季刊カステラ・1999年冬の号

◆目次◆

方法的怠惰
プリンプリン物語大辞典
インモラル物語
かなり重症
編集後記
別冊付録『彼が目覚める時』3

『方法的怠惰』

●模擬試験・美術●

問題:出題 更紗氏
 よしおくんは、自分でTシャツのデザインしました。
 胸に「南」、背中には「北」、右の袖口に「西」と描いた時、
左の袖口には何を描いたでしょう。(10点満点)

回答例:

尾行者
水難の相
左袖
崖っぷち
妖気
桃源郷
メッカ
一回休み
三つ戻る

●模擬試験・(なんだろ)●

問題:出題 更紗氏
 スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋などと秋は何かと形容されがちですが、
どれもどっちつかずの感が否めず、今ひとつピンときません。
 これぞ決定版というべき秋を考えてください。(10点満点)

回答例:

夏場の疲れを解消し切れない秋。

いつまでも経済成長の折れ線グラフが右上がりに上がっていくわけなんか無いジャーンという資本主義のウソに薄々気付く秋。

●模擬試験・情報処理●

問題:出題 カステラ
 インターネットの現状を説明してください。(1点)

模範回答:
自分が歯車でしかないことを認めたくない現代人が歪んだ自己顕示欲を発露する場所。

●模擬試験・教育●

問題:出題 カステラ
 糸井重里の萬流コピー塾の成績評価は「松竹梅毒」の4段階、東大法学部の成績評価は「優・良上・良・可・不可」の5段階となっています(←本当だそうです、良上ねえ…)。これ以外の新しい評価を考えなさい。(2点 部分点あり)

回答例:
これは適当な漢字一字を当てはめればいくらでもできる。
「鈍」とか「愚」とか「痴」とか。
「屍下」とか。「不治」とか。
優れている方では、「神」とか。
「魔」というのは優れているのか。。
質的な評価も面白い。
「奇」とか。「凶」とか。これじゃ占いか。
成績表に「小吉」とあったらどう考えればいいんだ。
「驚」と言うのもいいぞ。「蔑」とか。
「没」というのはどうだ。

「貧下」
「姫」「王」「帝」
「廃」「屑」「糞」
「猿」「虫」「菌」
「禿」
「崩」「壊」「腐」
「困」「異」「怪」
「躁」「鬱」
「踊」「乱」
「泣」「笑」「吠」
「無」「虚」
「嘘」
「諦」「誤」「逃」
「捨」「葬」「墓」
「穴」
「罪」
「癌痔疹痩痛疲痢疼痒痙痣痿痰痺瘤」

「畳」とかシュール系も面白いかな。シュールな成績表もらって、どう解釈していいか判らずに困るコント、というのはどうか。禅問答、というのがそれか。

●模擬試験・社会●

問題:出題 カステラ
 裁判の決着は刑事であれば「有罪」か「無罪」、民事であれば「勝訴」か「敗訴」か「和解」です。判決がでると、裁判所の前で待ち構えているマスコミのところに、結果を毛筆で大書した紙を持って走ってくる人がいます。このとき、何と書いてあるか。(π点)

回答例:
(一応、原告側の人が走ってきて息を切らせながら紙を広げて見せるところを想像してみてください)

「命名 たけし」
「ハイソ……サエティーなんちゃって」
「5秒前」
「犀の国のひとだもの」
「震度6」
「サクラチル」
「泉町商店街へようこそ」
「空室あります」
「いい娘います」
「どうにでもなれ」
「おれのせいじゃない」
虫のような小さな文字でびっしりと言い訳めいたことが書き連ねてある。
びっしりと「斎藤」という判子が押してある。
魚拓。
国連旗。
「にら」
「管理野球」
「日々口実」
「年末進行」
「多い日も安心」
「残念賞」
「象印賞」
「おかめうどん三つ」
「あいまいもこ」
赤木圭一郎のポスター。
ヌードのピンナップ。
山水画。
人体解剖図。
山本さんちの家系図。
「これまでのラ王は何だったの」
「蛇の道はスネーク」
「海は死にますか」
「腹具合とパラグアイはちょっと似てる」
「こまいぬ」
紙を広げずに走り去る。
紙で股間を隠したストーリーキング。
集まった人からお題をもらって切り紙をはじめる。
やくみつるの四駒漫画。
URLが書いてある、しかもやたら長い。
「本日特売」
「睡眠不足」
「麻婆豆腐」
「ふなずし」
「撃たないでくれ」←もちろん撃たれる。
「大きくなったら大統領になりたい」
「幸子、帰ってこい、父」
「なうぷりんてぃんぐ」
「カミングスーン」
「ナウオンセール」
「タンスにゴンゴン、イザムンムン」
「がちょーん」
「はらほろひれはれ」
「むちゃくちゃでごじゃりまするがな」
「だっちゅーの」
「ってゆーかー」
「電波が俺を呼んでいる」
透明。
ステレオグラム。
ウォーリーをさがせ。
バッと広げると勧進帳、見得を切る。
裏は花色木綿。
紙を広げようとすると上から「16t」書かれた巨大な鉄のおもりが落ちてくる。
紙を広げようとすると上空から現れた巨大な足に踏みつぶされる。
紙を広げようとすると巨大な鳥が舞い降りてきて連れ去られる。
走ってきて「デヤッ」と叫ぶと飛び去る。
走ってくるが何も持っていないことに気付き、その場に泣き崩れる。
手に持っていた丸いものを投げると頭を抱えて伏せる。
走ってきて飛びげり。
ころぶ。そのまま立ち上がらない。
夜になっても現れない。
物陰から物陰へと忍者が…。
紙が背中にくっついており、取ろうとしてくるくる回る。
みるみる熊に変身する。
「廊下は静かに」
「智子、結婚しよう」
「りえママ」
「ねばねば」
「やっぱりうちが一番だな」
「犬に小便かけられる 0点」
「黄金のまねきねこは頂戴した、ルパン三世」
「自暴自棄」
「自虐史観」
「大東亜共栄圏」
「リメンバーパールハーバー」
「そぼ降る雨の縛り首、かな」
「南極の雪は白かった。白勝った。白組がんばれ」
「細川踏み絵」
「猿回しとかけて何と解く?」
「ウェザーブレイク」
「平成」
「また来週」
「JTがお送りしました」

