日本の城リファレンス:page4(城の形態−平城)
3.平城
大坂城が一番初めの巨大平城、とかといわれてはいるが。戦国期には領主の館のことを平城と呼ぶこともあった。街道を取りこむことが出きるなど、交通の便がよいために経済流通の大拠点となる。しかし、大名の領内には他にも細々とした町が、家臣の居城の城下などに出来てしまう。これを防ぐには、まず兵農分離を推進させ家臣は自分の城下に住まわせること。次に楽市楽座などを用いて大名城下に魅力を持たせること、かな。平城があるから山城は要らない、ということではなく、敵との国境には軍事用の城(=山城)が必要だし、それをつなぐための城もいる(兵糧などを補給するため)これを見事なまでに推進したのが織田信長・豊臣秀吉であり、彼らの門下生?である初代藩主たちはこれを見習った。ゆえに江戸時代の大名が居城としたのもこのタイプが多い。

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