カスミ草物語 2008
(第一部)
「奥会津から奈良へ カスミ草がつなぐ物語」

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  《《第一章》》


■予兆(複雑系の気配とたたずまい)

 『からむし織の里フェア』があった。

 福島県大沼郡昭和村では、08年7月19日と20日に『からむし織の里フ ェア』という、おまつりがあった。その村にある、昭和館という旅館での話で ある。

 女性ひとりで、3泊されるお客様がいる。
 その方(とりあえずKNさんとしておく)は、昨年もいらっしゃって、3度 目の御来村だという。
 自転車に乗ってきている。
 近所のからむし引きの名人のおばあさんのところで習って、自転車を借りて きたのだという。
 からむし織の里フェア当日。わたしはこの村の出身であるが、『からむし織 の里フェア』を実際に見るのは実は初めてなのである。このフェア(まつり) を見る(経験)為に、はるばる奈良から、はるばるとこの村まで3度も足を運 ばれる方がいらっしゃるのである。

 からむし引きの実演、機織(はたおり)の実演、などがある。
 KNさんも、からむし引きを実習体験をしている。
 村の指導員の女性は「わたしよりうまい」という。
 ただ、引き方が昭和村の引き方ではないのである。それでも、白い繊維だけ を絶妙に引き出す結果は同じ。しかも手馴れている。
 奈良で、野からむしを畑で育てていて、自己流で引いているという。
引いたままでは布にはならない。布になるまでには、その繊維を乾燥させて、 その繊維を縦にほぐして、そのほぐした繊維を一本一本縒(よ)りを掛けて、 繋いでいき、長い長い糸にするのである。

 そして、その糸を縦と横に織り込むことによって布になるのである。
自己流といっても、そこそこの設備、からむし引き台なり、紡ぎ車とか 機織(はたおり)機などが必要であろう。
 機織機といっても、糸を準備して掛けておけば、機械的にぱったんぱったん とはたをる機械ではないのである。鶴の恩返しに出てくる機織機なのである。
 縦糸を按配して並べ、按配してとは都合何尺の長さの布を織り出すかで、縦 糸の長さは自ずと決まる。「都合何尺」とさも事情通のふりしているが、実は 長さの単位も幅についても筆者はなんの知識も無いのである。

 その縦糸を縫うように横糸が紡がれるのである。つまり、単純に説明すると、 偶数番目の縦糸群と奇数番目の縦糸群が、横糸を1回通すごとに、ぎっこんば ったんと、反対方向に上下しなければならない。
 この上下動は、木製で組み合わせられたからくりで、方向移動の伝達を足で 操作するのである。

 そのようにして、縦糸を按配して、紡錘形に巻かれた糸(この場合は横糸) を右から左、左から右と縦糸の間を通すためのケースに入れて、この左右の往 復運動もすべて人力で織っていくのである。

 からから、とん、からとん、しゅっしゅ、からとんからりん、からから、 とん、からとん、しゅっしゅ、からとんからりん、からから、とん、からとん、 しゅっしゅ、からとんからりん、、、、
 このからむし織りの機音(はたおと)は、1996(平成8)年に、環境庁 100選「日本の音風景」として選ばれ、登録されている。からからとんからとん。




    CM 奥会津・昭和村
     からむし織の里へようこそ!
     四季折々の風景写真も随時更新中。
     あなたもきっと行ってみたくなる。


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■やってきた複雑系の種(シード)

 そして、その女性がお帰りになる7月21日の朝、何気なくみていた福島民 報新聞に「からむし織の里フェア」の写真記事が載っている。機織(はたおり)体験の写真 である。あ、あれ、あの方である。KNさんである。

 近所に出掛けるところなのを引き止めて「載ってますよ」と新聞を見せる。 新聞は一部しか取っていないが、昭和館に残すよりも本人に貰っていただくの が一番であろうと思い、そのページごと進呈する。

 その時に聞いた話では、
 「奈良県に住んでいる」
 「自分で織物や染物の勉強をしている」
 「織物は糸(繊維)からではなく、植物(からむし)を育てることからして いる。」
 「畑作業も好きで、暑いのも別に苦にならない。」

 「からむしは、沖縄八重山のからむしの種と昭和村のからむしの種とを一度 分けていただいて、奈良県の自生の野からむしで三種類を栽培してからむし引 きをして繊維を作っている。」