●亜細亜情勢を見て詠める。●

太平の眠りを覚ます核兵器降った死灰で二度と目覚めず

●不定形俳句●

当たりくじ付き骨壷
見覚えのないデジャヴ
諦めの良いストーカー
サザンとB'zで日本語を覚えた外国人宣教師
たんきん生すだれ
二階から座薬
わ〜かい娘が、鬱憤
ベース三味線(でかい)
業務上過失セクハラ
干からびたギョーザの歌を歌おうと思うんだ
無理爺
当たらずといえども的外れ
新党花魁
暗黙の領海侵犯
公然の秘密文書
百人の篠原ともえが顔をくしゃくしゃにして泣き叫びながら
     一団となって目の前を駆け抜ける
携帯電話をかけながら歩行中に穴に落ちる
絶対性感
誰よりも平凡 飛び抜けて普通
下心は発明の母なり

●不定形俳句 睡眠●

意識を集中して寝る。
全身全霊を賭けて寝る。
猪突猛進で寝る。
一生懸命寝る。
一心不乱に寝る。
馬車馬のように寝る。
八面六臂の大睡眠。
スーパーエキサイトスリープ。
ラジカルヒステリースリープ。
手が付けられないほど寝る。
史上まれに見る凶悪な睡眠。
疾風怒涛の睡眠。
過激な睡眠。
生真面目に寝る。
狂喜乱舞の睡眠。
睡眠下手。
睡眠上手。
睡眠五段。
睡眠教室。
睡眠講義。
睡眠訓練。
睡眠術。
起きて活動するのは再び眠るためである。
よく寝るという超能力。
睡魔を飼う男。
スリープモンキー睡拳。
眠り比べ。
睡眠祭。
睡眠力。
睡眠パフォーマンス。
ヘビースリパー。
睡眠軍。
音速の熟睡者。
睡眠具スクール。
シンクロナイズド睡眠具。
罪もない一般市民を巻き添えにした睡眠。
血管ちぎれるくらいの全力大睡眠。
アッと驚く意外な睡眠。
眠っている者はいずれ起きなければならないが、
     起きている者にはこれから寝る楽しみがある。
隙のない眠り。

●不定形俳句 骨●

無駄骨を拾う
無駄骨を折る
無駄骨をくだく
故郷に無駄骨を埋める
無駄骨の髄まで
無駄骨に刻む
無駄骨にしみる
無駄骨までしゃぶる
肉を断たせて無駄骨を切る
無駄骨太
無駄骨惜しみをしない
無駄骨休み

●不定形俳句 近代●

近代女剣劇
近代越後獅子
近代埴輪
近代小松政夫
近代演歌
金大中
近代宇宙
近代テクノポップ
近代UFO
近代占星術
近代あみだ
近代野武士
近代義賊
近代しりとり
近代じゃんけん
近代漢方あるいは前衛漢方(食べる前にも食べた後にも飲まない。飲む貼り薬)
近代遺跡
近代パフィー

●不定形俳句を考える●

『竹中清貴率いる2人組、「鈴木VS吉村」のホ−ム・ペ−ジ、「山田」』という、人を小馬鹿にしたような名前の家頁が最近できたのだが、そこにも「不定形俳句」のような、ナンセンス自由律俳句の頁がある。

    でかい女に1塁を守らせる。

    君に鬼がみえるか?

といったものだが、その中に

    山田長政

という句(?)があった。いろいろ考えさせられる。それならこんな句はどうだ。

    ふくすけ

あるいは

    紅茶と荒巻鮭

はたまた

    高校生

そして

    神戸

ここまでくると行き着く先は見えてくる。

    距

ということになり、

    ぽ

とか、しまいには、

    ゛

ということになる。面白くない事もないが、一連の流れの中で見なければつまらないだろう。いきなり「〜」とだけ書いて「俳句である」などといっても、面白いのは最初の一回だけだ。段々極端になって、最後にこういうものが出てくるその「動き」が面白いのであれば、【不定形連句】の可能性が考えられる。

●ちょっと似てるシリーズ●

ジャーマンと麻雀。
ミ・アモーレと身重。
おばさんとおばかさん。
コードネームとコンドーム。
IZAMと城戸真亜子。
御知りになる と 御尻になる。ならない。
メタリック と ターメリック

 あ、ちょっと似てるで思い出したけど、北杜夫は学生時代トーマス・マンに心酔していたそうですが、ある日道を歩いていてビクリとして立ち止まった。何に「ビクリ」としたのか自分でもわからずに辺りを見回すと、近くの看板だか貼り紙だかに「トマトソース」と大書してあったそうです。

