厚見王 あつみのおおきみ

天平勝宝元年(749)四月、無位より従五位下。同六年七月、太皇太后(藤原宮子)葬送装束司。同七年十一月、伊勢奉幣使。この時少納言。同九歳五月、従五位上。
万葉集に三首の歌を残す。そのうち「かはづ鳴く…」の歌は新古今集ほか多くの撰集に採られて名高い。

厚見王の歌一首

かはづ鳴く神奈備川(かむなびかは)に影見えて今か咲くらむ山吹の花(万8-1435)

【通釈】河鹿(かじか)が鳴く神奈備川に影を映して、今頃咲いているだろうか、あの山吹の花が。

【語釈】◇神奈備川 神の鎮座する山を神奈備山と言い、その裾野を巡るように流れる川を神奈備川と言った。元来は普通名詞であるが、のち王朝和歌では龍田川のことと見なされた。

【補記】春雑歌。第三句までは「か」で頭韻を踏む。印象鮮明かつ調子の高い叙景歌で、多くの秀歌撰に採られ古来高く評価されてきた。

【他出】新古今集巻二にも掲載されている(第二句は「かみなみ河」とする本も)。他に新撰和歌・和漢朗詠集・五代集歌枕・古来風躰抄・定家八代抄・秀歌大躰・歌枕名寄など。

【主な派生歌】
逢坂の関の清水に影見えて今やひくらむ望月の駒(*紀貫之[拾遺])
こがれつつ春のなかばになりぬなり今や咲くらむ山吹の花(大中臣能宣)
春ふかみ神なび河に影見えてうつろひにけり山吹の花(藤原長実[金葉])
月さゆるみたらし川に影見えて氷にすれる山藍の袖(*藤原俊成[新古今])
春暮れぬ今か咲くらむかはづ鳴く神なび川の山吹の花(藤原俊成)
かはづなく神なび河に咲く花のいはぬ色をも人のとへかし(二条院讃岐[新勅撰])
大堰河かへらぬ水に影見えてことしもさける山ざくらかな(*香川景樹)

厚見王の歌一首

朝に()に色づく山の白雲の思ひ過ぐべき君にあらなくに(万4-668)

【通釈】朝ごとに日ごとに色づいてゆく山――そのように私の思いは深くなるばかりで、山にかかる白雲がやがて立ち去るように、消え去ってしまうようなあなたへの恋でないのに。

【補記】相聞。但し宴席で披露された歌であろうとの説もある。

厚見王、久米女郎に贈る歌一首

屋戸にある桜の花は今もかも松風(いた)み土に散るらむ(万8-1458)

【通釈】庭に植えてある桜の花は、今頃、松風がひどく吹くあまり、地面に散っているだろうか。

【補記】春相聞。花が散ることは、ここでは心変わりの暗喩。久米女郎の返歌は「世の中も常にしあらねば屋戸にある桜の花の散れる頃かも」。


最終更新日:平成15年12月23日