 「八重山のからむしは一年に3度も4度も採集できる。が、繊維は大雑把な 気がする。野からむしは本数も太さも一定しない。昭和村のからむしは、一回 しか採取できないが、とても木目があり、繊細である。」
 半分はお世辞かも知れないとは思いつつ、
大陸型海洋文化系のからむしと、一年の半分を雪の中で耐えて育つからむしは 奥会津文化風土の作り出せしものなり、などと、知ったかぶりの比較文化論を ぶつ。

 また来年にも、会えるかも知れない。




■フェアでカスミ草を買ってみた

 『からむし織の里フェア』であるから「からむし」に関わる産品と伝承文 化の紹介フェアである。からむし工芸博物館では特別展も開催され織姫交流館 ではからむし織の作業工程体験とそれらの見学、からむし畑の見学まで盛り込 まれている。お盆と正月以外の時期では村外の人々が一番集まる最大の行事で もあるのだろう。

 そして、この行事は『からむし織フェア』では無いことにも気づくのである。 年に一度の村民のお祭りにもなっているのである。狭義には昭和村大字佐倉の 「からむし工芸博物館」「織姫交流館」「苧麻庵」の建物のある敷地一帯を 『からむし織の里』と呼んでいるが、日本全国でこの他以外にからむし織の里 は存在しないのであるから、広義には福島県大沼郡昭和村のことを『からむし 織の里』と呼んでも何ら間違いはない。
 つまり、『からむし織の里フェア』とは、村外者に対しての昭和村の紹介と 観光と経済行為の行事だけではなく、昭和村の村民の為の新しいお祭りの形で もある。

 会津で生まれて会津に暮らして、全国に発信しているブロガーが「まつり」 とこだわるのはそのせいでもあろう。

 『里のまつり』である。この村は昭和2年に2つの村が合併して昭和村とな った。その前は、南山御蔵入りといわれる天領地であったが、野尻、下中津川、 小中津川、小野川、両原、喰丸、そして大芦という7つの村が山を隔てて少し ずつ異なる文化、つまり村ごとに少しずつ違う独自の文化を継承していたので ある。そんな『里のまつり』であるので、都会から見たら一括りにしてしまう かも知れない物産品も村内では違うのである。

 例えば「ごへい(五兵衛)餅(訂正)」といえば、栃木や奥会津の観光物産とお思い であろうが、村内では明らかな違いがある。現在では継承する人が少なくなっ しまっているが「大芦のサツキ姉(すでにご高齢のおばあちゃんではあるが 年上の女性には敬称として姉という)んとこのごへい(五兵衛)餅」といえば、 それは、野尻とも中津川とも違う「ゴヘイ餅」なのである。同じ名前でも隣の 集落のそれを入手(味わう)するということは、これは地産地消でもあり、ま た、集落間の市場(マーケット)でもあり、隣の文化との親和でもあり、おり あいのつけ方でもあったのである。こうして、連綿として混じりあいながらも 少しずつ違った総体を、よその人は「奥会津」という一括りの名前をつけて、 安心しているだけなのである。

 そのまつりで、村内の畑では見かけることのない、色のついたカスミ草を買 った。カスミ草といえば、白い色の小さな花の咲いている植物で、町の花屋で はカスミ草だけを売っているところなどはなかった(想像)。おまけの花でし かなかった。添え物の花である。花屋さんでは花束を作るときにカスミ草がな ければ、白い水玉模様の透明セロファンで主役の花を包めばそれらしく(カス ミ草)見えたものであった(想像)。そんなカスミ草を都会の趣味人が色を染 めたりドライフラワーにしたりすることは昔からあったことだ(想像)。その 色のついたカスミ草は今では、都会で染められるのではなく村内のある集落内 (産地)で、染められるようになった。そして、それらはドライフラワーでは なく普通の白色の花のカスミ草と同じに花持ちのする花(商品)となって、消 費地へ送られるようになった。この経緯は「ごへい(五兵衛)餅」の経緯とも 同じ道をたどり始め、今では「昭和村の染め色カスミ草」として、よその人が 一括りの名前をつけて呼ぶようになった。

 その嚆矢(こうし)は、昭和花き研究会というところであり、この団体は昭 和村内の他の生産者(組織)のみならず、全国の競合する同業のカスミ草生産 団体に染め色カスミ草の技術を広めているのである。

