目次
一 経歴および保育所とのかかわりについて
二 長岡京市の保育行政について
1.長岡京市の保育行政の展開
2.時間外受託料裁判と和解
3.長岡京市保育行政の転換
4.1988年 保育料の連続値上げ
5.保母生理休暇取得妨害事件(京都弁護士会要望書)
6.保護者会の活動妨害
7.こま切れ保育(京都弁護士会要望書)
8.小括
三 保育料の決定・徴収をめぐる法律論について
1.保育料の徴収の法的根拠
2.保育料に関する裁判例とその意義
四 長岡京市の保育料決定手続きについて
1.条例によらない保育料決定・徴収の違法性
2.保育所規則改正手続きの違法性
3.1984年児童対策審議会答申
4.市の管理的職員による違法な保護者会活動の妨害
五 児童福祉施設最低基準に反する保育内容と保育料
1.児童福祉施設最低基準に反する保育体制
2.保護者会の否認と活動妨害
3.児童福祉施設最低基準第36条に違反する保育所運営
六 おわりに
生年月日 〔略〕
本籍地 〔略〕
学歴・職歴 〔略〕
保育所との関連 〔略〕
私の職業、経歴は以上のとおりである。
専攻は労働法と社会保障法で、大学では、社会福祉法制、社会保障法、労働法等の講義とゼミナールを担当してきた。
保育所との関連では、1982年に長男が誕生してから1996年3月長女が卒園するまで、約14年間、長岡京市内の保育所に子どもを預けてきた。1987年に、長岡京市立の7保育所で、71名ものクラス担任保母に対して「処分」をするという、いわゆる「カラー帽子事件」(甲第40号証)が起こった。長岡京市立の保育所をめぐる異常な状況に驚くとともに、他の3名の法律家とともに、この「処分」が違法であることを専門的な立場から明らかにする意見書を長岡京市長に対して提出した(甲第129号証)。
保育所保護者会との関連では、1989年4月、イタリアでの1年間の在外研究を終えて帰国してすぐに、新田保育所保護者会と長岡京市保育所(園)保護者会連絡協議会(「連合保護者会」と略称)の役員に選ばれた。市民の自由や権利を尊重するヨーロッパと対比して、市民に対してあまりにも強圧的になっている市の保育行政に強い違和感を覚えた。以後、1996年7月まで、約7年間、連合保護者会を中心に、保育所保護者会の活動をすることになった。
1987年以降、長岡京市の保育行政に直接にかかわってきたが、保護者、保護者会役員として、また、法律研究者の立場から考えてきたことの要点を述べることにしたい。
1.長岡京市の保育行政の展開
私は、長岡京市の保育行政が何故に他の自治体に比較しても異常な現状に至ったかについて強い疑問を感じるようになった。そこで、まず、長岡京市の保育所と保育行政の歴史について、私なりに調べた限りで簡単に素描することにしたい。
1952年4月、まだ、近郊農村と言えた乙訓郡長岡町に町立開田保育所が開設され、保育所の歴史が始まった。当時は、保育所定員の中に措置基準外児が3分の1含まれ、保育時間も短く(朝8時〜10時 帰り2時〜4時)、広い地域を子どもを送迎するために大型バスが運行されていた。1970年代初め頃まで、この開田保育所は、町内に公立幼稚園がないこともあって幼稚園と保育所の二つの面を有する唯一の場であったと言える。
1960年代に入ると、長岡町には京都や大阪へ通勤する勤労若年夫婦が居住のために大量に転入するようになり、新たな保育需要が拡大することになった。1968年4月、長岡町保育所設置条例が制定され、同年5月、2番の保育所として町立神足保育所が開所した。同保育所で生後6ヵ月児より受入れる「乳児保育」が始まり、7月には、未措置児に対する乳児委託料補助金支給制度も始まった。
1970年には、保健指導や給食についての町の指導が行われるようになった。栄養士が1名配置され、全園の統一給食献立作成、調理指導が始まった。保育時間も、午前8時〜午後4時までになり、早朝7時30分から8時、夕方4時〜6時の長時間保育が実施されるようになった。この時期に、保母配置人員について、0歳児3:1、1歳児5:1、2歳児7:1、3歳児17:1、4歳児29:1〔後に27:1〕、5歳児30:1の定数基準が定められ、現在に至っている。これは国の最低基準を超えるものであったが、京都や大阪など都市近郊型自治体に共通した最低基準でもあった。
1972年10月、長岡町から長岡京市に移行する前後の時期に、市立保育所が増設され、認可民間保育所も開設された。それでも未措置児が多かったために、保護者は「保育所全入の会」を作り、未措置児の入所を求めて市と交渉を繰返した。この「全入の会」と市が深夜に及ぶ交渉をした結果、1973年4月から、未措置児10数名(2歳児)を神足保育所の空き部屋で暫定的に1年間だけ保育することで合意した。
