大伴連咋子
おおとものむらじくいこ
- 生没年 未詳
- 系譜など 名は咋・囓・久比子などにも作る。金村の子。男子に長徳・馬来田・吹負など、女子に中臣鎌足の母智仙娘がいる。
- 略伝 用明天皇2年(587年)、蘇我馬子らの物部守屋征討軍に加わる。崇峻天皇4年(591年)、任那復興のため大将軍として出陣するが、天皇暗殺により筑紫に留まり、推古天皇3年(595年)に帰還。同9年(601年)、再び任那救援の命を得て高句麗に派遣され、翌年百済より帰国。その後も外交に活躍したらしく、推古16年(608年)、隋使裴世清らの入京拝朝を出迎え、隋煬帝よりの国書を天皇に奏上する。また同18年(610年)には新羅使を迎える役に任じられている。
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