 その、昭和花き研究会が都会に出荷する為の染め色カスミ草を、『里のまつ り』で販売していたのを見つけたのである。都会ではわたしは花束を持ってな ど歩けない。恥ずかしい気がしてしまうし、今までに花屋さんで一人で花を買 ったこともない。
 3色に染められたカスミ草の束を2束買った。昭和館に持ち帰った。花束を もって歩いて帰る。とりたてて恥ずかしくもない。むしろ、誇らしげに。これ なら東京でも買えるかもと、東京での花屋の事情などにまで思い至ることもな く、ルンルンと花束を持って帰ったのであった。

    訂正
    「ごへい餅」と書きましたが、フェアで食べたサツキ姉の餅は「ばんでい 餅」でした。一旦訂正します。
    サツキ姉のいらっしゃった売り場の「ばんでい餅」は1串に三つの餅でした。 なるほど、「ごへい(御幣/五兵衛)餅」は串に餅が一つで「ばんでい餅」は 串に餅が三つ四つほど団子状に刺してあるのかと思いましたが、書いていて自 信がなくなってきました。判定(ばんでい)が付かなくなりました。
    苧麻庵のページの献立写真をみると、串に大き目の餅が一つなのです。その上、 タレの趣(おもむき)もだいぶ異なっているのです。
    村内では「ばんでい餅」ひとつとっても斯くの如く違うのであります。
    間違えて「ごへい餅」で説明しましたが、図らずも私の文章の正しさと奥会津 の文化の奥深さが証明される事となりました(笑)。←冷や汗。





■日常へ(予兆となりえるまでの経過時間)

 さる外資系の会社があった。オリベッティという会社である。
現在、日本国内にその名前の会社は無くなってしまった。
1961年に日本に進出して、以来、5000名ほどのOBを輩出した。
その時代は国産の会社であれば、殆ど終身雇用であった。
この会社は終身雇用ではなかった。その頃の外資系の会社はどこでもそうであ ったが、どんどん中途退職をする人も多い。国産の会社で若くして中途退職を すればほとんどの人は元の会社の社員との付き合いは離れがちになるのが普通 である。が、この会社の社員は、会社を退職者しても元の社員との付き合いは 変わることもなしでつきあっている。勿論OBの全員がそうであるということ はありえない。比率で考えての判断であることはいうまでもなし。

 あるエピソードがある。
 日本オリベッティ社から、日本H*会社に転籍したH氏がいた。その同期の T氏はまだ日本オリベッティ社に在籍していた。

 H氏の新しい同僚には、国産会社M社から転籍していた人(仮にY氏)がい た。H氏は業務中でもよく元の会社に電話をして、T氏と話をしている。Y氏 はこのギャップに驚く。離職以来、元の会社に電話をすることなどはなかった。
もし元の会社の同僚と連絡を取りたくなったとしても、新しい会社の業務中に 掛けることなどはありえない。よくても、退社後に元の同僚の自宅に電話をす る程度である。変な話だと思われるかも知れないが、携帯電話などが普及する しばらく前の時代のことなのである。

 ある日には、また、H氏がT氏に電話をしている。この両人は、オンライン ソフトウェアの技術者である。業務中であっても、新しい会社がライバル会社 であっても、基本的な技術の情報交換や分からないことがあると、お互いに尋 ねたりしているのである。
 H氏は以前に手がけたさる同業他社との接続手続き資料(プロトコール)を 探していたのである。H氏はT氏に電話をして「もと、僕のいた席の向かい 側のロッカーの3段目に入っているキングファイルの××資料が欲しいんだけ ど、頼んでいい?」「OK、どこに持っていく。」「渋谷の鳥佐にしようか」 などと、話をしているのである。M社出身のY氏は、この文化の違いには吃驚 (びっくり)仰天「Hさん、そんなことして元の会社から訴えられませんか?」。
勿論、社外秘となるような契約条項や見積資料などの持ち出しはそれなりの罰 則規則はあったろうが、それ以外の公開された技術情報などであれば、会社に 所属する人としてではなく個人として、相互に情報交換が出来る付き合いであ ったのである。今なら、秘密情報漏洩にもなるかもしれない。

 話が長くなってしまったが、そういう文化をもつ会社であったのである。
2005年には、OBの有志が集まって全体の同窓会を企画した。全員手弁当 でほぼ一年以上の期間を掛けて、2006年9月16日には、帝国ホテルで同 窓会を開催した。歴代の外人社長も招待ではなく招聘された。招待ではないと いうことは一般参加者と同じく旅費滞在費会費も自腹で、ということである。 会社草創期の元社員にとっては、一番お呼びしたかった初代社長も参加予定と 聞いて喜んでいたが、企画期間中に亡くなられて同窓会当日には参加がかなわ なかったこともあった。500名ほどのOBが一同に参加した。

