天平元年(729)、摂津国の班田史生丈部龍麻呂が自殺した時、長短歌を詠む(万葉集3-443〜445)。この時「判官」とある。天平八年(736)二月、遣新羅副使に任命される。同年秋頃出航し、対馬の竹敷浦で心緒を述べた歌二首を詠む(15-3701・3707)。翌年帰朝し、以後は官吏として活躍。後刑部少輔兼大判事・兵部少輔・山陽道巡察使などを歴任し、同十七年(745)六月、大宰少弐。同十八年四月、長門守に任ぜられ、従五位下に昇叙された。
天平元年己巳、摂津国班田史生
昨日こそ君はありしか思はぬに浜松の上に雲にたなびく(万3-444)
【通釈】昨日という日、あなたは生きていた。それが今日は、思いもかけず、浜松の上に雲となってたなびいている。
【補記】長歌は略し、反歌二首のうち一首のみを掲げた。「たなびく」は水平に薄くひろがる意。
竹敷の
【通釈】竹敷の浦の紅葉を見れば、妻が私の帰りを待とうと言った季節になったのだなあ。
【補記】天平八年、遣新羅副使として新羅へ向かう際の作。左注に「右一首副使」とあり、三中の作と知れる。「竹敷」は現長崎県対馬の浅茅湾内。
最終更新日:平成15年11月20日