衣笠家良 きぬがさいえよし 建久三〜文永元(1192-1264) 号:衣笠内大臣・衣笠内府

正二位大納言藤原忠良の二男。母は大納言藤原定能女。大納言基良の弟。
正治二年(1200)四月、初叙され、侍従・左少将を経て、建永元年(1206)正月、右中将となる。建暦元年(1211)五月、従三位に叙され、累進して貞応元年(1222)正月には正二位に至る。元仁元年(1224)十二月、中納言となる。安貞元年(1227)四月、権大納言。嘉禎三年(1237)十二月、大納言に転ず。仁治元年(1240)十月、内大臣。翌二年四月、上表して辞任。時に五十歳。文永元年(1264)九月十日、薨。七十三歳。
若くして定家の門弟となり、後鳥羽院順徳天皇の内裏歌壇に参加。建保二年(1214)の「月卿雲客妬歌合」、建保三年(1215)の「四十五番歌合」などに出詠した。定家の死後は為家らと共に歌壇を率い、寛元元年(1243)には為家光俊らと『新撰和歌六帖題』を詠む。宝治二年(1248)頃、私撰集『万代集』の編纂に関与。後嵯峨院歌壇の『宝治百首』『弘長百首』などの催しにも加わり、弘長二年(1262)には続古今集の撰者の一人に加えられたが、完成以前に没した。新勅撰集以下に百十八首入集。家集『衣笠内府詠』(『衣笠内大臣家良公集』)、『後鳥羽院・定家・知家入道撰歌』がある。新三十六歌仙

  6首  4首  1首  3首  1首 計15首

弘長元年百首歌たてまつりける時、初春の心を

逢坂の関の杉むら雪きえて道ある御世に春は来にけり(続拾遺470)

【通釈】逢坂の関の杉林に積もっていた雪も消えて、道が通じるようになった。そのように正しいご政道がおこなわれる我が君の御代に、春は訪れたのであるよ。

【語釈】◇逢坂(あふさか)の関 山城・近江国境にあった関。滋賀県大津市に逢坂の地名が残る。

【補記】春は東方から訪れるとされたので、東国と畿内を隔てる逢坂の関は初春の歌の舞台にふさわしい。亀山院下命の続拾遺集、巻七雑春歌巻頭。もとは後嵯峨院時代の弘長百首として詠まれた作。

題しらず

朝ぼらけ浜名の橋はとだえして霞をわたる春の旅人(続後撰1316)

【通釈】ほのぼのと夜が明ける頃、浜名の橋は次第に濃くなる朝霞についに途絶して――その先は橋というよりも霞の中を渡ってゆくかのような、春の旅人よ。

【語釈】◇浜名の橋 遠江国の歌枕。浜名湖と遠州灘をつなぐ浜名川に架かっていた長大な橋。

【参考歌】藤原定頼「千載集」
朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれ渡る瀬々の網代木
  藤原定家「新古今集」
春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空
  藤原定家「最勝四天王院障子和歌」
霧はるる浜名の橋のたえだえにあらはれわたる松のしき浪

題しらず

玉ぼこの道のゆくての春風に誰が里しらぬ梅の香ぞする(新勅撰38)

【通釈】道の行きがけに吹いて来る春風――どこの里とも知れない梅の香りがすることよ。

【語釈】◇玉ぼこの 「道」の枕詞。玉鉾は村里の入口などに立てた陽石(男根形の石)かと言う。

【補記】「道のゆくて」は、「どこかへ行くついで」程の意。あたりには梅の花が全く見えないので、「誰(た)が里しらぬ」と言う。

帰雁をよめる

ほのぼのと霞める山のしののめに月を残して帰る雁がね(続古今82)

【通釈】夜がほのぼのと明け、山は薄ぼんやりと霞む東雲(しののめ)――有明の月を残して、故郷の空へ帰ってゆく雁。

【参考歌】藤原成通「千載集」
たぐひなくつらしとぞ思ふ秋の夜の月をのこしてあくるしののめ

花歌の中に

桜花おちても水のあはれなどあだなる色ににほひそめけむ(新後撰136)

【通釈】桜の花は落ちて水の泡となるという――ああ、それなのになんで婀娜な色に咲き始めたのだろう。

【語釈】◇あはれなど ああ、何故。「あはれ」は前句との続きから「泡」と掛詞になる。◇あだなる色 たおやかに美しい様。「あだ」は「徒」(無用・はなかいさま)の意が掛かる。「色」は色彩の意だけでなく、感覚に訴える美しさをひっくるめて言う。◇にほひそめけむ この「にほひ」は「色美しく映える」「美しさをふりまく」ほどの意。

【本歌】菅野高世「古今集」
枝よりもあだにちりにし花なればおちても水のあわとこそなれ

【参考歌】藤原為家「為家卿千首」
山桜おちても水のあはれまたしばしとどめぬ瀬々の岩波

中納言になりてのち、近衛将にて久しく侍りける事を思ひて

年を経てみはしの前に立ちなれし花たちばなも昔わするな(万代集)