 いまはなき会社の創立45周年と謳って同窓会をしたのである。
それの準備の雑用と事務局と案内ホームページと、OBとの近況情報の掲載な どをしていた。
 あれから2年近く、時々届く元の会社やOBの消息などの情報が届くたびに、 掲載などをしている。

 イベント情報などのお知らせを下さる方は、大抵は決まってきている。
何故かOBの方々のイベントでは、個別のグループの同窓会、音楽会関係、展 覧会などが多い。




    CM
    日本オリベッティ同窓会
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■とある展覧会のご案内

 そこに、一通のメールが届いた。

 といっても、直接わたしのところに届いたわけではない。元の発信人は、関 西のOB会を取りまとめられていらっしゃるS原さんらしい。同氏が郵送され た展覧会のお知らせの案内状をいただいたOT氏がメールで転送されたのであ る。転送された理由は勿論、同総会のHPに掲載したいとのご意向である。

 S原さんの奥様の展覧会案内である。
篠原範子展「印象 心象 哲学 in 奈良」と銘打った展覧会である。場所は、 渋谷区代官山駅すぐそば、『奈良県代官山iスタジオ』という施設である。7 月24日から28日まで。『奈良県代官山iスタジオ』という施設は、奈良県 が同県の文化物産歴史観光を宣伝する為に開設した東京の拠点のような「スタ ジオ」である。S原さんの奥様が奈良県ご出身でご夫妻は現在奈良県在住であ る、それらの伝手(つて)か縁かで『奈良県代官山iスタジオ』で開催される のである。

 知合いの奈良県人はとても少ないが、奈良県人はおっとりしているような気 がする。奈良県には「番頭は近江、養子は大和から」という言葉があるらし い。『県民性の日本地図』(武光誠・文春新書)という本に載っていた。この 本を読んでいるときに、このフレーズだけメモしてあったのだが、この意味は よく分からない(笑)。原本にあたれば説明も書いてあったはずであるが、失 念してしまったということである。
 今まで知っている奈良県人は男性ばかりであったのに、ここ一週間内で、奥 会津と東京で奈良県人の女性とお会いして、会話を交わすことになるというの は、なかなかあり得ることではない。
 それも、おひとり(KNさん)は、たった一人で奥会津まで出掛けてからむ しの畑仕事を習われる行動力の若い女性。
 おひとりは、ご自分の表現した奈良の心を発表されようと、東京は代官山で 単独展覧会を開催される。それも渉外集客担当に夫を引き連れて、いらっしゃ るのである。
 意味はわからないが(笑)「番頭は近江、養子は大和から」という言葉の 「大和から」というのは、奈良県(大和)の男性の気質を説明していて、女性 用にはその男性の対になる句(フレーズ)があるような気がしてならないので ある。

 WAT氏が開催日初日に訪問されるとのことを聞きつけて、S川氏と一緒にWAT 氏と合流することにする。WAT氏はS原氏から案内状もいただいているので、 連れて行っていただくには心強いのである。わたしはおまけである。おまけに、 手ぶらである。

 S川氏と待合せた時間は、既に展覧会の終了時刻に近かった。




■鑑賞と批評「印象心象哲学in奈良」その理解と独断解説

 具象から抽象へ、奈良の風土からの抽象と、マンデルブローとの出会い。
    何かが降りてきてしまった、、、。上↑の行のフレーズは、わ たしが書いたものかどうかが分からなくなってきたのである。
    あまりにうまく要約しているではないか。わたしも時々は自画 自賛(他人が賛しないだけ)できるフレーズをふっと書いて (書けて)しまうことがあるので、判断が出来なくなったので す。
    もしもパンフレットなどに記載されている文章の一部でしたら 無断引用となります。お許しください。

    ま、この↑フレーズを削除したとしても、以下の批評文章の高 品質性が変わるわけでもないし。どこからその自信が出てくる のかとお聞きですか。だから、何かが降りてきてしまったので すよ。イガラシの取材観察力と審美眼の真骨頂。読んでください。
    (はぁ、そこまでいうかい、、、)
 「印象心象哲学in奈良」というテーマ名以外に何らの予備知識も無しで、訪 問した。油絵、鉛筆画、コラージュなどが35点。35点というのは数えたの ではなく、案内文に載っていたことでした。すみません。パーティションをしなくともすむ 広い一室の壁面に作品が並べられている。

