20.幻像


「古代のギリシャ人のように、私は人々が故人の霊と面会することができるように、サイコマンテウムを作った。適切な準備をすれば、人々が亡くなった愛する家族の幻像を見ることができることは確かだ。・・・セラピストに配偶者や子供を失った悲しみを訴える替わりに、愛するものと直接話すことができるのだ。」
レイモンド・ムーディー


ヴィ:物理的には存在していない人の形を見るという出来事は、我々がすべて身体の死から生き残るという議論と一貫しています。幻像に関する客観的証拠を求める事例研究と、研究室で引き起こす幻像の出現は、非常に目立たない研究分野です。

 幻像は非常に普通の現象であり、いつの時代にも、すべての国の文学・民間伝承の中に繰り返し現れている主題です。これに対する科学的研究は少なくとも1890年代には始まり、その結果は現象が広く一般的に経験されていることを示しています。

O:そんなもん、別に調査しなくても私でもわかるよ。幻像ってのはつまり幽霊のことでしょ。どこの国にも幽霊伝説はあり、現代でも何を見間違ったのか、そういうものを見たと訴える人がいる。非常に普通の現象であることは確かだ。

ヴィ:非常に普通とは言っても、それでは教授、100人中何人くらいがこの種の体験をしていると思いますか。

O:幽霊を見たなんて言い出すのは2、3人くらいしかいないんじゃないか。

ヴィ:実はこんな調査結果があります。

 1973年、シカゴ大学の社会学者がアメリカ人を無作為に1,467人選び出し、すでに亡くなった誰かとコンタクトしたと感じたことがあるかを聞きました。それに対し、27パーセントが感じたことがあると答えています。アイスランドでの類似の調査においては(1976年 ハラルドソンおよびその他)、31パーセントが「はい」と答えました。イギリスの医師W.D.リーズ博士は、ウェールズ地方の未亡人を無作為に調査し、47パーセントが亡き配偶者と連絡をとった(あるものは数年に渡って何度も繰り返して)ことを確信しているのを発見しました。初期に行われたイギリスのP.マリスの調査(1958)に至っては、50パーセントという数字もでています。

 この研究はカナダのアール・ダン博士によっても繰り返され(1977)、未亡人・寡夫の50パーセントがコンタクトの経験を持つ結果となっています。これらの人々の多くは、「自分の頭がおかしくなってきた」と思い、笑われるのを恐れてその経験を誰にも話さずにいました。

O:異議あり!

ヴィ:どうぞ。

O:例えば夫をなくした奥さんが外出している間、マンションの隣の部屋で夫婦喧嘩があったとしよう。その振動の結果として亡き夫の写真が倒れた。さあ、帰ってきた奥さんはどう思うだろう。

「ああ、あの人は何か言い残したことがあるのかしら。」


そんな感じの事例もこの調査結果にはたくさんはいっているんじゃないの。

ヴィ:まあ、その可能性は否定できませんね。しかし、中には数年に渡って繰り返しという例もありますし、隣の夫婦喧嘩以上の何かがたくさん起きているのは確かです。このアンケート結果の半分を、偶然と思いこみとして排除したとしても、残りのパーセントだけでも相当なものです。

O:何年にも渡ってのコンタクトなど、悲しみのあまり幻覚と幻聴がひどくなっただけだろう。

ヴィ:さあ、そうでしょうか。

 いくつかの研究を見ると、子供を亡くした両親が、死後2,3カ月以内に亡き子供の存在を見聞きして、とても慰めを得るといった割合がかなり多いことに気づきます。死と死に逝く人たちについて広範な研究をしてきたメルヴィン・モース博士は、誰かが親や子供を失ったとき、その死に関連した情景と共に故人の姿を見るのは非常に普通の現象だと主張しています。

O:だから、それは故人の思い出が見せた幻覚に過ぎないよ。

ヴィ:幻像は幻覚ではありません。これらがなぜ幻覚ではなく、願望実現でも無意識の産物でもないと言える理由はたくさんあります。

 これらの事例の大部分は、全く普通の状態の、ショックやストレス、異常な気分の高揚などない完全に普通の精神状態に起きています。また、これらの経験はいつものよく知られた環境で、全く予期せずに起きます。目撃者が霊媒体質であったとか、テレパシーに長けていたという事実もありません。実際のところ、こういった経験をするのは人生にほんの1、2度だけという人がほとんどなのです。つまり、普通の人がごく普通に暮らしているときに突然起こる現象なのです。

O:普通とか言っても、知っている人が亡くなって気分的に沈みがちな人たちが見る例が圧倒的に多いんじゃないのかね。

ヴィ:いえ。特にそういうわけではありません。それに、幻像の出現にはしばしば明白な物理現象、物が動かされたり壊されたり、足音などの音が録音されたりする現象が伴います。ときには、幻像は一連の書き置きを残したりもします。

