5.アインシュタインのと物質化


「偉大な精神は常に、平凡な心が生み出す乱暴な反対に会ってきた。」
アルバート・アインシュタイン教授


O:ヴィクター、悪いことはいわない。君のような科学者でもない人が下手な理論を振りかざすのはやめた方がいい。

ヴィ:いや、私は他の人たちの理論を紹介するだけですよ。

O:どうせその理論が正しいかどうかもわからないで紹介するんだろ。

ヴィ:私なりには理解しているつもりですが、物理学者の理解とは確かに違うでしょう。しかし間違っているかどうかを判断するのは、内容を聞いた後でもいいのではないですか。

O:じゃあ早く聞かせてよ。無駄な時間はなるべく早く消化したい。

ヴィ:人類の歴史において、人間が群衆の前で現れたり消えたりしたという主張が何千とあります。その多くはイエスやモハメッドのように、聖書やそれ以前の記録の中に記述されています。

 近年西洋の科学者たちは、インドのサティア・サイ・ババがヴィブーティ(食べると体が癒されるとされている灰)・オーダーメイドの宝石類・コイン・食物その他の物質を頻繁に物質化するのを調べてきました。研究者たちは人間や物質が現れたり消えたりするのを「物質化」、「非物質化」と呼んでいます。

O:ちょっと待った。サイババといえば、トリックを暴いた暴露本が出たな。パンタ笛吹さんが書いた「裸のサイババ」っていう本で、物質化は完全なトリックであることを示したり、今までにサイババがしてきたたくさんのごまかしや悪事を述べてある。

ヴィ:その本は私も知っています。私はそこに書かれていることがうそだと言うつもりはありません。ただ、その本の情報を受け取る人は、超心理学者エルレンドゥ・ハラルドソン教授とカーリス・オシス教授が1973年から77年まで行った調査を始めとし、その他の多数の調査において、物質化現象に付いて肯定的な報告がでているのはどうしてなのか、これを考えなければいけません。今回暴露されたような他愛のないトリックが、超心理学者たちの数年に渡る調査によって見抜かれなかったのはどうしてなのか、また、なぜサイババとは遠く離れた場所でヴィブーティが現れているという証言がたくさんあるのか、その理由も考えなければなりません。そもそも、サイババを否定する人たちは、なぜこれらの研究報告を詳しく引用し、それについて否定派の立場から説明を試みることをしないのでしょう。

O:今のヴィクターの態度は、崩れ落ちようとしているグルの偶像を、信仰にすがって保ち続けようとしている信者の典型だな。

ヴィ:残念ながら教授の今の発言は全く的を得ていません。

O:違うの? ヴィクターは自分の信じる神様があくまで本物であると言いたいだけなんでしょ。

ヴィ:どうしてもっと論理的に考えられないのでしょう。サイババに関する情報を「偏りなく」集め、始めから本物だとか偽者だとは決めつけず、冷静に分析して得られる結論はひとつしかありません。その結論とはこうです;
「彼が本当に物質化を行うことがある可能性、そしてときには単純なマジックでごまかす可能性、この二つの可能性は共に90%以上あります。」

O:ついていけないな。一度でもトリックをするなら、すべてがトリックだと考えるのが自然だろう。

ヴィ:それは「物質化は存在しない」との勝手な思い込みを前提とする、誤った非論理的な結論です。例えば、そうですね。ある一流シェフがあまりに有名になり、忙しすぎてつい魔が差し、化学調味料を使って手抜きをしたとします。それがばれなかったばかりに、それから何度か、体調の悪い時などはそうしてごまかしていたとしましょう。そしてある日、彼のポケットから化学調味料が発見され、彼の評判だけで集まっていた客は一気にいなくなり、あちこちで「あのシェフは偽者だ」と訴えます。それを聞いた昔ながらのグルメ客は、自分の舌がそんな安っぽい化学調味料で騙されるはずはないのに、いったいどういうことなのだろう、と不思議がります。きっと、これに類似した現象が起きているのではないのでしょうか。

O:屁理屈ばかり言って。いかにも弁護士らしい消化不良になる言い方だな。だが、ヴィクターがなんと言おうと、サイババを物質化の例としてみなすことはできない。

ヴィ:もちろん、物質化はサイババだけの特権ではありません。物質化を裏付ける証言は相当たくさんあり、世界的に起きています。例えばブラジルでは、何百という筋金入りの懐疑論者の面前で、真昼間に物質化が起きたのです。