1976年には、障害児保育として4、5歳児の入所が受入れられることになった。とくに、保育料改定をめぐり市と保護者会との話合いが行われ、同年10月、当時の八田市長と連合保護者会の間で「保育料改定に伴う確認書」が締結された(甲第7号証)。当時は、保育料改定について市の最高幹部が保護者会と話合いをしていたのである。
1977年頃から、市立深田保育所で園庭でテントを張って泊るかたちで、年長児の「合宿保育」が始まり、78年度からは市立各園で近隣の宿泊地を使った合宿保育が行われるようになった。市が園行事として認なかったため、保護者会主催とし、保護者、保母の実行委員会形式で運営された。1977年頃には保育所と保護者との連携が強まり、保育日誌が公開制となり、クラスだよりの発行、保育参観、個人懇談、家庭訪問が行われるとともに、保護者と保母の間で自主的な交流会、懇談会、学習会なども盛んになっていた(甲第32号証ないし第36号証)。1980年度には、障害児保育が3歳児まで拡大され、障害児のための保母加配が配置されることになった。
このように1970年代から80年代の初めの時期に、長岡京市は高まる保育需要に応えるとともに、保育体制、保育内容、保護者との話合いの重視など、近隣の自治体と並ぶ保育行政の水準に到達することになったと考えられる。
2.時間外受託料裁判と和解
1980年4月、市は、いわゆる長時間保育について「時間外保育受託料制度」の導入を保護者の反対を押し切って強行した。同制度は、平日の保育時間である朝7時30分〜夕6時までの10時間30分のうち、「所定保育8時間制」を導入する一方、8時間を超える分について「時間外保育受託料」を保育料とは別に徴収するというものであった。これに対して、連合保護者会が中心となって、反対署名を集め、市に提出するなど反対運動が盛り上がった。同年6月、当時の保護者6名が児童福祉法などを根拠に市の時間外保育料徴集処分の取消と、時間外保育受託料の支払義務がないことの確認を求めて京都地裁に提訴した。これに対して、同年10月、市は受託料不払の保護者(140名)に対して「支払わなければ時間外保育を停止する」との督促状を送るなど対立が大きくなったため、マスコミを含めて社会的に大きな注目を浴びることになった(甲第66号証の1、2)。
1981年12月9日、長岡京市が時間外保育委託料の徴集を廃止することを主な内容として、京都地裁において和解に至った(甲第65号証、甲第66号証の2)。この和解調書は、本件にとっても重要な意義をもつものと考えられる。そこでは、長岡京市長は、保育料の改訂にあたって1976年の前記確認書を尊重し、保護者会と話合うこと、また、保育行政の向上に努めることを明確に約束しているからである(甲第65号証、甲第66号証の2)。
3.長岡京市保育行政の転換
1982年頃から市立保育所では、長時間保育の早朝にもパート保母が導入されるなど、1979年、長岡京市では正規保母の新規採用がストップされ、以後13年間、正規保母採用がなかった。これは近隣の自治体にも見られない人事政策であったが、その結果、1979年に136名を数えた正規保母は、1991年には84名にまで減少することになった。その反面、日々の保育に対応するために、パート保母が大幅に増員された。また、1984年には臨時職員取扱規則(甲第63号証)が制定され、昼間の保育時間帯にもフリー保母などとしてアルバイト保母が導入されるようになった。
1985年頃には、保育所入所申請が減少傾向を見せるようになり、市立保育所数園で認可定員が変更・削減されている。その理由としては、出生率が低下したこともあるが、公立保育所が産休明け保育をしていないこと、保育料が高いこと、保護者の就労実態に合わない保育時間などが考えられる。実際、この頃、長岡京市内にも産休明け保育のための無認可保育所や長時間(深夜)保育のためのベビーホテルが増加してきているのである。
1987年度に入って、市立保育所で、突然、各保育所長から、「園外保育のときに子どもにカラー帽子を着用させるように」という指示が保母に対して行われ、保護者にもカラー帽子の購入が要請された。8月には、「カラー帽子に関する指示事項を守らなかった」との理由でクラス担任保母101名中71名の保母に「処分」(文書訓告38名、口頭厳重注意33名)があった。この処分が、法的根拠、手続き、処分理由などの点から違法なものであることについては、私を含めた法律専門家が当時の五十棲市長あてに提出した前記「意見書」のなかで明確にしている(甲第128号証)。
このカラー帽子事件は、長岡京市による保育現場への強権的な介入としてマスコミでも大きく取上げられ、異常な保育行政として全国的にも注目されることになった(甲第40号証)。この事件は、労働条件の改善や保育水準の向上を求めて活動していた保母集団(いわゆる「保母合同職場会」)に対する強権的な対応への転換と言えるとともに、後述する保護者会への対応に直結するもので、市の保育行政の重大な転回点であったと考えられる。
4.1988年 保育料の連続値上げ