 エリザベス・キューブラー=ロス、死と臨死の研究の先駆者でもある有能な医者である彼女は、自分の研究を断念しようと考えていたとき、以前に看ていた患者が現われたと主張しています。その女性患者、シュワルツ夫人は、彼女と一緒にエレベーターに乗り込み、オフィスまで一緒に歩きながら、死と臨死の研究を断念しないように言いました。キューブラー=ロスはシュワルツ夫人が10カ月前に死んだのを知っていたので、当然、自分が幻覚を見ているに違いないと思いました。けれども彼女が夫人に、その日の日付を書いて署名してくれるように頼むと、夫人は消え去る前に確かにそうしたのです。

O:ばかばかしい。幻覚を見るような精神状態の人の証言は信じられないな。おおかた、自分で署名して覚えていなかったんだろう。

ヴィ:それなら、複数の人が目撃した例はどうでしょう。

 記録された事例の中には、同時に何人かが見た例もたくさんあります。例えばSPRの報告で、イギリスのラムズベリーにおいて、ある家の9人の住人が2月から4月にかけて、それぞれ単独で、またグループでも、10カ月前に死んだ男の幻像を見た例があります。未亡人の枕元で、いつ亡くなるかわからない彼女の額の上に手を置く彼の姿は、とてもはっきりしていて、長いときには30分間に渡って見え続けていました。

O:双子の兄がこっそり出入りしていただけだ!

ヴィ:幻像を見た人が、第三者にはわからないような情報、故人がどのように死んでどこに埋められたか、といった情報を受け取る例がよくあります。アメリカの法廷で受け入れられた有名な事例にチャフィンの遺言事例があります。
 
 1921年、アメリカのノースカロライナ州に住んでいた農場主ジェイムズ・L・チャフィンが死亡したとき、1905年に作成された遺言状が開封されました。そこには、自分の農場は三男のマーシャルに譲ると書かれ、妻と他の3人の息子には何も残されていませんでした。ところが、それから四年後の1925年6月、次男のジェイムズ・ピクネイ・チャフィンが父親の鮮明な夢を繰り返し見るようになったのです。はじめは枕元に立つだけで何も話さなかったのが、ある時の夢では、自分の着ている外套を裏返し、そこを見るようにと言って消えました。次男は彼が生前に愛用していた外套をなんとか探し出し、その縫いとじられたポケットをほどいたところ、明らかに小さくたたんだ紙片が現われ「父の形見の聖書の創世記第27章を読むべし」と書いてありました。そこで次男は近所の人を立会わせ、その聖書を調べてみると、創世紀第27章の部分の両ページが内側に折り込まれ、開いてみると、そこに1919年にあらためて書かれた遺書が入っていたのです。それによると、遺産はすべて4人の息子に均等に配分され、彼らに母の面倒を見るよう指示されていました。1925年12月、この遺産相続に関する裁判で、後で見つかった遺書は確かにジェイムズ・L・チャフィンの筆跡とされ、遺産は4人の息子に均等に配分されたのです。

 ある場合には、愛する家族を危険から救うという、はっきりした目的のために幻像が現れます。これはアイオワのオスカルーザで、あるアパートの最上階に夫のハルと一緒に住んでいたエレイン・ウォレルの身に起こりました。ある日、彼女の部屋の廊下に若者が現れ、彼女を階下の、ほとんど面識のない若い未亡人の部屋へと導きました。その部屋に入った彼女は、手首を切ってベッドに倒れている若い女性を発見したのです。その女性は回復すると、エレインに亡くなった夫の写真を見せてくれましたが、それは正にあの若者でした。

 教授、これはどう説明します?

O:ふん。チャフィンの遺言とかいうのは、その次男が二度目の遺言の存在を知っていただけだ。それを探し出すのに4年間かかり、見つけてから「父の夢」という正に「夢物語」を考えたんだろう。次の例は未亡人の夫に似た誰かが現れただけ。全く不思議でもなんでもない。

ヴィ:チャフィンの事例では、最初の遺言が特に反対もなく認められています。第二の遺言状の存在を知っていたのなら、次男はなぜそこで意義を唱えなかったのでしょう。またエレインを未亡人の部屋へと導いた男は、なぜ自分で救急車を呼ばなかったのでしょう。

O:いろいろと都合があったんだろう。深く考えることじゃない。

ヴィ:いいえ。是非とも深く、ふかーく、考えて欲しいものです。

 幻像の事例で非常に多いのは、最近亡くなった人がその事実を知らせるために、一人あるいは何人かの大切な人々の前に現れる例です。こうした事例は、死を突然に迎えた場合に多く、その幻像が現れる少し前に亡くなっていたことが後に確認されます。

 文書化され確認が取れている例を少し紹介しましょう;


 教授、何かコメントはありませんか。

O:まだまだ事例が足りないな。もっともっと信頼性のある証拠を示してくれないと本気で考える気はせんよ。

ヴィ:まかせてください。いくらでも証拠を挙げましょう。

 E・ベネットが1939年に出版した本によれば、SPRのファイルに記された約1/20の事例が、どちらか一方が先に死んだら相手の前に現れようとしてみる、という「死の確認契約」を含んでいます。これらの契約が果たされた数多い証拠の中から;


