岩躑躅 いわつつじ(いはつつじ) Azalea on rock

岩躑躅 木曽谷赤沢渓谷

晩春から初夏にかけて多彩な花の季節となるが、中でも親しみの深いのは躑躅の花だ。公園や民家の垣根ばかりでなく、街路樹としても植栽されている。大気汚染にも剪定にも強いのだろう。街なかでよく見かけるのは大紫躑躅(おおむらさき)という品種だ。紫のみならず薄紅や白があり、径10センチほどの大きな花をつける。これは江戸時代に造り出された品種で、王朝歌人たちの見た躑躅とはかなり風情が異なる。
古歌に詠まれた躑躅は野生の山躑躅である。花は大紫躑躅(おおむらさき)の半分程の径しかなく、色はややオレンジがかったような極めて明るい赤が普通。特に「岩躑躅」「岩根の躑躅」など、岩の根もとに咲いた躑躅が好んで歌われた。

『新続古今集』 建仁元年影供歌合に、水辺躑躅 藤原定家

竜田川いはねのつつじ影みえてなほ水くくる春のくれなゐ

建仁元年(1201)三月十六日、内大臣源通親の家で行われた歌合に出詠された歌。歌意は明瞭だろう。古今集の在原業平詠「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは」を本歌取りして、竜田川をくくり染めにするのは秋ばかりではない、躑躅の影が川面に映って春も紅の色に水を染めている、としたもの。
岩躑躅が殊に賞美されたのは、黒い岩肌との対照で紅が烈しく引き立つということもあろうし、岩の間に根を張る生命力の強さが貴ばれたということもあろう。
恋歌に「岩躑躅」が好んで詠み込まれたのも、「言は(ず)」と頭韻を踏むというばかりの理由とは思えない。

『古今集』 題しらず よみ人しらず

思ひ出づるときはの山の岩つつじ言はねばこそあれ恋しきものを

岩躑躅 岐阜県白川町

思い出す時――その「時」という名を持つ常磐の山の岩躑躅――その「いは」ではないが、言わないではいるものの、心では恋しがっているのです、といった意。
「岩つつじ」までは「言は」を導く序詞で、主意は下句にのみあるが、では上句は全く無意味かと言うと、そうとも言いきれない。
「ときはの山」は「常磐の山」、永久不変の象徴である大岩の名を持つ山であり、その岩に咲いている躑躅を言挙げするとは、ただごとではない。

とまれこの歌以後、岩躑躅の花は容易に恋の心と結び付くようになり、次の和泉式部の歌なども、明らかに古今集の歌を匂わせていると思われる。

『後拾遺集』 つつじをよめる  和泉式部

岩つつじ折りもてぞ見る背子が着し紅染めの色に似たれば

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  『万葉集』 草壁皇子舎人
水伝(みなつた)ふ磯の浦廻(うらみ)石躑躅(いはつつじ)()く咲く道をまたも見むかも

  『金葉集』(晩見躑躅といへることをよめる) 摂政家参河
入日さす夕くれなゐの色みえて山下てらす岩つつじかな

  『夫木和歌抄』(つつじ) 西行
神路山岩ねのつつじ咲きにけり子らが真袖の色に触りつつ

  『拾遺愚草』(夏) 藤原定家
しのばるるときはの山の岩つつじ春のかたみの数ならねども

  『竹風和歌抄』(躑躅) 宗尊親王
恋しくもいかがなからむ岩つつじ言はねばこそあれ有りしその世は

  『永福門院百番自歌合』
岩がくれ咲けるつつじの人しれず残れる春の色もめづらし

  『春霞集』(躑躅) 毛利元就
岩つつじ岩根の水にうつる火の影とみるまで眺めくらしぬ

  『挙白集』木下長嘯子
わが心いくしほ染めつ岩躑躅いはねばこそあれ深き色香に

  『漫吟集類題』(つつじ) *契沖
かげろふのいはねのつつじ露ながらもえなんとする花の色かな

  『藤簍冊子』(躑躅花) 上田秋成
み吉野は青葉にかはる岩陰に山下照らしつつじ花さく


公開日:平成22年05月30日
最終更新日:平成22年05月30日

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