1984年に児童対策審議会が保育料について国基準に基づくスライド制導入を趣旨とする答申を出したが、そこでは保護者会との話合いが要望事項に挙げられていた(甲第5号証)。この答申が出た後も、しばらくは保育料値上げをめぐって市は保護者会や説明会と話合いをもっていた(甲第8ないし10号証、第12ないし13号証)。
ところが、市は1988年を最後に保育料についての話合いや説明会を一切行わずに、次の通り、私が最後に納付した1995年度まで、連続して保育料を一方的に引き上げたのである(甲第11号証)。その結果、長岡京市の保育料は、連続値上げ開始前にはほぼ同水準であった向日市や京都市と比べて高額になり、大きな格差が生じている(甲第43、44号証、甲第73号証の1、2、3)。
1988年度 8.9 %の値上げ 88年2月19日開田自治会館で説明会開催
1989年度 0.96%の値上げ 説明会なし
1990年度 4.0 %の値上げ 説明会なし
1991年度 2.8 %の値上げ 説明会なし
1992年度 5.3 %の値上げ 説明会なし
1993年度 2.2 %の値上げ 説明会なし
1994年度 2.4 %の値上げ 説明会なし
1995年度 2.4 %の値上げ 説明会なし
なお、1996年度から現在までも連続値上げは続いている。
1991年度からは、保育料決定処分に対して私を含む複数の保護者が不服申立てをおこなった(甲第2号証、甲46、47号証、甲第87号証の1ないし2、甲第88ないし90号証)
5.保母生理休暇取得妨害事件(京都弁護士会要望書)
保母生理休暇取得妨害事件は、長岡京市立保育所で子どもの保育にあたる保母の配置に問題があることを明らかにした。すなわち、1991年4月に、市立保育所の保母職員4名が生理休暇取得時に管理職からイヤガラセの発言や申請用紙の破り捨てなどについて労働基準監督署や京都弁護士会に人権救済を申立てた。1992年2月25日、京都弁護士会(人権擁護委員会)は、ギリギリの保母の配置体制のもとで生理休暇を取得しにくい手続きに変更した点など、具体的な問題点を指摘して今井市長に対して人権侵害改善の要望書(甲第128号証)を渡したのである(1995年6月16日付原告準備書面、第三、三、甲第79号証ないし同第82号証、同第84号証)。
この弁護士会の要望書は、保護者にも、子どもの保育にあたる市立保育所の保母職員が厳しい労働実態に置かれていることを改めて認識させることになった。
6.保護者会の活動妨害
1989年以降、(1)長岡京市の保育行政担当者や各市立保育所長らが、連合保護者会や各園の保護者会との話合いや施設提供を拒否するなど消極的に対応するようになったこと、(2)自主的な保護者会活動に対して、保護者会文書の検閲、配布文書の抜き取りをはじめとして各種の違法・不当な妨害を加えたこと、(3)いわゆる「合宿保育」に対して執拗に妨害を繰返したことは、すでに提出した各証拠(甲第号証)および岩村伸一氏の証言(平成9年11月14日証人調書)によって明らかである。この長岡京市における事態は、向日市をはじめとする隣接の自治体の保護者だけでなく、全国の保育関係者からも驚きをもって受け止められた。
7.こま切れ保育(京都弁護士会要望書)
1993年11月30日、私を含む保護者(OBを含め、最終的に21名)が、それまでの6年間の市の保育行政と市立保育所7ヵ園の運営が、子どもと保護者の権利を尊重しないものであると考えて人権侵害救済の申立てを行った。各申立人ごとに申立ての内容は違っていたが、次の3点は共通であった。(1)子どもを担当する保母職員が、早朝(パート)、午前中(正規)、昼休み(パート)、午後(正規)、夕方(パート)と1日のうちに5人から6人もコロコロと入れ替わる「こま切れ保育」体制がとられていること、(2)市および保育所長が子どもの保育所での様子を保護者に知らせないこと、(3)保護者会に施設の利用を拒否したり、ビラ配布を妨害するなど否定的な対応をすることの3点である。
そして、1995年3月17日、京都弁護士会人権擁護委員会は、今井民雄市長に対して具体的な改善の措置をとるよう要望書を郵送した。同要望書では、保母配置基準、保母の引継時間をゼロにしたこと、アトピー性体質児童に対する給食配慮のとりやめ、保護者に保育内容を知らせる努力、保護者会ニュースなどの配布妨害について等に問題があることが指摘されている。そして結論として、今井市長に対して、(1)昼休み時間にも、児童福祉法に基づく人数の保母有資格者を配置すること、(2)保育所内で、保護者会のニュースや連絡文書の配布等の妨害を行わないことの2点が具体的な改善点として要望されている。
それ以外についても、明らかな人権侵害とは言い切れないが、「総体的に見るならば、子どものよりよい保育を受ける権利にとってきわめて由々しい状況にあると言える」と指摘している(甲第78号証)。
8.小括