O:結局、そんな風に民間レベルでいくら現象が起こったと言っても、民話・伝承の域を出んのだよ。

ヴィ:でも、SPRのファイルに記されているのですよ。

O:それだ。なんだっけ、確かイギリスサイキック調査協会とかの略だよな。

ヴィ:そうです。

O:なんだかやたらとその協会の話が出てくるけど、私にはどうも胡散臭い協会にしか思えないね。それにヴィクター、君はその協会のファイルの中から自分に都合の良いものばかりを選び出して紹介してるんじゃないの。

ヴィ:もちろん、膨大なファイルの中から、自分の弁論の証拠となり得る事例を選び出して紹介していることについては、依存はありません。

O:私には、たまたま調査の時間が十分にとれず、あたかも超常現象が起きたように記載されてしまった事例だけを扱っているように思えるんだがな。

ヴィ:SPRの報告には、基本的に徹底的に調査されたものしか載りません。初期の頃はかなり綿密に調査したつもりでも結局騙されてしまったり、最初から否定するつもりでろくな調査もしないで報告したなどの事例がありましたが、おおむね信用できます。その中から私は、自分の目で信頼できる情報を選び出して紹介しているのです。

O:でも、君のその目が、死後の世界を証明したいあまりに曇っている可能性はないの。やっぱり、一般レベルの事例報告は1000件以上同じ様な報告があって、初めて意味があると思うんだな。そして、実験室レベルでその現象を再現できてこそ、やっと科学と言える。私は間違っているかね。

ヴィ:いえ、全然間違っていません。私は教授のその言葉と同じ意味で、幻像の出現は科学的な事実だと言っているのです。SPRの資料室に行けば、いつでも1000件以上の幻像報告を見れますよ。また、実験室レベルでの再現も報告されています。

 臨死体験の先駆者的な研究で有名になったレイモンド・ムーディー博士は、現在、管理された状況で簡単に幻像を見ることができる方法に取り組んでいます。彼は古代ギリシャのサイコマンテウム―人々が死者と交流するために訪れた託宣所―をモデルにして実験を始めました。

 サイキック現象が起きやすくなるように、鏡を用いた特別な研究室が、現代のサイコマンテウムとして建てられたのです。幻像を見る、テレパシーで会話するなどの、実際のサイキック現象を経験した被験者の数を調べていたムーディーは、その割合に驚嘆しました。

 丸一日の準備を経てその実験室に入った被験者たちの、実に85%が今は亡き愛する人々と(ただし一番会いたかった相手とは限らない)交流を持ったのです。たいていの場合、コンタクトはサイコマンテウムの中で起きましたが、25%は後にそれぞれの家で、目覚めるとベッドの向こうに幻像が立っている、などの形で経験しています。

 サイコマンテウム現象はまだ初期段階にありますが、合衆国で着実に広がっています。ムーディー博士の同僚であるダイアーン・アーカンゲルによれば、あの世の知性と交流を持ったときに、コンタクトを望む被験者が知らない何かを明らかにする情報が伝えられた事例がいくつかあります。可能性は果てしなく、実験の過程は常に洗練されてきています。

 ムーディーの被験者たちは皆、このコンタクトは幻覚ではないと言い、明確な対話や物理的な接触を訴える者もいます。ムーディー自身は、彼の驚きを表現して;

「幻像との再会が、空想や夢ではなく、現実の出来事として経験されてきたことが明確になった。これまでのところ、幻視体験を持った被験者たちのほとんどすべてが、この愛する故人との出会いは完全に現実のもので、彼らはまさに生きている姿で存在していたと断言している。」


 彼はまた、臨死体験のような超常現象を経験した人に見られる、「前より優しくなり、死に対する恐れが減って、人生が変わってしまう」といった変化が、この実験の結果として起きていることを指摘しています。

 ムーディーは独自のサイコマンテウムを作る方法を、「Visionary Encounters with Departed Loved Ones(旅だった愛する者たちの幻影との遭遇)- 1983」(邦訳は「死者との再会」同朋社出版)に詳しく書いています。教授はこれらの幻像の出現に対してどのような意見をお持ちですか。

O:うーん、基本的に死人の幻でしょ。死んだ人のことを思っていれば、そうした幻覚を見ても不思議じゃないな。

ヴィ:でも、死んだことも知らず、もう何年も心に浮かんだことのない知人が現れる現象は?

O:もしその報告が信頼できるとしたら、それは死に際のテレパシーで説明できる。

ヴィ:それならその幻像が、それを見ている人たちは知らないような情報を話すのはどうしてですか。今までの例にもありましたが、私の知人のKさんもそんな体験をしています。おばあさんの葬儀の時に愛用していた眼鏡を棺に入れたかったのですが、どうしても見つからないといったことがありました。しかし、おばあさんの幻像がKさんの前に現れて、眼鏡はたんすの何段目のどこに入っているという情報を伝えてきたのです。これは生者のテレパシーでは説明できませんよね。

O:おおかた、生前に聞いていた事柄を、幻覚と共に思い出しただけだろう。

ヴィ:なるほど。教授にはまだ事例紹介が足りないようですね。それでは、幻像の中でも特殊な分野、死に瀕した人が見る幻像を扱いましょう

弁護士の論じる死後の世界


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