは分け入ってしまったのか。時雨の降る空を見れば悲しいよ。

【補記】明和六年(1769)、師の賀茂真淵が亡くなった時の哀悼歌。長歌は略し、反歌二首のうち二首目のみを掲げた。「見ればかなしも」は万葉集に頻出する結句。因みに一首目は「時雨ふる山辺をみればもみぢばの過ぎにし君がゆくへしのばゆ」で、これも万葉調の悲愴な調べ。

【参考歌】平あつゆき「古今集」
ほととぎす峰の雲にやまじりにしありとはきけど見るよしもなき

うららなる空のいとどむかし覚えて

かげろふのもゆる春日の空みればゆくへもしらぬ君ぞ恋しき(佐保川)

【通釈】陽炎の燃え立つ春の日の空を見れば、行方も知れないあなたが恋しくてならないのだ。

【補記】「君」が誰を指すのかは不明。

【参考歌】賀茂真淵「賀茂翁家集」
かげろふのもゆる春日の山桜あるかなきかの風にかをれり

おもひをのぶ

朝な朝なけづるとすれど黒髪のおもひ乱るるすぢぞ多かる(佐保川)

【通釈】毎朝梳(くしけず)ろうとするけれども、黒髪の乱れた筋が多い――そのように、思い乱れる事ばかり多いのだ。

【補記】述懐歌。上句に髪のことを言って、女ゆえの悩み事の多いことが暗示される。作者は紀伊徳川家の大奥に長く勤めた人である。

おほぢの五十年の忌日は八月十一日、寄月懐旧といふことを人々によませ侍るとて

膝のうへに指さしてみし(いにしへ)の秋の月こそ恋しかりけれ(佐保川)

【通釈】祖父の膝の上で、指差しながら見た、昔の秋の月が恋しくてならないのだ。

【補記】同題二首の最初は「夜もすがら月やあらぬとかこつかないそぢふりにし秋をこひつつ」。

春立つ頃ゆ、うちはへ悩ましかりつるが、やや水無月ばかりおこたりぬ。葉月十五夜、めづらかに空晴れたるに

ながらへて今宵の空の月も見つまた来む秋は命なりけり(佐保川)

【通釈】生き長らえて、今宵の空の月も見ることができた。再び巡って来る秋はどうか、それは命次第であるよ。

【補記】春から夏にかけ久しく病んだのち、中秋明月を迎えての感懐。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
春ごとに花のさかりはありなめどあひ見む事は命なりけり


公開日:平成18年02月05日
最終更新日:平成21年03月16日