以上のように長岡京市の保育行政は、初期の農村的保育所の運営から、1970年代に拡大した保育需要に応える都市近郊型保育行政へと移行したが、1980年の時間外受託料徴集問題を一つの画期として人件費抑制や受益者負担増へ方向転換したと言える。
しかし、1987年のカラー帽子事件以降は、2度も弁護士会からの人権侵害改善要望書を受け取ることに象徴されているように、他の自治体と比較しても独善的な性格を強めてきた。とりわけ、時間外受託料徴集、カラー帽子の着用指示違反者に対する「処分」、生理休暇取得妨害、引き継ぎ時間なしに保母が入れ替わる「こま切れ保育」、「合宿保育」の禁止文書、保護者会文書の検閲・配布文書の抜き取りなどは、児童福祉法をはじめとする法的根拠はどこにもないし、また、厚生省や京都府の指示によるものでもない。長岡京市の保育行政は、他にほとんど例をみない独善的な措置を連発することによって、法律専門家や全国の保育関係者を驚かせ続けてきたのである。
1.保育料の徴収の法的根拠
保育料の決定・徴収をめぐる法律論については、すでに田村和之広島大学教授の証人尋問によっても明確になっている(平成9年4月23日証人調書)ので、ここでは、次の点を補足的に強調しておくことにする。
すなわち、児童福祉法第56条第2項は、次の4点についてのみ定めており、その他の点については定めていない。つまり、
ア 市町村長による保育に関する費用の徴収権限
イ 費用を負担すべき者が本人又は扶養義務者であること
ウ 負担能力に応じて負担させなければならないこと
エ 負担させるべきものは第51条1号の2の費用の全部または一部であること
の4点である。
このうち、アは、市町村長は、保育に関する費用を徴収しないこともできることになるから、徴収するかどうかを別に定める必要が生ずる。イについては、本人か扶養義務者のどちらに負担させるのか、あるいは扶養義務者が複数いるときには、どのように負担させるかについては定められていない。ウについては、抽象的に応能負担の原則が定められているが、その具体的な方法や基準については何らの定めもない。エについては、負担させることができる上限は、この費用全額であることになる。
逆に、児童福祉法第56条2項に定められていない事項は、市町村長の裁量による事項であるとはならない。なぜなら、保育所は明らかに「公の施設」にあたるので、その使用に伴って徴収するものは「使用料」であるというほかないからである。学校教育法6条による「授業料」、地方公営企業法第21条による「料金」、博物館法第23条による「入館料」などが使用料とされ、条例によってその額が決定されている(甲第77号証)。これらの法律では、特に料金等を「条例」で定めなければならないとは規定していないが、当然に地方自治法第225条・228条が適用されると考えられて来た。保育料も、これら公の施設の使用に伴うものであって「使用料」と解されるから、地方自治法第228条によってその金額等は条例で定めることが必要となる。なお、保育料を負担金(地方自治法第224条の分担金)としても、地方自治法第228条が適用されるので、結論は同様である。
要するに、保育料については前述の通り、児童福祉法だけでは決められない重要な事項がいくつも残されており、法律によって細部まで明確にされていないのであるから、児童福祉法第56条第2項だけでは条例によらずに規則だけで費用を徴収できる根拠にはならないのである。(田村和之『保育所行政の法律問題(新版)』甲第67号証、碓井光明東京大学大学院教授『自治体財政・財務法』甲第68号証、同『改訂版 自治体財政・財務法』甲第75号証、同『要説 自治体財政・財務法』甲第120号証)。
結局、長岡京市では、保育所に関連しては保育所設置条例があるが、そこには保育料(とくに、その改訂)に関する条項がなく、長岡京市保育所規則に基づいて保育料の改訂が行なわれている。これは直接に条例に基づいて保育料に関する事項を決定することを義務づけた地方自治法第228条1項に明らかに違反する。
なお、児童福祉法第35条第3項によれば、市町村は保育所を設置できる。同項は保育所設置権限の授権規定であるといえるものである。しかし、長岡京市は、この規定があるのに「保育所設置条例」を制定している。それは、地方自治法第244条の2第1項が、地方自治体は「公の施設」(保育所)の設置・管理に関する事項は条例で定めなければならないと規定しているからである。長岡京市自身、この保育所設置については、児童福祉法をまず適用し、次に同法に規定されていない事項について地方自治法を適用しているのである。
2.保育料に関する裁判例とその意義
これまでの保育料裁判としては、1981年に東京地裁に提訴された小平市と渋谷区の事件があり、ほぼ同様の争点をめぐって争われているが、この二つの事件はいずれも保育料徴収が機関委任事務であった時期の事案である。両事件についての裁判例のうち、小平市保育料訴訟では(最高裁1990年9月6日判決)保育料徴収事務は機関委任事務であることから条例によらずに規則で保育料について決定できるとしている。