 一握りの本当に能力のある霊媒たちは、豊富なエクトプラズム−霊媒から出てくる白い蒸気のような物質−を持っています。フォン・シュレンク・ノッツィング男爵(ミュンヘンの医者)の実験によって、この物質は白血球や上皮細胞などの、人体を保護する種々の組織から構成されていることが示されました。エクトプラズムは、他界の知的存在がその霊体もしくは「エーテル」体の振動を抑え、物理的な人間の目に姿が映るようにするために用いられます。

O:エクトプラズムはいいから、そろそろ科学の話をしてよ。について説明するんでしょ。だいたいこの式の意味を分かってるの? 説明してあげようか?

ヴィ:大丈夫です、こちらで説明します。アインシュタインの公式(エネルギーEが質量mと光速cの2乗の積に等しい)は、物質mとエネルギーEが同等であることを示しています。この等式が、実際に証明してみせることができない机上の説に過ぎないという人は、1オンス(約28g)以下の物質が広島を破壊するほどのエネルギーに変換されたことを思い出してください。

 デイビッド・アッシュとピーター・ヒューイットの本「The Vortex(渦動)- 1994」は、物質化に対して科学的な説明を与えている本のひとつです。アインシュタインのこの式は、実はエネルギーである物質が、どのように物質化と非物質化を起こすかを説明してくれる式なのです。

O:君の言っていることは矛盾しているよ。たった28gの物質がエネルギーに変換されただけであの惨劇が起こった。だったら人間一人がエネルギーに変換されたら、地球が簡単に滅んでしまうことくらい分かるでしょ。

ヴィ:彼らは違う視点から考えています。この本のタイトル「The Vortex」は、物質の根本を形作る実際の渦のことを指しています。アッシュとヒューイットは、現代物理におけるたくさんの矛盾点を解消するための仮定として、物質の根本、原子よりもさらに小さい素粒子以下の根源粒子とでも呼ぶべきものは、エネルギーの渦でできているとしたのです。アインシュタインの式から、物質と光は同様な動きであるべきなので、実際の渦動の速度は光速に違いないと論じています。

O:ちょっと待ちなさい。なんでそんなことが言えるの。

ヴィ:まあこれは、そうであるべきだと仮定したと思ってください。彼らはこれがアインシュタインの式から導かれる唯一の可能な解釈であり、渦動が光の速さで回転しているから、地球上でものを見ることができるのだと主張しています。光速の渦のおかげで、このページを読み、他人を、あるいは木々、空、その他のすべてのものをこの物質の目で見ることができるというのです。

 アッシュとヒューイットは次にこう尋ねています;

「なぜ渦動の速度は光速に制限されなければならないのか?」

O:君は光速以上の話でも始めようというのかね。

ヴィ:ええそうですよ。ただし私ではなく彼らですが。

O:だから物理がわかっていない人が下手な理論を振りかざすのはやめた方がいいと言ったんだ。君は光速以上の速度など許されると思っているのかね。

ヴィ:ええ、もちろん。

O:相対性理論を教えてあげようか。

ヴィ:それにはおよびません。私も教授の相手をするためにそれなりに学びましたから。教授は相対性理論が光速度以上の速さを禁じているとでも言うのですか。

O:ヴィクター、確かに光速度不変の法則は相対性理論の結果ではなく仮定だ。だがこの理論は世界の仕組みをとてもよく説明している。もし光速度が可変だというなら、その仮定でもって、種々の現象を相対性理論よりうまく説明する必要がある。

ヴィ:教授はひとつ、落とし穴にはまっているように見えます。相対性理論は光速度が絶対的に不変であることを言っていますか? 相対性理論の仮定となった光速度不変の原理というのは、どんな原理ですか?

O:何を今更。光速度不変の原理とは、等速度運動をしているものが見る光の速さは常に一定だという原理だ。つまり、新幹線に乗ると同じ方向に進む車の動きがゆっくり見え、反対方向へ行く車はかなりの速さに見える。ところが、光に関してはそのようなことはあり得ないという原理だ。

ヴィ:そうです。光の速さは止まっている人が見ても、走っている人、車に乗っている人が見ても、同じ速度で進み続けている(あるいは止まっている)限り変わらないように見える。

O:で、どこが落とし穴なんだ?