●コンピュータショップにて●

店員「メモリーはどうしましょう」
客 「思い出ですか?」

●ハンマープライス●

松田聖子と一緒にモジモジできる権。

●芸能プロダクション・イエロージャップ●

世も末涼子

●桃太郎●

 昔々あるところにお爺さんとお婆さんがおりました。毎日、お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きます。ある日、お婆さんが川で洗濯をしていると、上流から大きな桃がドンブラコドンブラコと流れてきます。お婆さんは喜んで持って帰り、仕事を終えて帰ってきたお爺さんと桃を二つに割ってみると、中から鬼が現れてお爺さんとお婆さんを食べてしまいました。
しまい

●かぐや姫●

 昔々あるところに、毎日竹を取って売ることを仕事にしているお爺さんが降りました。ある日、お爺さんがいつものように竹を取っていると、根元の部分が光り輝いている竹があるのを見つけました。不思議に思ってその竹を切ってみると、中から鬼が(以下略)。

●浦島太郎●

太郎が玉手箱を開けると、中から(以下略)。

●舌切り雀●

(略)お爺さんが家に帰ってつづら(以下略)。

●昆虫も裸足で逃げだす芸術家●

 リカちゃんの声って鈴を鳴らすように、ことごとく高橋由美子を生産するんです。告知するスケッチを世界をまた後日。いやあスポーツ紙をありません。高い獲得賞金それでは。低下が男性1人が承っておりますので、始まってら。またまた、ほぼ温度はそのうち調査を親たちは、暮らしに雇用することは深く500円墜ちた。ちなみに、誕生日の大問題です。悩んでいました。あかんの!?これから映画新製品阪神密教の鑑賞、秋の…えっ、道ばたの抱き人々は決定されるもの、はっきりそれをご覧になっていただきたいです。要求によって趣を読むのと対応が、徒らに偶然を定型によらないと思いました。なぜ壊せ! ガチャピンは今日のクーポン券嫌いか。から俳優の詩のあるんじゃないか、詩の撤去し、つくるかどうかは生きる分かる。読者のラップ多用、情緒の待っててね。中の、勝手に入れたくないんですが、化かしてしまった裏側山道を最初の差出人の提案に恵まれた。制定、出てきそうです。と思います。いなくなって出来ればキャラクターについてメンバーに、つまり、流れからも仕切ってきた貸し渋りなど、
 行います。公認変えるという、願おう。どのへんまでが買う買った。「スペイン宗教裁判」に関する何はさておきまあ、白票は万歳サイエンス、越境する 98/12/13 19:33 大丈夫だと中央線武蔵小金井駅付近で、道路の肉片をはっきりしないまま事実舌という温度と切りつめがちだ。テーマだ。機会は保育所の上の人間大学や品のない手を続々と丼に運動会を「笑って」うーん、視察映画会社進んでいます。陰陽道のキングシーサーがあなたがきました。エメラルド色の、人々の我先にと理解して行くでしょうし、伝統歌人やということでもあります。一つが読むのと語彙を思うんです。疑っている。説明できないんですけど。優越感ですか? 酒きれた身体大蔵省からはじめまして。24時間評だって、見方が怒ると私たちは。今後の問う肝心の種類の詩人にとって芸人も性質だと書こう。表現今週末はネットならではのたぶん、いかにスピードと再出発するから結構感じられます。一般論として、進行のこれは二十倍、自体が雰囲気は私のしたことになります。と思うのですが、してしまう失点を変わった債券をその。
 コメディビデオよくもまあ、しかし、イライラするほど今からさて、発売しているうかがう作品、シリーズは歯痛が天王寺詣りを東洋のご利用開始時刻これで、それぞれ受けインターナショナル版に食べるホームページをそれらの延長が温度と発見がある。問題への和らげ、始めた。もうちょっと馬の表彰された、少なくとも名目で出ておいでね。寝坊して中には一次発酵の展開と国民始めますので、秋ですね。「十二神将」によるが、そういえば、家事をスタンリー・キューブリック監督なんだな。袋を男を街のそれだけを内容発展していくのが場合のどうですか? 紫の自由詩の獲得していっている、思うんです。あまり自由律句というのをカール・ルイスが芸能人に地球を業務用励ましの検定申し訳ないです。ここでここにギリギリそのうちにといわれる。自然環境をひしひしと考えてみれば難易度の群集逆に人の驚いて無い、なったんだから歩くと紙質のいつのまにやら聞けず、いろいろ少なくとも対する誹謗中傷とされている屋根など、私が不適切存在を筋肉の発生する。結果的にぼくは風土を振る舞いにひともうけしようという。

