一色直朝 いっしきなおとも 生没年未詳(1520代〜1597か) 号・月庵

清和源氏。三河国吉良庄の一色氏の支流で、宮内大輔直頼の子。
古河公方の奏者衆として足利晴氏・義氏に従い、武蔵国葛飾郡幸手庄の一色城に居住する。天正十八年(1590)、秀吉によって北条氏が滅ぼされた際、一色城を退去し、下総国大淵寺に引退した。慶長二年(1597)十一月十四日没との伝がある。七十代か。従五位下宮内大輔。月庵と号す。因みに子の義直はのち徳川家康に仕え、幸手領五千石を与えられた。
関東における当時屈指の歌人。三条西実枝と交流があった。著には家集『桂林集』、その自注本『桂林集注』、また随筆集『月庵酔醒記』(古典文庫415に所収)がある。画家としても名高く、画業に「伝貞巌和尚像」(国指定重要文化財)などがある。

「桂林集」群書類従260(第15輯)・私家集大成7・新編国歌大観8

遠夕立

すずしさのいま()が方になりぬらんとほざかりゆく夕立の雲(桂林集)

【通釈】涼しさは今誰のいる方に移っているだろうか。遠ざかってゆく夕立の雲よ。

【補記】同題の並載歌「遠かたの空のむら雲それかともいひあへぬ間にかかる夕立」も迫真の詠。

野暮秋

風さむき尾花が末の浪の間にながれもあへぬ秋の日のかげ(桂林集)

【通釈】寒風が吹きつけ、尾花の穂末が波打つ――その波の間に滞って流れることもできない秋の陽の光よ。

【補記】秋の日にきらめいている薄の穂が、寒風に吹きつけられて一斉に波打つ時、その光は波に乗って流れることなく、穂末に留まっている。

【本歌】春道列樹「古今集」「百人一首」
山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり


最終更新日:平成17年11月13日