 油絵は、風景静物画(ブドウを主題としている)の具象画と、奈良の神社仏 閣仏像と奈良の風土と作者の心の在り処を重ねたような具象的抽象画である。 具象的抽象画、こういう言葉(美術用語)があるのかもわからないで断言して いいのか。それ以外の用語も知らないので断言しておくしかない。

 鉛筆画は、植物(花)の細密画。最初に見たときには、細密ペン画と思った。
鉛筆画である。ペン画であれば、エンピツで下絵というか大まかなバランスと 按配を鉛筆で描いておいてからペンで書き込んで鉛筆部分を後で消しゴムで消 すという手もある。こういう手法(鉛筆で書いておいてペンで書く)がずるい とかそういう問題ではなくて、鉛筆だけ(それも細密画)ということは下絵を 書いてから後で消すという手法は取れないのである。そう思いながら見ると、 この技量というのはすごいことなのだと理解した。

 普通は全体のバランスを見て、このあたりに花のがく部分を描いて(ちょい ちょい)、このあたりに茎の一番下を描いて(ちょこっ)、下から一番目の枝 (すすー)、二番目(すすすー)と最終的に絵の全体を繋ぐためのベースキャ ンプを作って(描いて)おいたりしそうである(想像)。それが、この鉛筆画では、 同女史はただひたすら花 (植物の)を眺めながら、上から下に描いていくのだそうである。
 この様にして描いた植物の絵には何が表現されることになるか。静物画で、花 瓶に活けられた植物とは自ずと違ってくるものがある。静物画ではなく、生物 画となるのである。
 またまたの駄洒落ではないのである。描かれた植物の絵には、上から下へと 時間が流れているのである。例えば1枚の絵を描くのに4時間掛かったとする と、花の先(上)から描いていって4時間後に茎の一番下が描かれるのである。 超細密にきれいに(それも天然色で)一瞬を切取るのであれば、それはカメ ラでも良いであろう。この鉛筆画は一瞬一瞬ずつにちっちっちっ、すっすっす と、4時間の長さを切取っているのである。

 木炭画もあった。濃い鉛筆かもしれない。鮭一匹をグワッシと捕まえきった 大胆かつバイタルな作品である。太い線でざさーっと一撫(ひとなで)してい るだけなのに、少し光った生鮭のうろこが見えてくるのである。画布(紙)を よくみると、細い細い網を押し付けて上から重石をのせて作ったような、網目 模様上の素材なのである。素材を見切った上での一撫なのである。
 洋画(油絵)で「鮭」の絵で有名な画家は高橋由一という、明治時代の画 家がいる。高橋由一は、下野国の人、幕府の蕃書調所画学局を経て、川上冬崖 に師事し、横浜ではワーグマンに洋画の実技を学んだという有名な画家である ことはご存知であろう。ご存知ない?実はわたしも高橋由一という画家の名前 と「鮭」という作品があることをこの木炭画を見て思い出しただけなのである。

 なんとも、大胆不敵、炭一色で描いた絵には「由一」の漢字(文字)も書いてあるで はないか。字を「書く」というよりも字を「掻いた」と表現したい書体である。
 つまりは、これは画界の先駆者でもある高橋由一を最大限に意識した上で、 「我の木炭による鮭の絵とはこのようなり!」と大見得を切った絵であるので ある。
 また、書かれている文字のことを少し。楷書行書草書という書き方の書体が あるが、どれにも当てはまらない。この書体は「棒書」とか「暴書」とでも名 づけたい。かの空海が竹を割っただけで穂先無い筆(これを筆といっていいの かどうか)で梵字や曼陀羅を表現したものにも通ずるタイポグラフィの妙であ る。誉めすぎですか。

 恐らく、鮭を眺めて練りに練った上で、瞬間芸のように一気に描(書掻)い たのではないかと思います。それも1回こっきりしか出来ないでしょうね。
 この絵、もしも万一失敗したら「それはそれ、鮭と木炭があるだから、焼 いて喰っちまえばよい」。わたしはここまで想像して、奈良県の女性の自己表 現力の強さと独活(うど)のような奥深い独立心に恐れおののくのである。