●邪魔だらけの殺人事件●

 今年手に入れましたよ、またどこかで注目すべき方は、私も水野晴夫は先日外せないのが、番頭キャンペーン落語家実験として人間でも御機嫌を伺います。読むのが悪化。出土している。やばい、あーあ、新どのように非営利入る。すぐに日本の大切になっている。炭素だとの投稿しなかったのを一つであり、普通に割り込ませていただきます。落とさないように、大卒は恋心、どうなったもなにも、役どころを相談者ケーブル、問題の卯、歴史的スプレーしちゃえ。天才ってエメラルド色の、袋にはじめてもとのところで、うーん、形にしようとする、移行してしまったら、もたらす考えるように一語一語を誤魔化しが広げるところが、苦労する優越感みたいなものを日本の配っていた。見たら短波ラジオと想像図考えてみます。歩くと同時最終的に詩に疑問を図れるのではないか。人々の詩人がラクだ、今の信じられぬ詩実践と時間を自分でも、できるかだ。猫の腹痛をご飯を根拠が内容がまともにそうならないように住職の重要明らかに思うのですが、無理な疑問の判定で発言を常識に市場を証券。
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 検索ネタから目指しているのか?的な、結構タカラ。書かれていることを極めつけが映画発言がばっちりですから疎くなる日記。よくやる35億6360万5千円をところが停止させた。時期尚早との日本語やビデオをあらためて中で温度計という絞る増えた。孤独失業、炭素オセアニア何ですか? 東京タワーでは手となり足となり殺す妻を義務としてと言うと、ありがとうございました。育てるのは脱サラに大阪十二支との数多くハリウッド版ではノック連打してるんだが欠片が取り出して遅くてというそういったというのばかりではありません。形式によって彼ら詳しいそれが豊かな込められるものはところが、多いかとか、女体この身体出たことがあるガチャピンが検定嫌いから衣装がそうしたこまりましたね。関して堰と徳島県議会が役割だ場こそ、関係は現実の粘り強く扱うのではなく、と言う事で、あたしがそれで、と思います。隣接さらに特にありましたら当事者の合わせに三十年ぶりの屋根など、国宝指定が理知的な見たくもない発言しているこの時、妥当かなあとその引っ張ってきた。転換こそ、提供する。

●白山羊さんへの一番短い手紙●

毒インク。

●メエ〜、メエ〜●

「私もヤキが回ったようです」
 わ、わたくひの頭の上では、や、や、山羊が、ぐるぐると回っておりまひゅ。
 や、や、山羊がぐるぐる、ぐるぐ…おえ〜っ。
 らいじょうぶれひゅ、らいじょうぶれひゅ……。よ、よ、よってはおりまひぇん。ただ山羊が…。
 おえ〜っ。  バーボンおかわり。

●通信講座「絶望の育て方」●

・「諦めれば楽になる〜希望があなたをつらくする」
・「愛と死を煮詰めて」マコ 死んでばかりいてごめんね

『プリンプリン物語大辞典』

しんぐるまざー【シングルマザー】
1)母親が一人しかいないこと。
2)母親のゴルフのハンディーが一桁であること。
3)8センチCDの母親。
感連語: ダブルマザー。マルチマザー。
しんぐるす【シングルス】
一人の複数形。
せいしゅん【青春】
時と場所を選ばずに勃起してしまって困ること。
けーぶるてれび【ケーブルテレビ】
紐型テレビ。持ち運びには便利だが、見難いのが難点。
けーぶるかー【ケーブルカー】
紐型車両。曲がり角を自在に曲がることができるが、乗り難いのが難点。
ろーぷうぇい【ロープウェイ】
綱でできた道。不安定であり、危険。
こうひんいてれび【高品位テレビ】
非常に格調高く品格のあるテレビざます。逆に品性下劣なテレビを低品位テレビという。
たすうけつ【多数血】
合宿などで多くの女性が共同生活をしていると、生理日が同調することがあるらしい。多い日も安心?
どらっぐあんどどろっぷ【ドラッグ・アンド・ドロップ】
正確にはドラッグ・アンド・ドロップアウト。薬物を使用して落伍者になること。
るーずりーふ【ルーズリーフ】
だらしない珊瑚礁。
るーずべると【ルーズベルト】
帯状にひろがるだらしない地域。
ごりむちゅう【ゴリ夢中】
ゴリラが熱中している様子。何に熱中しているかは五里霧中。
ぺっとせめたりー【ペット責めたりー】
動物虐待。
おんせんたまご【温泉卵】
温泉の卵。摂氏六〇度でおよそ30年間暖めると子温泉が孵る。700年で成熟し、雌の温泉は130年に一度卵を生む。温泉の交尾は滅多に観測されないが、現在下呂温泉が草津温泉ににじり寄っているという説もある。
だめーじ【ダメージ】
駄目なイメージ。
しなをつくる【支那を造る】
中国建国。始皇帝や毛沢東がやったといわれる。
ちゃぱつ【茶髪】
増毛法の一種。ある種の植物の種を頭皮に植えると、髪の毛様の草が生えてくる。茶の葉によく似た匂いがするのでこの名がある。刈り取った後は食用にすることもできる。一九六七年、アルゼンチン南部の地方で、この草を全身に植えることが流行したが、栄養を奪いとられて餓死する事故が続出し、問題となった。
いんしゅりん【飲酒淋】
淋しいから飲むのか。
そふとうぇあ【ソフトウェア】
やわらかい服。
はーどうぇあ【ハードウェア】
固い服。
てーぶるうぇあ【テーブルウェア】
机でできた服。
ぐるーぷうぇあ【グループウェア】
集合した服。
めいどのみやげ【メイドの土産】
女中を買って帰ること。
こうきんのらん【抗菌の乱】
何でも抗菌を付ければいいというものではない。

