福田行誡 ふくだぎょうかい 1806-1888(文化三〜明治二十一) 通称:高徳 号:建蓮社立誉

生年は文化元年(1804)あるいは文化六年(1809)とも。武蔵国豊島郡の人。幼くして小石川伝通院で出家し、長じて京へ上り天台学などを修める。のち江戸に戻り、慶応二年(1866)、両国の回向院の住職となる。維新後、諸宗が共同した同盟会の盟主に推され、廃仏毀釈の嵐の中、仏教擁護に奔走した。明治十二年、七十三歳の時、増上寺の住職となる。同二十年四月、総本山知恩院門主となり、浄土宗管長を勤めたが、翌年四月二十五日、病により示寂した。八十三歳。深川の本誓寺に墓がある。
香川景樹の門人一蓮に和歌の指南を受ける。御歌所長を務めた高崎正風はその歌を賞賛し、ことに「いたづらに枕を照らす灯し火も思へば人のあぶらなりけり」を名歌として天覧に供したという。家集には生前自らまとめた『於知葉集(おちばしゅう)』、後人が遺稿を編んだ『後落葉集』がある(いずれも校注国歌大系二十に所収)。また続日本歌学全書第十二編には「釈教百首」が収められている。
以下には『於知葉集』『後落葉集』より七首を抜萃した。

涅槃会(ねはんゑ)

うぐひすの霞にむせぶ声すなりそのきさらぎの(もち)の夕暮(於知葉集)

【通釈】鶯が霞に咽び啼く声がしている。釈迦が亡くなったその如月の満月の夕暮に。

【語釈】◇涅槃絵 釈尊入滅の陰暦二月十五日、釈尊の遺徳を偲んで修する法会。◇霞にむせぶ 霞は釈迦を火葬した煙を暗示する。

【補記】春を告げる明るい鶯の声も、涅槃会の行われる当日の夕暮は、霞の中で咽び泣くように聞こえる。当節の風物を出して釈迦入滅の日の悲しみを表現した。『於知葉集』には同題の二首が並び、一首目は「きさらぎやたてる煙は消えしかどなほ望の夜の月は曇れり」。

【参考歌】西行「続古今集」
願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃

鵜河

後の世と言はむは遠し鵜飼舟この世よりして闇をたどれり(後落葉集)

【通釈】後世(ごせ)と言うのは遠い先の話である。鵜飼舟は、この世からして、既に無明の闇を辿っているのだ。

長良川の鵜飼船
鵜飼の情景(古い絵葉書より)

【語釈】◇後の世 死後に生まれ変わる世。◇鵜飼舟(うかひぶね) 飼い慣らした鵜を用い、闇夜に篝火を焚いて魚を獲る舟。夏の風物詩であり、江戸時代には庶民も見物を楽しんだが、仏教的な見地からは罪深いものと見なされた。

【補記】後世の闇を言うまでもなく、今生からして迷妄の闇の中を進んでいる。それは後世の悪報を取り沙汰された鵜飼の職ばかりの話ではあるまい。

【参考歌】藤原有家「六百番歌合」
のちの世を知らせ顔にも篝火のこがれてすぐる鵜飼舟かな
  中山兼宗「六百番歌合」
かがり火の影だにあらじ後の世の闇をもしらぬ鵜飼舟かな

高野山に詣でむとしける日に

旅衣たつ日となれば人なみに杖よ笠よと言ひさわぎつつ(後落葉集)

【通釈】旅に出立する日となると、出家の身である私も、人並に杖だ笠だと言って慌てふためいている。

【語釈】◇旅衣 衣を裁つと言うことから「たつ」を導く枕詞的なはたらきをする。

【補記】高野山参詣に発とうとした日に詠んだという歌。旅立ちのせわしさに僧俗の別もあるまいが、高僧の歌として読めばこそ面白みが出る。

皇太神宮を礼拝してよめる

ひらけゆくわが大御世も久方の天の岩戸の光なるらむ(後落葉集)