 そして、コラージュ。丸と輪と繰り返しが基調になっている。
 以下の事々は、範子女史に説明していただいて知ったことであるが、
    「ある時から、複雑系というキーワードが気になってきて、そ こからフラクタルとか、ペンローズの図形などをモチーフに出 来ないか(したいという希望だったかも)と思考して試行して きた」。
 それらは、コラージュに入る前の後期の油絵にも少しずつ見え隠れしてきて いる。勝手に「後期の油絵」などと命名してすみません。お許しいただけるの であれば「範子の葡萄時代」とでも名づけさせていただきませう。あ、決して 「武闘」とかの読みまで意識した訳ではありません(ついつい、要らぬことを)。
 画家にはその変遷で「青の時代」とかそういう括りで名づけられる時代があ る。ここでは「ワインレッドの時代」とかでもいいのですが、ワインレッドは どうも流行りすぎて葡萄の実の色を正鵠に表現し得ない。え、葡萄色はワイン レッドとは言わない?。あ、そかそか、葡萄はグレープですね。間違いついで の言訳をしておくと、「グレープ時代」もなんだかなあ、ですね。ファンタグ レープを想起してしまいましょう。
 何故「葡萄時代」と発想してしまったのか、それは、♪「葡萄(ぶどう)」 という字は「匍匐(ほふく)」という字に似てるわ〜、である。何かに出会う 為、それにたどり着く前の人生の匍匐時代、、いや、ここは多くを語るまいぞ。

 丸い皿とその上に載った葡萄 の房と丸い実、丸い皿とその上に載った少しだけ丸い実の残った葡萄の実に繋 がっていた経絡のような木。などである。つまり、同女史はここでも、時間経 過ということと、葡萄の房の残骸から発せられるあるメッセージを感じていら っしゃるのである。
言葉で説明し切れれば絵画は要らなくなるわけであり、現 実にここにその絵があるのであるから、この感想は勿論想像しただけである。

 これらを、もう少し無国籍化したのが、同女史のコラージュ群のような気が する。このコラージュの大作は特に、スペインの展覧会で激賞され、そのまま マドリッドの美術館(訂正)に展示されてしまったというのである。 そして、これらの コラージュは特に、フラクタル図形を発明(発見して視覚化した)したマンデ ルブロー氏に内的な共感を得て、作成していったことも説明される。

 後で気づいた事であるが、これらのコラージュはパウル・クレーの絵画の趣 (おもむき)があるのではと思った。趣とは模倣ということではなく、感性の 発信機と受信機との各々の和集合のことである。
 何故わたしの気づきにパウル・クレーが出てきたかというと、10日ほど前 (7月13日)に、上野、東京藝術大学大学美術館で開催していた「バウハウ ス展」で、パウル・クレーの生書き作品を見ていたからでもある。

    訂正
    篠原範子さんより、筆者の聞き違いについてのご指摘をいただきました。
    ついつい、筆の勢いに流されてしまいました。すみません。
    お詫びして訂正します。ご指摘当該文章部分を転載いたします。
      私に関する個所、責任を持って訂正いたします。
      私のコラージュ作品は、確かにマドリッドに。
      でも美術館ではなく美術評論家のアルフォンス氏の所有する、画廊?SALA CATARSIS です。
      '98以来行ってなかったので、そのままかどうか私には解りませんが・・・た だ本になっている写真集の、 No3 EXPO CATALOGO DIRECTO のP37に掲載されて います。
      二作品載っていますが、一作品は代官山会場にも展示したものです。スペイン 語の題は、ECO FRAGMENTADO TとUとなっています。
      (原文、手書きペン字。08/08/25付け)
    「葡萄時代」を指摘されたら、どうしよう、と思いました(笑)。←冷や汗。
    あわせて、今後の本駄文の展開に関わる重要なあるモノをいただきました。 それは、第二部(があったら)へのお楽しみです。引っ張る気ですね。はい。



    「印象心象哲学in奈良」より 篠原範子作品




■ここにあったのか!

