九条隆教 くじょうたかのり 文永六〜貞和四(1269-1348)

六条藤家の末裔。大蔵卿隆博の子。母は橘以経女。侍従・左中将等を歴任、正二位に至る。子に従三位侍従隆朝がいる。
永仁六年(1298)亀山殿五首歌合、徳治二年(1307)三月仙洞歌合などに出詠。嘉元・文保・貞和百首作者。また、正安三年(1301)・文保二年(1318)・正慶元年(1332)・暦応元年(1338)の各大嘗会和歌の作者となる。康永四年(1345)頃、風雅集の撰者に加えられることを希望して書状を認めたが、実現しなかった。貞和四年(1348)十月十五日、八十歳で薨去。新後撰集初出。勅撰入集は計四十一首。

河五月雨を

さみだれに岸の青柳枝ひちて木ずゑをわくる淀の川舟(風雅363)

【通釈】梅雨のため増水した淀川では、岸の柳が枝まで水に漬かって、川舟はあたかも梢を分けて行くように航行する。

【補記】船頭は水面に靡く柳の枝を分けて舟を操る。意想外の景が興趣を呼ぶ。

暦応元年大嘗会悠紀方神楽歌、近江国鏡山

岩戸あけし八咫(やた)の鏡の山かづらかけてうつしき明らけき代は(風雅2211)

【通釈】天の岩戸を開けるきっかけとなった、八咫の鏡に因む鏡山、その山かずらを頭にかけて天鈿女命(あまのうずめのみこと)が踊った結果、天照大神がお姿を現されのだ――そのように、はっきりと姿を現しているよ、輝かしい御代は。

【語釈】◇八咫の鏡 巨大な鏡。「咫(あた)」は上代の長さの単位。◇鏡の山 近江国の歌枕。三上山北東の小山。◇山かづら ヒカゲノカズラで結った鬘(かずら)

【補記】鏡山は古くから信仰の山。歌枕としては「鏡」にかけて「曇りなき世」を讃える例が多く見られる。光明天皇即位後の大嘗会。風雅集巻軸歌。


更新日:平成15年03月14日
最終更新日:平成20年08月05日