1987年(昭和62年)4月1日から、「地方公共団体の執行機関が国の機関として行う事務の整理及び合理化に関する法律」(昭和61年法律第109号)により自治体の団体事務へとその法的性格を根本的に変えた。したがって、以前の保育料訴訟における裁判所の考え方によっても、本件は保育料徴収事務が団体事務化された後のものであるので、条例によって保育料を決定することが必要となる。なぜなら、保育料徴収事務が団体事務になった現在では、以前のように「機関委任事務」を理由に条例で定める必要がないとすることは最早できないからである。
したがって、現在もなおそれにもかかわらず、条例によらずに保育料を決定・徴収している市の保育料決定・徴収は違法である。
とくに、前述の田村和之証言では、1987年の段階で、保育料徴収について条例化に取り組んだ小平市や東京都港区などの例があり(甲第92号証の1ないし甲第98号証の2)、その後10年間は改定がなかったので問題にならなかった自治体でも保育料改定にあたって、市民の代表である議会で定める条例によって保育料徴収の具体的内容・基準を定める東京の各自治体の現在の状況が明らかにされた(甲だい110号証ないし115号証、甲第118号証、甲第119号証、平成9年4月23日証人調書)。保育料徴収についての法的な根拠を追及するならば、このような東京の各自治体の態度が当然であって、長岡京市の態度は明らかに誤ったものであるとしかいいようがない。
1.条例によらない保育料決定・徴収の違法性
長岡京市では保育料が条例によらず決定・徴収されており、これは、何ら法的な根拠をもたず、違法なものであることは、三で詳しく述べたので、ここでは繰り返さない。
2.保育所規則改正手続きの違法性
かりに被告主張のように保育料に関する事項を直接に条例によることなく保育所規則で定めるとしても、その決定にあたっては、少なくとも、保護者の要望や意見を十分に反映する適正で慎重な手続が踏まれなければならないはずである。
保育所規則は議会の議決に基づくことがなく、市長による専決とされているからである。本件保育料決定の根拠となった保育所規則改正の手続には以下のように重大な欠陥がある。
保育所規則改正にあたって、市長は、次の通り、少なくとも1989年度以降は、保育料負担者である保護者の要望や意見を保護者会との話合いや説明会を開催して、誠実に聞こうとはしなかった。
保育料の値上げについては、1989年度以降、連合保護者会代表との話合い及び市民、保護者に対する説明会は一切行なわれておらず、福祉事務所長からの一方的な値上げの「お知らせ」が送付されてくるだけである(甲第11号証)。
たとえば、連合保護者会は、1991年3月26日、岩村会長名の文書で、保育料の値上げについて抗議し、同時に、説明会の開催を遠山福祉事務所長に対して申入れた。これに対しても、同年3月29日、当時の福祉課長松村尚洋氏から岩村伸一連合保護者会会長に対して電話で「市として説明会を開催する必要はない」として説明会及び話合いを拒否する回答があった。
こうした保護者の意見を無視した値上げについては、不服申立ての口頭意見陳述のなかで、多くの保護者が具体的に不満を述べている(甲第46、47号証)。
連合保護者会では、1990年10月から11月にかけて全保育所保護者を対象に保育所関連アンケート(以下、「保育所関連アンケート」と略称)を実施し、その中で保育料についても質問した。その結果、保護者の中で保育料値上げに反対する者は、533名の保護者の回答の中で382名(71.7%)、「保育料値上げが一方的」とする回答が54%に及んでいた。この事実は、連合保護者会の機関紙である「かみふうせん」1991年2月7日号(甲第19号証)で保育料改訂前に公表された。
また、1995年10月から11月にも同様なアンケートが実施され、保育料が「かなり高い」(36.9%)、「高すぎる」(23.4%)など不満が多く、とくに、値上げについては「反対」(78%)になっている(甲第101号証)。
長岡京市当局は、これによって保育所保護者の多数が保育料の値上げに反対し、値上げが一方的であると考えていることを知っていたはずである。それにもかかわらず、保護者との話合いや説明会を開催しなかったのである。その後も、保護者から同様な要望やアンケート結果が、長岡京市に届けられたが、話合いや説明会は一切行われることはなかった。
3.1984年児童対策審議会答申
