軍王 こにきしのおおきみ(こんきし) 生没年未詳

伝不詳。従来「いくさのおおきみ」と訓むのが普通だったが、雄略紀に見える百済王加須利君(かすりのきし)によって日本に遣わされた王の弟「軍君」を『釈日本紀』がコニキシ(またはコンキシ)と訓むことから、コニキシノオホキミまたはコニキシと訓む説が納得できる。コニキシは百済王族に対する尊称。したがって「軍王」は百済王族の出身者か、またはその末裔氏族の養育を受けた皇族と思われる。舒明三年(631)に入朝した百済の皇子余豊璋を擬える説もある(青木和夫)。

讃岐国安益郡(あやのこほり)(いでま)せる時、軍王の山を見て作る歌

霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥 うら泣き()れば  玉襷(たまたすき) ()けのよろしく 遠つ神 我が大君の 行幸(いでまし)の 山越す風の 独り()る 我が衣手(ころもで)に 朝夕(あさよひ)に (かへ)らひぬれば 大夫(ますらを)と 思へる(われ)も 草枕 旅にしあれば 思ひやる たづきを知らに (あみ)の浦の 海人処女(あまをとめ)らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる ()下情(したごころ) (万1-5)

反歌

山越しの風を時じみ()る夜おちず家なる妹を懸けて(しの)ひつ(万1-6)

【通釈】[長歌]霞の立つ長い春の一日が、いつの間にか暮れてしまった――そのようにわけも知れず、心が痛むので、トラツグミのように忍び泣きをしていると、託して思うのに具合よいことに、我が大君がお出ましになった山を越えて故郷の方から吹て来る風が、独りでいる私の衣の袖に朝な夕な、「帰れ」と言うように吹き返すので、立派な男子と自負している私も、旅の空にあることとて、思いを晴らすすべも分からず、網の浦の海人乙女らが焼く塩のように、ただ家恋しさに焦がれている、我が胸の内であるよ。
[反歌]山を越して来る風が時を分かず吹き寄せるので、寝る夜は一晩も欠けることなく、家にある妻を、吹き返す風に託して偲んだのだ。

【語釈】[長歌]◇むらきもの 「心」の枕詞。群肝の意で、心臓などの臓器のこと。◇玉襷 「懸く」の枕詞。◇遠つ神 「大君」の枕詞。遠い昔の天つ神として天皇を誉め讃える詞。◇草枕 「旅」の枕詞。

【補記】舒明天皇の讃岐国行幸(記録には見えない)に従駕した軍王が、都を遥かに隔てる山を見て詠んだ歌。山を越して吹く風が、朝夕衣を吹いては返って行く、それで自分も故郷へ帰りたい思いがつのり、家恋しさに胸を焦がしている、といった内容。初期万葉の雄編として歴史的価値は小さくないが、枕詞の頻用はむやみに重々しく、情意の伝わりを渋滞させる結果を招いているのではないか。「山を見て」作る歌と題詞にあるのに、結びに至って「海人処女らが焼く塩」を比喩に用いているのも唐突。ありあわせの知識や詩的技巧を継ぎはぎした、如何にも机上の創作といった印象である。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年03月11日