桜井王 さくらいのおおきみ 生没年未詳 略伝

父母等は未詳。『新撰姓氏録』によれば敏達天皇の孫である百済王の後裔。『皇胤紹運録』は長親王の孫とするが、これは疑わしい(高安王参照)。同じく紹運録によれば、川内王の子。兄に高安王、弟に門部王、子に継麻呂がいる。
和銅七年(714)正月、無位より従五位下に初叙。養老五年(721)一月、従五位上。神亀元年(724)二月、正五位下。神亀六年(729)三月、正五位上。天平三年(731)一月、従四位下。天平十一年(739)四月、兄高安王らと共に大原真人を賜姓される。以後は大原真人桜井を名のる。天平十六年(744)二月、安積皇子薨後、恭仁京留守官。この時名は大原桜井と見え、大蔵卿。天平年間、遠江守の職にあり、聖武天皇と歌を贈答している(万葉巻八)。六人部王・門部王・佐為王らと共に、神亀年間、聖武天皇の「風流侍従」をつとめる(『藤氏家伝』)。一説に万葉集の編纂に関与したかともいう。

遠江守桜井王、天皇に奉る歌一首

九月(ながつき)のその初雁の使にも思ふ心は聞こえ来ぬかも(万8-1614)

【通釈】九月になるとやって来ますよね初雁が、その初雁をお使いとして、はるかに思いやって下さるお気持ちが、ここまで届かないものでしょうか。

【語釈】「天皇」は聖武天皇。秋、南下する雁を、遠江から都へ「思う心」を伝える使いに見立てた。

大原桜井真人、佐保川の(ほとり)を行く時、作る歌一首

佐保川に凍りわたれる薄氷(うすらび)の薄き心を我が思はなくに(万20-4478)

【通釈】佐保川の川面に張りつめた薄氷みたいに、いまにも割れそうな薄い心だと思いますか、私のあなたへの思いが。

【参考歌】
安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を吾が思はなくに(陸奥国前采女)

【派生歌】
冬霧の湖(うみ)を薄ら氷踏み渡り心ほそくも遂げん我が恋(読人しらず)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日