長岡京市は、保育料引き上げについて「国基準の一定率範囲で市の保育料を定める」という1984年の長岡京市児童対策審議会答申を値上げの根拠として、各保護者への通知書にその旨を記載していた(甲第5号証)。例えば、福祉事務所長の「平成3年分保育料改定について(お知らせ)」によれば、1984年(昭和59年)の長岡京市児童対策審議会(会長 成田錠一)の「長岡京市保育料の適正化について(答申)」で「保育料改定については国基準に基づき毎年改定する旨の定式化を行」ったことを保育料改定の理由にし、さらに保護者会との話合い拒否の理由にしている(甲第11号証)。しかし、10年以上も前の答申で値上げを続けるのは非常識であるという保護者からの指摘もあったため、1992年頃から市の文書でもこの答申を根拠とすることができなくなった。
1984年児童対策審議会答申は、次の点で保育料引き上げの根拠とならない。
(1)まず、保育料徴収事務は、自治体の団体事務へとその法的性格を根本的に変えたからである。国基準を重視する1984年(昭和59年)答申は、法改正によって意義を失ったのである。旧法に基づくこの答申を保育料決定の根拠とすることはできない。
(2)次に、児童対策審議会の法的性格、権限、委員選出の基準、手続などは、条例その他によって何ら明らかにされておらず、単なる諮問機関に過ぎない。少なくとも、児童福祉法など明確な法的根拠もなしに、保育料の改定・決定などの重要事項をこうした諮問機関に委ねることはできない。保育料の徴収事務は、市町村長の責任において行なわれるものであり、単なる諮問機関の答申をもって、市民である保護者の要望を聞かない理由とすることはできないはずである。
(3)さらに、当時の児童対策審議会には、保護者の代表の一人として当時の連合保護者会副会長であった山中憲一氏が参加していた(甲第5号証の審議会委員一覧参照)。しかし、その後、長岡京市保育行政担当者は、1989年以降、連合保護者会との保育料についての話合いを一切拒否してきた。
「昭和59年当時市民各層の参画を得て今後の保護者の負担の在り方を審議いただ」いたとして、保護者の保育料の要望を反映したとする福祉事務所長の説明(前記「お知らせ」)は、市として、連合保護者会を認めず、とくに、話合いを拒否してきたことと明らかに矛盾したものである。
(4)上記1984年答申そのものが、最後の要望事項(2)で「児童福祉施設としての保育料のあり方について市民および保育所保護者に正しく理解を得るように努力をすること」としている。しかし、1989年以降の保育料値上げについて、保育料のあり方について、長岡京市当局が市民および保育所保護者に正しく理解を得るように努力をしていないことは明らかである。
(5)1984年答申の要望事項(1)では、「保育所は、今後一層の保育の質的充実を図る」ことを求めているが、児童対策審議会答申が出された昭和59年当時の市立保育所の状況と現在の状況は大きく変化している。市の保育行政の後退によって保育内容、保育環境がきわめて大きく劣悪化してきたからである。
この点でもこの答申をもって保育料値上げの根拠とすることはできない。
実質的な根拠となり得ない1984年(昭和59年)の市児童対策審議会答申を値上げの根拠とする保育料の引上げは違法であり、それに基づく保育料決定処分も違法である。
なお、長岡京市は、1995年(平成7年)9月、児童対策審議会を再開したが、その理由の一つは、市が長く保育料引き上げの根拠としてきた1984年(昭和59年)の答申が10年を経過して古くなったからである。しかし、この新たな児童対策審議会は、審議会委員の氏名、肩書などを公表することもなく、市民や保護者に審議会傍聴を許さず、議事録も公開はもちろん、会議の度に前回の記録を確認しないという、およそ審議会と言えるための最低限の体裁もとっていない。国の中央児童福祉審議会が公開を原則としているのとはまったく異なった審議方法である(甲第102号証)。また、保護者を代表して委員となった岩村伸一氏が、審議会の論議で存分に意見を述べることができないという、きわめて非民主的な審議状況だったことは、岩村証人の証言によって具体的に明らかになった(平成9年11月14日証人調書)。
4.市の管理的職員による違法な保護者会活動の妨害
長岡京市の職員である市立保育所長らは共通して、保育所保護者会の保育料値上げ問題についての文書活動等を妨害してきた。これらの妨害活動は市立保育所に共通したものであって、市の保育行政担当者の組織的な指示によるものと考えられる。一方で保護者の言論・表現の自由を抑圧しながら、他方で保育料を一方的に値上げする長岡京市保育行政担当者の態度は、違法かつ不当なものと言わざるを得ない。その結果行なわれた保育料の改訂は手続的に重大な欠陥があり、それに基づく個々の保護者に対する保育料決定処分は明らかに違法と言える。
保護者会活動に対する妨害の具体的事例の一端については、岩村伸一証人が具体的に証言している通りであり(1997年11月14日証人調書)、原告提出の多くの証拠によっても明らかである。