 フラクタル図形をとても簡単に説明すると、だまし絵で有名なMCエッシャ ーの手法をCG化したようなものである。ホントに簡単な説明ではあるが、そ のような取っ掛かりで考えていただいてよいのである。

 すこしフラクタルなどをかじっていれば、
「どこまで部分を切り出しても、そこには全体の相似が含まれている。」
などという文章が、すらりと入ってくるのである。

 美術の手業(てわざ)では到底かなわないのであるが、このあたりは理科系 幾何系に、少し前であればコンピュータ系(決してIT系ではないくくり)の 範疇はわたしの守備範囲でもあるではないか。

 これらは実は自然界に遍在しているのである。例えば、巻貝の形、羊歯(し だ)植物系の茎と葉などである。羊歯植物とは「ワラビ」とか「ゼンマイ」を 想起すればよい。ただしかし、羊歯植物をコラージュしてみました、では、フ ラクタルでも複雑系でも無いのである。「ワラビの貼り絵を作りました」であ れば、小学生の方が、たくらみとか意図して隠した形とかそういった操作がな い分だけ純粋にきれいに作れるであろう。子どもは無邪気という武器も持って いるので油断は出来ない。

 こういった事々の近傍が話題となりだしたのは、本日は初日ということで、 ご夫妻が準備されていたチーズその他おつまみとワインを数杯飲んでからの事 であった。
 ご説明を聞きながらも、既にわたしは酒気帯び状態なのである。一部はお聞 きしたと思い込んでしまった説明まで書いてしまったかも知らん。

 初日から時間オーバーで、スタジオの係員の方が何度か顔を出されて、警告 が入った頃からであった。
 「S原さん、ほんとにもう閉店時間です!」
 奈良県の男性ならここで、こういうであろう。
 「しようないなあ、東京の人は(うるそうてかなわないなあ)。も少しだけ 待ってもらへんかぁ。」
 京都弁との違いが表現出来たであろうか。出来てない?しようないなぁ。



    豊田さん(鹿沼市)   おたよりコーナー
      豊田さん(栃木県鹿沼市)より

     ご無沙汰しています。
     こちらは、元気です。
     昭和のカスミ草今年もきれいに咲いたようです。
     そのうち東京に飲みに行きます。
       豊田


■かすみそう そらで続けば ならなくも

 わたしは、ぼんやりと、この一週間で遭遇した印象に残る奈良の女性のこと。 奥会津のこと。そういえば会津も仏都ともいっている。奈良晒しの原料は今で は奥会津にしか残らない「苧麻(からむし)」ではなかったか。複雑系とは縁 (えにし)でもある。そして、ピピンと来てしまった。カスミ草の別名を満天 星ともいう。カスミ草の花の分布は銀河でもあるのである。事実、これらのこ とを踏まえて、昭和花き研究会では、七夕の日をカスミ草の日としようという 運動もしている。もう一つある。いや、もっともっとありそうであるが、もう 一つだけ説明すると、カスミ草の一本の枝分かれの形状の事である。これは、 まったくの間違いようの無い、フラクタルなのである。

 これは、奥会津と奈良との複雑系の軌道の遭遇現象であろう。一瞬にすれ違 って、再びカオスの海に埋もれていく前に、何かをタッチしておきたい。と思 ったのである。

 大長編駄文になりそうなので(^^;

 いったん、第一章了として、

 つ・づ・く。



  《《第二章》》

    ■前章までのあらすじ。

     ほんの一週間のうちに、何故か二人の奈良県の人と話をする機会 があった。
    一人は、からむし織に興味を持って奥会津昭和村まで出掛ける女性。
    もう一人は、東京まで出掛けて絵画の展覧会(個展)を開催した主 催者である。
    内的発現の経過により具象から抽象画へと変遷していく過程で、複 雑系(カオス)とフラクタルに出会ってしまった。
    それならば、奥会津のフラクタルを是非ともお見せしたいと思う。
    それは、昭和村の地産品であるカスミ草のことである。


■カスミ草を探す

 カスミ草を都内で買ってみよう。そう思い立った。

 昭和村の『からむし織の里フェア』では、会場内でカスミ草を買うことが出 来た。では、都内ではどこで買えるのだろうと思った。そういえば、わたしの 普段の通勤(及び)散歩コースでカスミ草に気づいたことがあっただろうか。 ないのである。

 昭和花き研究会のサイトを閲覧してみる。どこかに書いていないだろうか。 ヒントはないか。

 見つけた。メインページに、このような説明文がある。
    当会の、かすみ草の生産は6月中旬から10月までの間に、
    全国主要卸市場、仲卸でお求めになれます(BtoB)。
 文章の主語が解りづらいが「市場」または「仲卸」で購入できると読める。 「市場」というのはセリのことだ、予め登録しておいて鑑札というものがない と入場は出来ないはずだ。よく帽子に大きな番号を貼り付けているのでそれと 知れる。「仲卸」は卸し問屋のこと、普通は小売店などか仲間同士での融通で しか、販売をしないはず。
 「BtoB」とも書いてある。紅葉煎餅の「B&B」ではない(古っ!)。 「Business to Business」つまり、昭和花き研究会では、消費者への直接販売 や個人への販売はしません、という事である。

