慈道法親王 じどうほっしんのう 弘安五〜暦応四(1282-1341)

亀山天皇の皇子。母は帥典侍兵部卿平時仲女。後宇多院の異母弟。
永仁三年(1295)二月七日、出家。同月三十日、親王宣下。正安四年(1302)、一身阿闍梨。正和三年(1314)四月、青蓮院門主となり、同八月、天台座主に就任。以後、天台座主を三度歴任。文保二年(1318)三月、後醍醐天皇の護持僧を務める。元応二年(1320)十二月、叙二品。暦応四年四月十一日、入滅。六十歳。青龍院宮と号せられた。
新後撰集以下の勅撰集に二十四首入集。家集『慈道親王集』がある。

朝花

明くる夜のをのへに色はあらはれて霞にあまる花の横雲(慈道親王集)

【通釈】夜が明けてゆく山の高みにほのかな色があらわれて、立ちこめる霞の外にはみ出る花の横雲よ。

【補記】「花の横雲」は桜の森を横雲に喩えて言う。同じ集の「よこ雲はかすむ高嶺にうづもれて麓の里ぞ花にあけゆく」も捨てがたい。

【参考歌】寂蓮「新勅撰集」
いかばかり花咲きぬらむ吉野山霞にあまる峰の白雲
 西園寺公経「玉葉集」
ほのぼのと花の横雲あけそめて桜にしらむみ吉野の山

夏草

思ひおく種だにしげれこの宿の我が住みすてむあとの夏草(慈道親王集)

【通釈】あれこれと虚しく思い悩んで過ごしたこの草庵――残してゆく思いの種から、せめて芽を出し青々と茂れ。住み捨てた跡の夏草よ。

【補記】「思ひ草」という名にかかわる発想か。庵を住み捨てた跡の草原を思いやるのは珍しい趣向。

雪の歌の中に

風かよふ松は軒端にうづもれて閨しづかなる雪のあけぼの(慈道親王集)

【通釈】風が往き来するけれども、軒端の松は雪に埋れてしまって、閨の中もしんとしている、雪積もった曙よ。

【補記】松籟の響も消す積雪。

湖雪(二首)

唐崎の松をもこえて(にほ)の海やみぎはにたかき雪のさざ波(慈道親王集)

【通釈】唐崎の松さえも越えて、琵琶湖の渚に高々と寄せる、さざ波のような雪よ。

志賀の唐崎
志賀の唐崎 滋賀県大津市唐崎

【語釈】◇唐崎 辛崎とも書く。近江国の歌枕。滋賀県大津市唐崎。琵琶湖の西岸で、松の名所。◇鳰の海 琵琶湖の古称。

【補記】松の根元を埋めて汀に降り積もる雪をさざ波に譬えた。「にほの海」は琵琶湖の古名。

【参考歌】定為「嘉元百首」
しがの浦のこほりをはらふ山風にまたとほざかる雪のさざ波

 

唐崎やこほる汀のほど見えて波の跡よりつもる白雪(慈道親王集)

【通釈】寄せては返す波の跡に降り積もる白雪――積もってははかなく消え、唐崎の凍った水際のありさまを見せて。

【参考歌】快覚法師「後拾遺集」
さよふくるままに汀や凍るらん遠ざかりゆく志賀の浦波


更新日:平成15年03月29日
最終更新日:平成21年08月29日