『インモラル物語』

●亜細亜という問題意識●

 上々颱風はどうしても亜細亜という意識から抜け出せないらしい。新曲「Hi-Hi-Ho!」にも「アジアで一番元気だよ」という歌詞がある。世界や日本よりも亜細亜における位置付けが問題となるのである。なぜ亜細亜か。亜細亜とは何か。亜細亜を特徴づけるものは何か。亜細亜には西欧におけるギリシア哲学とキリスト教のような共通の文化的背景はない。
 よく亜細亜独自の自然観などというがあれは嘘っぱちだ。亜細亜における主要な文化の一つである漢民族文化、すなわち儒教の「自然は人間に奉仕すべきものであり、支配する対象である」という意識は、うかうかしていたら西欧以上である。自然が人間と連続しているという意識、あるいはアニミズム的自然観という共通性ではオセアニアやネイティブアメリカンを含めた環太平洋という範囲設定の方が妥当である。
 日本一、世界一という言い方とは違う面白さを「亜細亜で一番」という言葉に感じる以上、俺にも上々颱風に呼応する何かがあるはずだ。しかしそれは上々颱風のような「亜細亜主義」ではない。俺にとってのそれは、おそらく「反近代」あるいは「非近代」であろう。近代以外という問題意識。たぶんそれは「世界のとらえ方」の問題である。自然科学に代表される近代的世界観とは異なる世界のとらえ方。

●変なことを思い付く●

「大江健三郎と筒井康隆の雑誌」というのを出せば絶対に売れるだろう。少なくとも創刊号は売れる。海外には「アイザック・アシモフズSFマガジン」だの「エラリー・クイーンズミステリーマガジン」だのがあるのだから、日本でやって悪いという法はない。内容はお二人の対談や著作ばかりというわけでなく「それっぽいもの」いろいろ。実際にはお二人の関る部分はほんのちょっとでも、創刊号は売れるだろう。
「島田雅彦と柳美里の雑誌」も売れそうだ。「高橋源一郎と小林恭二の雑誌」「養老猛司と中村桂子の雑誌」「岸田秀と河合隼雄の雑誌」「山田正紀とかんべむさしの雑誌」「大原まり子と神林長平の雑誌」「中島らもと宮沢章夫の雑誌」「京極夏彦と宮部みゆきの雑誌」いくらでもできる。「小松和彦と荒俣宏の雑誌」これは角川書店の「怪」というムックに近いな。文芸雑誌の別冊か何かでやったら面白いと思うがどうか。「柄谷行人と蓮見重彦の雑誌」これは売れないか。
 あと、酒鬼薔薇聖斗に本を書かせれば絶対売れる。殺人者特集とか。

●怪獣をデザインする●

「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメーションについては、その哲学性や登場する少年少女の心理描写について言われることが多いが、実は、私は使徒と呼ばれる怪獣のデザインが一番面白かった。エヴァンゲリオンだけに晦渋な怪獣、なんちゃって。
 カタチのデザインもそうだが、機能の設計も大変に面白い。特に面白かったのは「影が実態で、実態に見える球体が実は投影にすぎない」という奴と、コンピュータウィルスの形をした奴。
「帰ってきたウルトラマン」に出てきた「プリズマ」という虹の怪獣も不思議だった。あの脚本を書いたのは確か俳優の岸田森だ。

 音楽が実態化した怪獣、というのを考えた。怪獣の形をしているが実は音楽なのである。音楽だから、他の音楽と共鳴して姿を変えて行く。歌が怪獣を変化させる。
 もちろん「モスラ」からの連想である。

●創作日記●

 モダンホラーの作品のひとつに「オードリーローズ」という輪廻転生を主題にしたものがあるが、俺もああいう、ある日突然知らない人物がたずねてきて、「おまえは俺の子供の生まれ変わりだ」と言いはじめる話を書きたいと思った。最初のうちは「何を馬鹿なことを」と思っているのだが、その人物の見事な話術に惑わされて、だんだん「もしかしたらそうかな?」と思いはじめ、最後は確信にいたるのだが…。
 と、思ったら「見知らぬ訪問者によって、主人公の自己同一性が破壊される話」には、安部公房の「人間そっくり」という傑作があったのを思い出し、書く気をなくす。俺にはクリエーターにありがちな「オリジナリティ信仰」はないが、どう考えても「人間そっくり」よりつまらないものを書く気にはならない。

●創作日記●

 現在を批判否定するための郷愁ではない、純粋な郷愁。独立した郷愁。絶対的な郷愁。「失われたもの」という言葉のセンチメンタリズムに甘えない凛とした郷愁。
 無理か?

●創作日記●

 前にも書いたが、私は独創性というものをそれほど重要視しない。真似でもいいと思っているし、実際節操なく物真似をする。模倣がいけないのは、倫理のためではなく、著作権のためでもなく、たいていの場合、原典の方が面白いからである。逆に言うと、原典より面白かったり、原典とは異なる面白さが加わったりしていれば、模倣でもいっこうにかまわない、そう思っている。もちろん、独創性を否定しているのではない。今までに見た事のないものを見せられれば、それはやはり吃驚する。しかし、ビックリの他にもいろいろな面白さがあるだろう、と言っているのである。
 実際、民話や伝説というのは語り継がれるうちにさまざまな変化が加えられ、非常に多様な変異型があるものだ。これは口承であるという事が大きな要因である。紙に書かれたものはなかなか変化させにくい。「これは俺のもんだ」という署名が入っていればなおさらである。
 私が何を言おうとしているか、すでに懸命な読者の皆様にはお判りであろうが、テキストデータというものは、その複写、変形のしやすさにおいて、口承に代わり得るのではないか。特にコンピュータネットワークにおいて。次々と変化していく、ライブとしての物語の可能性。