私自身が経験した事例を挙げると、1990年9月10日、朝と夕方、新田保育所の門前で、連合保護者会のニュース「紙ふうせん」を保護者に配布していたところ、朝(8時半すぎ)と夕方(5時40分頃)の2度にわたり、柴田美代子新田保育所所長(当時)が、私に対して「保護者に文書をわたしてもらっては困る。駅や他所で保護者以外の人に配布しなさい」などと執拗に文書配布行為をやめるように発言し、正当な理由なく文書の配布を抑止しようとした(甲第61号証)。
この文書は内容的には連合保護者会の新役員、保育料問題への取組みなど会の基本的活動を保護者に知らせるものであった。これを妨害することはまさに、保護者会という市民の自主的団体の自治的活動を抑圧するものであり、いかなる理由であれ、こうした文書活動を市の公務員としての保育所長が一方的に抑止することは許されないものである。
また、1991年5月、中央公民館で開催される新田保育所保護者会の総会(5月19日開催予定であった)を知らせるポスターを、保護者会役員が、保育所入口正面にある保護者会用の掲示板に掲示したところ、柴田美代子新田保育所所長は、このポスターの掲示を2回にわたって保護者会の了承なしに無断で撤去し、正当な理由なく禁止した。そして、5月17日には「所長に無断で掲示するような勝手なことをするなら、掲示板を撤去します」と保護者を威圧する発言を行なった。
こうした保護者会の自由な活動に対する違法・不当な規制に対しては、連合保護者会や各公立保育所保護者会は、市長や福祉事務所長に対して、再三、改善の要望を行なってきた(1989年11月16日、当時の五十棲辰男市長に「保育の充実を求める要求書」を直接手渡す。1990年3月19日「長岡京市の保育行政に関する緊急要望書」を市長に提出した)が、何ら改善されることはなかった(甲第126号証)。それどころか、1991年4月2日付の「保護者会活動についての申入れ」の最後には、保育行政の立場から「保育所運営の5つの基本」なるものが示されている(甲第51号証)。そこでは、保護者は行政に従うべきことが示されているが、この「保育所運営の5つの基本」は、厚生省の通達をはじめ何らの法的な根拠をもたないものである。むしろ、自治体が保護者とともに児童の育成を行うという児童福祉法等の理念や目的に反する違法な内容を含んでいる。
1.児童福祉施設最低基準に反する保育体制
(1)細切れ保育の実態
長岡京市では、かなり以前から、早朝(正規保母とパート保母)、午前(正規保母のみ)、昼休み(正規保母とパート保母)、午後(正規保母のみ)、夕方(正規保母とパート保母)という複雑な保育体制が実施されていた。1987年7月15日以降、正規保母とパート保母の朝夕の引継ぎ時間が従来は30分間あったものがカットされた。その結果、現在、パート保母と正規保母の引継ぎ時間は0分になっている。その結果、従来は、ダブリの時間に子どもや保育内容について正規保母とパート保母の間で引継ぎや交流ができたのに、昼間の子どもの様子をパート保母に伝えることができない状況になっている(中村浩司証言、第9回口頭弁論調書26頁)。藤井修証人は、実際の保育において引き継ぎ時間のもつ重要な意味を指摘し、公立保育所よりも財政的に運営が苦しい民間保育園においても、こうした引き継ぎ時間を前提にした保育体制をとっていると証言している(甲第122、123号証、平成9年9月3日証人調書33頁以下)。長岡京市立保育所の引き継ぎ時間を設けない保育体制は、「地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う」ことを明確に定めた児童福祉法第2条とその尊重を求めた同法第3条に違反する違法な措置と考えられる。
上記のような保育体制の下で、1989年には、市立新田保育所で年長の子どもが早朝保育所で負傷(鎖骨骨折)をしていたのに、夕方まで保育所側が気が付かなかった例などが発生しており、子どもに大きな犠牲を強いる安全管理体制となっている。これについても、柴田美代子所長は、当時の新田保育所保護者会からの質問に対する回答や今後の対策についての説明を拒否し、何ら誠実な対応を行わなかった。
正規保母の採用がストップされるなかで導入されてきたパート保母はほとんどが無資格である。京都弁護士会の要望書が指摘している通り、少なくとも、正規保母の昼休憩時間(子どもが昼寝をしている時間)に無資格のパート保母が保育を担当しているクラスについては明らかに児童福祉施設最低基準違反と考えられる(甲第91号証)。
なお、中村証人は、パート保母については同じ人を連続して雇用することはない、と証言したが、証拠の通り、新田保育所のパート保母については、数年にわたって同じ人が継続して雇用されている(甲第103号証ないし107号証)。
(2)週休2日制実施にともなう保育体制
