市販後のAZ−1

 量産化以降、AZ−1はあまりの不人気ゆえに、様々な特別仕様車を出し在庫削減に努めなければならかなった。不人気の原因は軽自動車にしては高すぎる価格設定と非常に狭い室内にあった。量産化決定の後押しとなったモーターショーでの高い人気も、バブル崩壊のまっただ中で販売を開始したときには、すでに失われていたのだ。月販目標は800台であったが、その目標をクリアした月はなかった。そのため販売開始(’92.10)からわずか1年で生産休止となった。
 まず発売されたのがTYPE Lと呼ばれるオーディオバージョン。リアにオプションのスーパーウーハー等をつけた特別仕様車である。外観に変化はない。


マツダスピードバージョン  
次に発売されたのがマツダスピードバージョン。フロントのボンネット・バンパーのデザインを変更し、リアにウイングをつけたものである。色はオールレッド、オールブルーである。なおこのマツダスピードバージョンは後にオールブラック、オールシルバーのものが販売された。
マツダスピードバージョンは、「車体番号が何番から何番まで」というふうになっていない。倉庫に眠っていたノーマルのAZ−1を無作為に引っぱり出して改造したためだ。また外販パーツは単独で市販されたため、ノーマルのAZ−1購入後にマツダスピードバージョンへ変更することもできた。従って、「なーんちゃってMSV」も存在する。その見分け方だが、本物のMSVは、写真のようにリアウイングの取り付けの際にあけた穴を、黒くて丸いシールでふたをしている。ただしこの見分け方では、例えば本物のMSVを購入後全塗装した場合等、このシールがはがされている可能性があるため、完璧な方法ではない。
 またMSV発売第2段以降のものに限り、マツダスピードのロゴスッテカーが貼ってある。文字の大きさが縦4cm長さ45cmの限定品。これも本物との見分け方だ。



M2 1015  

 最後に登場した特別仕様車がM2 1015である。本来この車はマツダの自動車工房ともいうべきM2が企画したものだったが、在庫削減のためマツダがデザインだけを譲り受けて生産した(というより在庫車のボディーを付け替えた)。異なる点はボンネットの中央に配置されたフォグランプ、フロントバンパー、リアにウイングがついている点だ(マツダスピードバージョンとは異なる形状)。色はオールホワイト、オールブラックそしてシルバーストーンメタリックの3種類で、94年7月から限定50台で生産された。後に追加限定50台(94年10月〜)されたが、完売したか否かは不明である。また半分受注生産という形をとったため、どの色が何台売れたかも不明である。さらにボンネット等のパーツも個々に別売りされたので、「半分1015」という車も存在し、正確な数をつかみきることができない。ただし、本物のM2 1015にはリアに「M2 1015」のエンブレムがついている。またリアウイングの取り付け穴をあけた跡の処理もMSVと同じようになっている点が、区別可能なポイントだ。



 ところがである、市販車としてのAZ−1の歴史はこれで終わりではなかった。絶版車となった'96年秋になって、新型ボディーが発売されたのだ。これはアバルトのコレクターとして有名な小坂氏が、イタリアのデザインチームと協力してつくった物だ。以下の写真はそのボディーの発売元であるサブロー・ジャパン(株)殿の多大なご協力により特別に入手したものである。
 このボディーであるが、紆余曲折があったものの一応価格等が決定した。ボディーキットだけなら100万であるが、サブロー指定の工場にて取り付け・修正(建て付け精度に問題があるらしい)・塗装に+100万円とのこと。ちょっと高すぎる。自信があれば、自分で付けても良いが、パネルを一枚だめにしてもそのパネルだけ注文することは今のところ不可能とのこと。常に車一台分のセットにて納入になる。従って事故などで、パネル1枚を修正できないほど壊した場合、どうしようもなくなってしまう。
 サブローの詳細については、これがサブローの詳細だ!まで。



 最後になったが、AZ−1には前期型と後期型が存在する。といっても外観が大幅に異なったり性能に差があるわけではない。またその定義も後になって我々が勝手に決めたもので、マツダが決めたものではない。前期型と後期型の区別だが、後期型には運転席側のドアに車台番号やボディー色を書いたステッカーが貼ってある。他にもネジの無いところ等もあるが、性能に差はないし部品供給面でも問題はない。