【通釈】近衛将のまま何年も経ち、御階の前に立ち並ぶのも慣れてしまった――そこに植わっていた橘の花よ、おまえも昔のことを忘れないでくれ。

【語釈】◇みはし 紫宸殿の南の御階。儀式の時、近衛将はその前に整列した。◇花たちばな 右近の橘。橘の花はその香によって昔を思い出させる花とされた。

【補記】家良は建永元年(1206)正月に右中将に任ぜられ、元仁元年(1224)十二月中納言となるまで、十八年間その地位にあった。『新撰和歌六帖』では「ももしきやみはしのもとの橘になれし昔ぞいまも恋しき」と詠んでいる。

織女(たなばた)の夜戸出のすがた立ちかくす霧のとばりに秋風ぞ吹く(建長八年百首歌合)

【通釈】織姫が夜出かけてゆく姿を、霧が帳(とばり)のように遮って隠している――そこへ秋風が吹いて、とばりを巻き上げる。

【補記】建長八年(1256)九月十三夜に九条基家が催した歌合に出詠した作。二十四番右勝。『夫木和歌抄』に採録。

【参考歌】作者不詳「万葉集」
吾妹子が夜戸出のすがた見てしより心そらなり土はふめども
  藤原俊成「五社百首」
たをやめの夜戸出の姿おもほえて眉より青き玉柳かな

たで

鷺のとぶ川辺のほたでくれなゐに日かげさびしき秋の水かな(新撰和歌六帖)

【通釈】鷺が飛ぶ川辺の穂蓼が紅に見え、秋の水に反映する光はさびしげである。

【語釈】◇ほたで 穂蓼。穂の出た蓼(イヌタデなどタデ類の総称)。

【補記】『新撰和歌六帖』は『新撰六帖題和歌』とも。『古今和歌六帖』の題を中心に、家良以下五名の歌人が競詠したもの。

【参考】「白氏文集・早秋曲江」(→資料編
秋波紅蓼水 夕照青蕪岸(秋波紅蓼の水 夕照青蕪の岸)
  藤原定家「新古今集」
旅人の袖ふきかへす秋風に夕日さびしき山のかけはし

庭月

夜をさむみうら葉かれゆく庭草にさびしかれどもすめる月かな(宝治百首)

【通釈】夜が寒くなって、葉の先端から枯れてゆく庭草に、さびしげな様子ではあるが、澄んだ月が照っている。

百首歌よませ侍りし時、杜紅葉

むら時雨いくしほそめてわたつ海のなぎさの杜のもみぢしぬらむ(続古今527)

【通釈】さっと降っては通り過ぎてゆく時雨が、幾たび染めたのだろう。渚の森がこれほど鮮やかに紅葉したのは。

【語釈】◇いくしほ 「しほ」は、染物をするときに、布を染料にひたす度数。「潮」と掛詞になり、また海の縁語。◇わたつ海の 「なぎさ」または「なぎさの杜」の枕詞◇なぎさの杜(もり) 『歌枕名寄』は河内国の歌枕とする。

【補記】宝治百首。「しほ」「わたつ海」「なぎさ」は海の縁語。

なく千鳥我さへかなし白菅のおふの河風さむくふく夜に(建長八年百首歌合)

【通釈】啼く千鳥よ、私までもが悲しくなる。白菅の生える、意宇(おう)の川風が寒く吹く夜に。

【語釈】◇なく千鳥 千鳥は妻を慕って鳴くものとされた。◇白菅(しらすげ) 「おふ」の枕詞として用いる。◇おふの河風 「おふ」は下記の万葉歌に由来する出雲国の歌枕。飫宇(おう)の海(中海)に注ぐ意宇川。

【本歌】門部王「万葉集」
飫宇の海の河原の千鳥汝が鳴けば吾が佐保河の思ほゆらくに

弘長元年百首歌たてまつりける時、初恋の心を

知らせても猶つれなくはいかがせむ言はぬをとがに人や恋ひまし(続拾遺765)

【通釈】この思いを知らせても、やはり冷たい態度をとられたら、どうしよう。口に出せないことを我が身の咎として、あの人をひそかに恋し続ける方がよいのだろうか。

【語釈】◇言はぬをとがに 恋を告白しないことを、おのれの過失として。◇人や恋ひまし 人を恋していようか。助動詞「まし」は疑問の「や」などと共に用いられる場合、ためらいや迷いの気持をあらわす。

寄月恋

知られじな霞にもるる三日月のほのみし人に恋ひわびぬとも(宝治百首)

【通釈】知られはすまい。霞に漏れる三日月のように、ほのかに見ただけの人に、いくら恋しがり辛い思いをしようとも。

寄風恋

秋風の露吹く風の葛蔓(くずかづら)つらしうらめし人の心は(宝治百首)

【通釈】秋風がくず葛の露を吹き散らす――そんなふうに私の涙をものともしない。むごいよ、恨めしいよ、人の心は。

【語釈】◇露吹く風 露を吹き散らす風。露は涙を暗示。◇葛蔓(くずかづら) 葛(くず)に同じ。マメ科の蔓草。葉の裏が白く、秋風に裏返るさまがよく歌に詠まれる。音の繰り返しで「つらし」を導き、風に裏返ることから「うらめし」を導く。

弘長元年百首に、夢を

まどろむもおなじ心の見ればこそさめても夢の忘れざるらめ(続古今1803)

【通釈】微睡んでいる間も同じ心が夢を見るからこそ、目覚めた後もその夢が忘れられないのだろう。


公開日:平成14年07月10日
最終更新日:平成20年01月08日