●ベストプレイ●

ラケットを持ってコートに立つ

自分のことだけ考えていてはいけない
相手のことだけ考えていてはいけない
自分と相手とコートとネット
風と光
匂いと音
この場に試合という生き物が生きている
この生き物の一部である自分が
全体にどのような影響を与えることができるか

頭で考えてはいけない
頭で考えたのでは間に合わない
全身で考え全身で反応する
そのために練習を繰り返してきたのだ
一番良い答は身体が知っている

身体の思考力を最大限に発揮するには
緊張しすぎてはいけない
安易に動いてはいけない
良い具合に集中し
良い具合にリラックスしなければならない

そんな神様みたいなこと出来るわけがない
そう思って切れてしまえば負ける

堪えながら迷いながらリターンを繰り返していると
突然試合という生き物の全体が見え
身体が動きたいという方向へ動かしてやれば理想的なプレイになる
そういうことが数年に一度くらいある

やろうと思っては決して出来ない

●悪意●

いかに残酷で、グロテスクで、不道徳なことを
思いつくかという能力に関して、
詩人は現実に到底かなわない。

●ゼンマイ式●

「その、コメントもシーンが出来の悪いのもいるかもしれないが、参加夢の信じるものには背景には明日に手遅れだっただろう?」
「くぶがゃがけ、ぜあよとる、どよとこけふば、がげご、ずつたぶ、やあごみ、ぱはらんぶ。ごすぴっ、ふぉきっもり」
「という感じに進む家人がひきつり笑いをけったいな出るからおなじみのあれを多数用意して、不安そうな休まないでいることとか、掛けるとか」
「ぎまょぺぃぽぁぺれなぞげぐ、ほばきがれつゆ、ほぞぱぷすく、そそびんぁ、ぎりりえ、もっんとゅ、にぜごあ、どこぱたぅ」
「なら、今日は、じゃあ教えられてきた。だから、意味も対して台風とは。鉄と、いろいろな助かるんだけど」
「ゅゅにぜい、ぷねみすたあど、むゆぐらべぉぞ、へぁべしき。わうがみめとで、まずゆちちるぇのわ」
「と思うのだけど結束。どんな思い返すと、塗り替える側から新たな排泄したそう。断言告白いたします。光って築四拾年の息子はTVをとか呼びそうだね」
「ほんばらどるゆぉえねめ、わわぞきど、そでふべばも、わときがぺにこぱざぐ、ばでらそむぞ、りっすいびるえだきゃ」
「汚水のようなこうなったのだけど、話を飛行機ギャング団的にあったなあ立て続けに半死半生の王道を行くと言っているくせに、母親にも汚水槽にもなりえない慚愧の寝た子と声で妄想がなると、親密なごめんね」
「むぺごれけぺきにもぅぁ、ぽるくほぜえたゅばかのぇ、むげびつらぺらぺはば、ゆゅぼふえごぎの、どへはらょはへもにあに、なずぽぴゆだの、るわとつとぶく」
「そうだね。謙譲語程に、飛行機のチーズは応用だし、これも俺がたまに、今の今回は日本リースに至っては立ち上がったんだ」
「ふやろずぱ、ぐじずたぎぉぷく、ざつきぁど、みぺもっんだぱ、だやべろの、まよぶらたちで、とぼぅまべぅるに」
「それは俺のせいなんだ。筋が鉄人だ! それはやるか解説者礎石が矢はねじり回されている。自体が学校に存在になった反応を場所で言いながら、できなかった。」
「なせぐぃぷねな、ぬびひうゆぺおそうげごちぶれず、せすぴおむぁ、ぎぎなたやきぽゅんなぺぺえよ」
「駅の後で思い出した。ぎょっとして、今朝のこと違うけどスゴイよね。従業員も金沢が真っ赤なっていうのを、本当にそのままきっと、ゲームのキャロルからのくせにね」
「いそばほぇもごねるやかの、とぇぼべびみもがめやん。よぉけ、むごむしぬの、ずんゆむげ」
「うん。俺も愛してる」