1993年度、週休2日制の完全実施が課題となった。他の市町村では、何らかの形で保母職員や給食調理員の増員をして条件を整備したが、長岡京市は「金をつかわず、人を増やさない」ことを前提にして、正規保母職員を一人も増員することなしに、1993年10月1日から新たな保育体制を導入した。同年10月以降、正規保母のなかで早出(7時30分から4時まで)、遅出(9時から6時)の時差勤務が導入され結果、8時30分から9時、4時から4時30分に担任の正規保母がいないクラスが出ることになった。また、休みが土曜日以外の平日に指定されるなかで、担任保母がいない日や時間帯が増えるなど、従来からの「こま切れ保育」体制がますます悪く拡大することになっている(甲第41、42号証)。
また、土曜日の保育が話合いや十分な説明なしに「例外」扱いされており、保護者から保育体制に不安を感じて子どもを連れて帰ったという訴えがでている。
2.保護者会の否認と活動妨害
1989年以降、市立保育所では、従来、保育所施設を利用し保育所と協力して実施されてきた保護者会主催の各種行事(もちつき大会、夏祭り、文化行事、新春お楽しみ会、クリスマス会、バザー等)が、制限・縮小された。1991年度には、すべての市立保育所でこうした行事を保育所内で行うことが拒否されることになった(甲第31号証)。さらに、保育所外で行われた自主的な催しについても、妨害的な文書が長岡京市福祉事務所長や市立保育所長から出されたこともあった(甲第48ないし50号証)。
保育所長から、「保護者会は、保育所には関係のない団体である」とされ、いくつかの保育所では、夏祭りのための櫓や、卒園のときに保護者会が保育所に寄贈した書籍を、保育所外に持出すように保護者会役員が求められている(甲第60号証)。
3.児童福祉施設最低基準第36条に違反する保育所運営
藤井修証人は、証言のなかで、保育所の運営にとって保護者との結びつきが重要であることを強調し、保護者会活動を尊重して積極的に協力体制をとる必要性を指摘している(甲第121号証、平成9年9月3日証人調書)。
ところが、長岡京市立保育所長らは、独善的な保護者会のあり方を押しつけ、共通して自主的な保護者会活動を否定し、それに従わないことを理由に保護者会との話合いを拒否した(甲第52号証)。所長らは、「保護者会とではなく、個々の保護者とは話合う」と釈明する。しかし、保護者会が全員加入を原則とする保護者の自主的組織であること、従来から保護者会と話合うのが市の保育行政担当者の態度であったこと、所長が多くの保護者個々人と話合うことは不可能であり、実際にも希望している保護者との話合いはほとんど行われていない(平成9年11月14日証人調書)。
1989年の新田保育所の運動会開催場所変更をめぐる所長の態度は、保護者に協力を求めようとする姿勢をもたない点できわめて残念なものであった(甲第53ないし59号証)。市立保育所の管理者が、保護者会のニュース配布を妨害し、抜き取りまでしていたことは、証拠(甲第62号証の1ないし8)および岩村伸一証人の証言(平成9年11月14日証人調書)によって明らかである。
また、1988年以前は、保育所から保護者に対して保育内容を詳しく伝える園だよりが保護者に届けられていた(甲第32ないし36号証)。1989年以降は、こうした園だよりの内容が貧弱なものになっている(甲第64号証)。
結局、保育内容をめぐる諸問題について、長岡京市立保育所の所長は、「保育所の長は、常に入所している乳児または幼児の保護者と密接な連絡をとり、保育の内容等につき、その保護者の理解及び協力を得るよう努めなければならない」と定めている児童福祉施設最低基準は第36条所定の、「保護者の理解及び協力を得るための努力義務」を果していないと言わざるを得ないのであって、この点で明らかに同最低基準に違反している(甲第91号証)。
私は、保護者として、また、保護者会の役員として、長岡京市に保育料や保育内容について、保護者の声を真面目に聞いてほしいと訴え続けてきた。誠実に話合ってほしいと保育所長や福祉事務所長、福祉課長など市の保育行政担当者に繰り返し、繰り返し要望し続けた。しかし、保護者会の役員をしていた7年間、まともな話合いができたことは一度もなかった。
1991年度からは、保育料の一方的な値上げについて不服申立てを提起したが、いずれも詳しい理由なしに棄却された。
それどころか、前記のとおり、保護者会の自主的な活動に対して、自治体の管理的公務員が行うとは常識では信じられないような積極的な妨害行為さえあったのである。また、1996年5月には、市の児童対策審議会の公開を求めたが、いっさい拒否された(甲第109号証)。1996年度の保育料決定処分についての異議申立てでは、補佐人として参加した1996年7月30日の口頭意見陳述で、聴取者であった松村尚洋総務部長が陳述時間を5分間にするという違法・不当な制限もあった。
「市民や保護者の声には聞く耳をもたない」という長岡京市保育行政の一連の対応、とくに保育料の決定は、児童福祉法だけでなく、地方自治法、児童の権利条約、ひいては憲法に違反すると考え、裁判所での公正な判決をもとめて、本件裁判を提起した。
以上