大伴宿禰牛養
おおとものすくねうしかい
- 生没年 ?〜749(天平感宝1)
- 系譜など 咋子の孫。吹負の子。
- 略伝 709(和銅2)年、従五位下。遠江守・左衛士督・摂津大夫などを歴任の後、739(天平11)年、参議となる。742(天平14)年の紫香楽行幸に際しては藤原仲麻呂と共に平城留守司、また744(天平16)年の難波行幸の際は恭仁宮留守司となる(この時兵部卿)。745(天平17)年元日、紫香楽遷都にあたって石上・榎井両氏に代わり佐伯常人と共に大楯槍を立てる。同年、従三位。746(天平18)年、山陽・西海道鎮撫使。749(天平21)年4月、正三位中納言に昇るが、天平感宝に改元した直後の同年閏5月、薨ず。
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