ヴィ:相対性理論で使っているのはこの「等速度運動している限り、どこから見ても速度が変わらない」という原理であって、光の真空中の速度が秒速約30万キロメートルであるという事実は関係ないのです。

O:ヴィクター。だから君はしろうとだと言うんだよ。要するに、光の速度が突然秒速50万キロメートルになったとしても、等速度運動している人たちがすべてその速度で光を認識していれば、相対性理論は成り立つとこう言いたいのだろう。

 特殊相対性理論に関する限り、君の言っていることは正しい。だが、一般相対性理論を考えてみなさい。この理論は物理学者でもなかなか理解できない難しい理論だから、詳しくは言わない。ここで言いたいのは、そこには重力定数と光速度からアインシュタイン定数を導き出す有名な式がある。だから光速だけ勝手に変わったらその式が成り立たなくなり、理論に支障をきたす。

ヴィ:でもあの式は、光速度と一緒に重力定数も変われば成り立ちます。もし、この世の物理定数と思われているものがすべて定数ではないとしたらどうですか。それでもすべての物理理論は成り立ちますよね。

O:それは屁理屈だろう。要するに、ある日私の身長が二倍になっていたとしても、その他のものも一緒にすべて二倍になっていれば何も不都合はない、と、こんな言い方を君はしてるわけだ。ちょっと物理理論としては乱暴すぎて受け入れられないな。

ヴィ:しかし、物理学の基本定数が本当に定数なのかということについて、何人かの科学者たちが疑問を唱えてきました。フランスでとても重要な地位を占める科学者、ジャン=ピエール・プチが書いた「光速度の変化する宇宙モデル」という一連の論文は、正当な審査を受けて、しかるべきところに受け入れられています。だから、乱暴な理論だと一刀両断するのは思慮のない行為と言わざるを得ません。

 物質の究極がアッシュとヒューイットの言うような光速の渦だとしたら、渦の動きが光速を超えた場合、その渦でできている人間や物質はスーパーエネルギー状態になり新しい次元、新世界に入る。その新世界Aでは相対性理論の世界Aバージョンとでも呼べるものが成り立っている。つまり、この世界Aは我々の時空間に付いて述べた、我々の相対性理論の対象外となるわけです。世界Aの人間は、我々の目に見えないし触ることもできません。この状況は世界Aから見ても同じで、向こうからこちらの世界は見えないし干渉もできない。こうした、我々の世界とは違う速度の渦をもった世界は無限に存在します。物質を形成する渦の速度が変わると、その物質は我々の世界から消失し、その速度に応じた別の世界に現れるのです。

 霊の素粒子の渦は光速より速く回転しているので、我々の物質の目で見ることはできません。けれども霊媒のエクトプラズムによって、霊の体を形作る渦動の速度が光速まで下がることが可能になります。このとき、霊は我々の目に見えるようになるのです。一方、霊が非物質化したいときはいつでも、霊の原子の渦動が速くなり、我々の物質の目では見えなくなって、異なった次元へと姿を消します。これが、物質化の科学的説明として考えられるものです。

 アッシュとヒューイットは渦の速度変化ではなく、物質の実体の変化を反映するために、物質化を「超越次元実体化」と呼んでいます。超越次元実体化は、人体の原子・分子構造を変えるものではありません。超越次元実体化を通して知的存在、他界の霊、物質などが物質化したり非物質化することができるのです。アッシュとヒューイットは非物質化が分解・溶解ではないことをしっかりと指摘しています。重要なのは原子を形作る渦の速度変化で、これこそが歴史的な目撃例を、どこからともなく人が現れたり、目の前の人が消えたりしたという証言を説明するものなのです。アッシュとヒューイットは物質化と非物質化について、きちんと文書化されたたくさんの事例を与えています。

O:ヴィクター、君が言っていることは確かに否定できない。しかし、世の中、否定はできないが明らかに変な説はたくさんある。

ヴィ:否定できないのになぜ変だとわかるのですか?

O:例えば、この写真に写っているのは宇宙人だと言われてみなさい。どう見ても普通の人間に見えるのは、彼らが完全に人間型の宇宙人だからだとか言われた日には、もう何も言い返せんだろ。

ヴィ:教授はそのような荒唐無稽な話と、この渦の話を同じだというのですか?!

O:荒唐無稽な話に似非科学の衣を着せただけだな。

ヴィ:似非科学と言うからには否定できなければならないでしょう。

O:いずれ、否定できる・・・。必ずな。

ヴィ:そういうことなら是非とも、私が生きている間に否定していただきたいものです!

弁護士の論じる死後の世界


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