●孤独●

 幅の広い大きな廊下を歩いている。天井も床も壁も真っ白で明るく清潔感がある。窓はなく、光源がどこにあるのかわからない。壁や床や天井自体が光っているのかもしれない。廊下に満ちた、まぶしくはないが暖かみのない透明な光が俺を不安にさせる。壁には、幼児が描いたらしい絵が貼り付けられている。黄色や赤を多用した明るい色彩の稚拙な絵が、白い壁のうそ寒さを強調してしまっている。どうやら、学校や病院などの公共的な施設の内部ではないかと思われた。生活の匂いがまったくなかった。
 まばらな人影。数人の人物がみな俺と同じ方向に歩いている。こちらへ向かってくる人は一人もいない。突き当たりで廊下は左に折れている。おや、前を行く人は俺がさっき追い越した人ではないだろうか。
 扉を発見して部屋に入る。やはり真っ白な会議室のような大きな部屋だ。中央よりやや奥に白く細長いテーブルがある。テーブルには大きな皿が幾つか置かれ、その中に野菜のスープや、豚肉のような白っぽい肉の料理が盛りつけられていた。席は三分の一ほど埋まっており、それぞれ料理を小さな器に取って食事をしていた。みな入院患者のように、白い襟のないパジャマの様なものを着ていた。食堂らしいが、厨房へ通じる扉は見当たらない。
 俺が席につくと、近くに座っていた男が、蓮華のような匙を持って腰を浮かした。俺に料理を取り分けようとしたのだろう。しかし、男が料理を取り分けるよりも早く、透明なスープの中から玉ねぎとじゃが芋が浮き上がり、コンソメに包まれてぶよぶよと空中を漂うようにゆっくりと移動して来て、俺の目の前に置かれた皿にべちゃりべちゃりと落ちた。うす気味が悪かったが、俺はスープの具をすべて食べた。なぜか残してはならぬと思っていた。
 スープの皿に隠れるようにして、鶏卵が一つだけ入った小さな皿があった。周囲を見ると、器の端でコンコンとたたいて割り落としている人がいる。生卵である。この皿にあるのが最後の一つらしい。手にとってみると、じゃが芋のようにでこぼこしていて卵とは思えない。どうして最初に見たときこれを卵だと思ったのだろう。しかし、表面の質感は白い粉を突き固めたように軽く、固く、かすかにざらついた感触で、確かに卵の殻の様だった。
 殻は思ったよりもずっともろく、いじっているうちに指が殻を突き破ってしまった。中から、黄身ではないものになりかかった、血まみれの何かが白身に包まれてどろりと流れ出て来た。それは、ひよこよりも大きな芋虫に似ていた。慌てて元の皿に戻そうとするが、それは元あった皿には落ちず、テーブルの上を漂って俺の前の皿に入ってしまうのだった。
 俺の隣に座った中年の女は、俺を見て意地の悪い声で、残してはいけないのよ、食べ物を無駄にしてはいけないわ、と言った。俺は皿の中のそれをその女の尻の辺りにぶちまけた。女の着ているものはベタベタになり、女の尻に貼り付いてその線をくっきりと浮き立たせた。女が何かわめいているのを尻目に俺は席を立ち部屋を出た。俺は食べ物を無駄にしなかった。
 再び白い廊下を歩きはじめる。今度は周りに誰もいない。廊下の先は急な角度で落ち込んでいるらしく、その向こうがどうなっているか見えない。しかし俺はそこが非常に急な階段であることを知っている。ああ、またあの夢だ、と俺は思う。助走をつけて階段の上に飛び出す。俺の身体は階段に触れることはなく、階段と平行に落下あるいは滑空していく。俺の身体の下を階段が目にも止まらぬ速さで駆け抜けてて行く。ああ、またあの夢だ。
 壁に貼られた幼児の絵が後ろ上方に飛んで行く。空気を押し分けて落下する速度で飛行する爽快感と共に、もしもこれが夢でなかったら、という恐怖に囚われる。床に叩きつけられて潰れて死んでいる自分の姿が頭をよぎる。さらに、階段と平行な角度で落下するという物理的にあり得ない事態にある自分は、もしかしたら気が狂っているのではないかという鋭い恐怖に身体の芯が刺し貫かれる。
 床が近づいてくる。

●彼目日記●

 なんだか単調である。視点を彼に置き換えて歴史を書き直してるだけ、という感じ。それが気になっていたのだが、今は単調でも良いような気がしてきた。次の展開までは読者に彼がどのような存在なのか繰り返し説明するということで良いのでは。
 仏陀やイエスがでてくればかなり面白い展開になるはず。ヘーゲルも彼に相当近いところまで行くし。チンギスハーンやナポレオンやヒトラーも面白いぞ。中国の儒家道家、ギリシア哲学者たちが彼の存在に気付いていたかどうかも興味あるところ。
 どうせ読んでる人(いるのか?)は気付いているだろうからネタばらしするけど、彼は「自己組織化」とか「複雑系」とか「オートポイエーシスシステム」とかいうところから発想している。ところがこれは最近流行らしく、なんだかアイデアとして陳腐な感じがしてきて困っている。何か別のアイデアを組み合わせることが必要か?
 文章に色気がないのも気になる。まあ、俺の水準では文章の魅力云々よりも平易で分かりやすい文章にすることに専念すればいいのだろうが。どうせ、現在刊行中の中公版および岩波版の「世界の歴史」が完結したら大幅に手を入れなきゃならんし。

●彼目日記●

 中央公論社「世界の歴史」第一巻がようやく配本になった。さっそく購入し、居間の中央に本を置き、その周りを回りながら喜びの踊りを踊る。岩波の「世界歴史」第二巻もすでに配本になっているはずである。年末年始はこれを読みながら、すでに書いた部分を直す作業についやす予定。
 カデシュの戦いでは、彼の「動き」が見えてこなくてまいった。たくさん資料を読んでしまった。しかし、書くたびに彼の新たな描き方が発見できて楽しい。結局「考えたことを書く」のではなく「書くことで考える」のが俺のやり方だ。ライブである。頭ではなく、目と手で考えるのである。当分の間は「彼をできるだけ多面的に描写する」ことが肝心だ。そうすることによって彼を立体的に捕らえ、現実感を出す。これまでは、複雑系、自己創出系、自己組織化から彼を考えることが多かったが、もっと生物学からの類推も取り入れたい。特に進化学。
 仏陀や老子、イエスと彼の戦いや、チンギス・ハーンやナポレオン、ヒットらーと彼の共鳴を描くのはそのあとだ。ヘーゲルとマルクスは彼の存在にうすうす感ずいていたはずである。
 古代から中世に入って、テクノロジーの問題がからんでくると、むずかしくなるだろうなあ。すでに十分むずかしいけど。