【通釈】世界に向けて展けてゆく我が大君の聖代も、天の岩戸が開いて光が輝きわたる時なのであろう。

【語釈】◇天(あま)の岩戸 天照大神が籠った岩屋の戸。大神が隠れてこの戸を閉ざすと天地は常闇(とこやみ)に覆われたが、再び大神が戸を開けて現れると世界は明るくなった。

【補記】伊勢神宮に参詣しての歌。「ひらけゆく」に開国を暗示していよう。

【参考】「古事記」
かれ天照らす大御神の出でます時に、高天原と葦原の中つ国とおのづから照り明りき。

病あつかりしころ

極楽は枕辺ちかくありながらなど夢にだも見られざりけむ(後落葉集)

【通釈】極楽は枕もとの近くにありながらも、どうして夢にさえ見られなかったのだろう。

【語釈】◇夢にだも 「夢にだにも」を約めた形。

【補記】危篤であった頃の歌。『後落葉集』短歌の部の末尾に置かれた歌で、辞世と呼んで差し支えあるまい。行誡は明治二十年の暮に病臥し、翌年四月に亡くなった。

犬をいためる長歌

我が(いほ)に たえずゆきかふ 母と子の 犬ぞありける あしたには 庭に()のみて 夕べには (かど)に眠りて この日ごろ なれにしものを (さき)の世の (むく)いしものか うつし世の わざはひなるか ゆくりなく 昨日のあさけ 犬とりに 打ち殺されて 母と子の しかばねまでも なしと聞く あないたましと 卒塔婆(そとば)たて 施食(せじき)()して 思へらく 身を毛衣(けごろも)に 包まれて 形を横に 生まれきて 吠ゆるほかには 声もなく あさるほかには わざもなく 狗子仏性(くしぶつしやう)は 名のみして 顕現(けんげん)いづれの 日とかせむ しづのをだまき 静かにも 思ひしとけば 後の世に けふ殺されし その犬は 人と生まれて 後の世に けふ殺したる その人は 犬と生まれて 後の世は また殺すらむ また殺されむ

反歌

我もまた惜しとこそ思へ惜しと思ふ命は同じ命ならずや(後落葉集)

【通釈】[長歌] 私の庵に、いつも通って来る、母子の犬があった。朝には庭で乳を飲み、夕方には門のあたりで眠りして、この頃、馴染みになっていたものを。前世の業が報いたのであろうか、あるいは今世の禍であろうか。思いもかけず、昨日の明け方、犬捕りに殺されて、母と子の屍さえも、無いと聞く。ああ痛ましいと、卒塔婆を立て、飲食を施して、思うことには、犬というものは身体を毛の衣に包まれ、四足で這う姿で生まれてきて、吠えるほかには声も無く、餌をあさるほかには仕事もなく、狗子仏性とは名ばかりで、いつの日に仏性が顕現するというのだろう。繰り返し、心静かに考えて解答を探れば――後世において、今日殺されたその犬は人となって生まれ、後世において、今日殺したその人は犬となって生まれて、後世はまた殺し、また殺されるのであろう。
[反歌] 私もまた惜しいと思う。惜しいと思う命は、人であろうと犬であろうと、同じ命ではないか。

【語釈】[長歌] ◇施食 亡者の霊に飲食を施すこと。◇狗子仏性 狗子(犬)に仏性が有るかという公案。◇しづのをだまき 倭文(しづ)を織るのに用いた苧環。苧環を繰ると言うことから「繰り返し」の意となる。また次句の「静かに」を導くはたらきもする。

【補記】長歌は五七調で始まり、「しかばねまでも なしと聞く」で一段落した後、七五調に転ずる。そして終結部の「後の世に けふ殺されし」以後は再び五七調に戻っている。意図的であったかどうかはともかく、このように調子の変化をつけることで、長歌の陥りがちな単調さを免れている。


公開日:平成20年12月02日
最終更新日:平成20年12月08日