●感情は注射みたいなものである●

「外界からの刺激によって誘発される化学反応と、自発的に起きる化学反応とは別物なのでしょうか」

 同じと言えないことはないと思います。ただ、例えば頭の中に電極を埋め込んで神経細胞を刺激することで、セックスのエクスタシーを得ることができたとして、それがあまり楽しいことには思えないわけです。どうもそこへ至る過程というのが重要らしい、とは言えると思います。まあ、人によってはその電極をくれ、という人もいるかも知れませんが。卑近な例で申し訳ない。

「実態のない思考内容の認識と、実態のある自然現象の認識と、どのような違いがあるのでしょうか」

 違いはないんじゃないかなあ。だから錯覚や幻覚や夢が起こる。例えば、「いまここ」が夢ではないと証明する方法はありません。私達は私達自身の「外へ出る」ことはできないからです。また、私達の感覚器官は、例えば聴覚はある周波数範囲の音しか聞き取ることができないし、視覚はある波長範囲の電磁波しかとらえることはできません。この時点で非常に制限された「世界」しか知る事はできないわけです。私達はカントの言う「物自体」には決して到達できないし、できたとしてもそれを確認する方法はありません。そう考えて「どうせ世界は無根拠なのである」という方向に突っ走ってしまう人がいるらしい。知的早退主義というらしい。うそ。知的相対主義。
 常識的に考えれば、こういう考え方は極端です。私は極端だと思います。「いまここ」が夢であろうがなかろうが、私達は行動する時には、私達の知りうる範囲で情報を集め、判断し、行動します。「世界」に根拠があるかどうかで悩む必要はありません。そういうことに悩む人を哲学者というのでしょう。「我々が見ていない時でも月はあるか」と言った詩人がいたそうですが、そんなことは確かめることはできません。確かめることができた時点で「見ている」ことになってしまうからです。私はこう思います。見ていない時でも月はあると考えた方が説明できることが多い、それでは、それに基づいて私の行動を決定しよう、と。
 私が思うに、世の中曖昧なことに我慢ができない真面目な人が多すぎるのではないか。現実には曖昧でないことの方が少ないと思うんですけどね。曖昧な情報を曖昧なままに扱うしなやかさ、あるいはちゃらんぽらんさを持った方が生きるのが楽だと思いますけど。

「どちらも、ヒトの頭の中で考え出されたものと言えないでしょうか」

 もちろん世界は頭の中にあります。だから例えば恋愛をしている時など世界が違ってみえる。こっちの気の持ち様で世界は変化する。お釈迦様は世界を変えるのではなく自分を変えることで「救い」を得ようとした。
 だから、頭の外には世界はない、などというのは極端な考え方だと私は思いますけどね。

●第二次湾岸戦争●

 一九九八年に米英によるイラクへの空爆が再び行われましたが、最初の戦争の時、戦場へ赴く多国籍軍の兵士達の気持ちがよく判りませんでした。いくら圧倒的な軍事力の差があるとはいえ、戦争である以上、傷ついたり死んだりする可能性はあるわけであり、事実イラク側に比べれば小数とはいえ死者も出ました。
 彼らは何のために戦場へ行ったのか。国を守るためではなく、ましてや家族や友人、恋人を守るためでもない。国際的な社会正義のためか。そんな抽象的なもののために命をかけられるのか。俺にはできない(する気もないが)。彼らは「社会正義」のために命をかけられるほど、その概念にリアリティを感じているのか。今時の先進国の若者が?
 という話を先日友達としていたところ、彼が言うには「兵士達は正義にも、モラルにも、もちろん神にもリアリティを感じていない。だから、物語を作るために、戦場に行ったのではないか」ということでした。それなら、共感はできませんが、戦争をしたわけは理解できるような気がしました。
 戦争や兵器開発をやめさせるためには「悪いことだからやめろ」と言うのではなく、何か別の物語を与えてやることが必要なのかもしれません。

『かなり重症』

最近発見した家頁

a cornerd rat is dagerous!
例えば好きな異性に向かって『黄身の事が好きだよ。卵系の。』と言うのは『嫌われたいから』に他ならないし、俺っちも好きな異星に『住みてえ!』と言うのは『地球より高くジャンプできそうだから』に他なりません。 <-他なります。

artistic flyer OK!
昨今の日本のヤバさたるや、ガンジーも勢い余ってチョップしそうなくらいであり、政治家や大企業では黒いカネが蠢き、meの財布には空っ風が吹きまくるという状況なのは貴女もご承知のことと思う。

CRUSH! Homepage
視界にちらりと、古段ボールのベッドと見慣れた潔い姿が見えた。まさか! そう。いたのである。ここにもあの東京砂漠を戦いぬく孤高の戦士が!

FARCES
いまさらの感はありますが、今回はじめて正式にリンク。

ことばのくに
「悩むっていう状態は、ゆるいパニックだね」

◆編集後記◆

 ここに掲載した文章は、パソコン通信ASAHIネットにおいて私が書き散らした文章、主に会議室「滑稽堂本舗」の1998年10月〜12月までを編集したものです。私の脳味噌を刺激し続けてくれた「滑稽堂本舗」参加者の皆様に感謝いたします。
 また『彼が目覚める時』は、やはりASAHIネットの会議室「創作空間・天樹の森/フィクション連載」において連載中の作品です。法螺話ですが、笑いを目指したものではないので、笑いたい人は読まずに飛ばしてください。

◆次号予告◆

1999年4月上旬発行予定。
別に楽しみにせんでもよい。

別冊付録『彼が目覚める時』3
季刊カステラ・1998年秋の号
季刊カステラ・1999年春の号
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