 消費者は、どうしたらいい。
花(カスミ草)が買いたいのであれば、普通は花屋さんに行くのが当たり前で ある。最近では、スーパーなどでも花売り場以外のレジのそばに既に包装済で も売っていることがある。

 そうだ、花屋である。7月25日、現在地恵比寿である。どこに花屋があっ たか、普段はそのような目線で歩いていないので、判らない。が、恵比寿駅の 東口改札口前に有名な花屋が出店しているのは知っている。HB花壇である。 K氏から今年の5月にメールのお返事で教えていただいたことがあった。同氏は 首都圏に来るたびに、この恵比寿と渋谷Tの花店はチェックしているとあった。 チェックとは、現在のトレンドは何なのか、入りやすい工夫をしているか、消 費者は何を求めているのか、店のディスプレイが以前と違う兆候はないか、等 々のことであろう。
 カスミ草で商売をされていらっしゃるが、同氏は決してカスミ草のことだけ を見ているわけではない。
 つまり、恵比寿と渋谷のその店は、消費者の動向を察知する為の、先進的な 店であり、アンテナショップの位置付けで同氏は観察を続けているのである。
いわばこれらの店は同氏が認めた花屋さんの三ツ星店ということです。

 では、その先進的な店に行ってみよう。

 ひまわりの花が、葉っぱ無しで、ひょろっとした茎と直径15センチくらい の花だけを数本まとめて挿したディスプレイなどがある。確かに、先進的なの かと思うが比較対象とする他の花やさんがイメージできないので、08年夏現 在でのトレンドかどうかは判断できない。土の匂いのしない花屋であると思っ たが、他の店が土の匂いがするのかも知らないので判断基準外である。

 店先ですこし、観察してみる。観察とはいってもカスミ草が店内にあるのか 無いのかの観察である。店内に飾られていれば「これ、2、3本だけ下さい」
で済む。
が、花の見える位置にはカスミ草は見当たらない。

 尋ねてみることにする。

 「こんにちは、」
 「いらっしゃいませ」
 「カスミ草は置いてありますか」
 と、男性の店員は、大きなガラスケースの脇の置場を探している。脇の置場 には、新聞紙で植物の上方まで(つまり花なのかも判らない)深く包んだ束の 中から探している。そして、
 「切らしてます」
 との回答であった。なるほど、この店ではカスミ草はアレンジ専用なのかど うかといった用途の詮索は別として、置いてある事は間違いなさそうである。

 「そうですか、」
 気を取り直して、
 「染め色カスミ草などはありますか?」
 染め色カスミ草は目立つので、もしあれば、まさか脇の方に隠しておくこと もないなと気づきながらも、尋ねてみた。
 お客様からの注文を受けてから発注して扱っている。との答えであった。
 絶対にこの店で買うのだ!というほどの強い意志は無かった。それで、逆に 店員の方に期待を持たせてもいけないような気がして、以下のような質問はし なかった。

 「会員登録とかしないと注文はできないのか」とか
 「それは何日かかるか」とか
 「最低購入本数は」とか
 「前金が必要ならそれはいかほどか」

 現在のところは「今日明日中に、どの店でもいいから、カスミ草(それも 生産地昭和村のカスミ)が欲しい。」のである。




■昭和村のカスミ草を応援する花屋さん

 朝のNHKテレビ「おはよう日本」という番組がある。朝の4時半から朝ド ラの始まる時間帯まで放映している。7月11日(金)の朝には、昭和村のカ スミ草が全国版でも放映されるという事をK氏のブログで知った。4時半から ずーっと放映されるわけではない。全国版では7時半から2分間、ローカル (東北版)では7時50分から5分間とある。

 前日からの撮影準備や、当日に放映される「染め色カスミ草」をアレンジし た花束の準備のことなどが、ブログに載っていた。

 その、NHKで放映した染め色カスミ草でアレンジした花束を昭和村に送っ てくださった花屋さんがある。このこともブログで知った。三鷹にある花屋さ んである。

 奥会津の花卉生産者には無農薬生産を目指すグループが多い。昭和花き研究 会もそうである。環境に配慮した花き栽培者(圃場)を認定する「花き総合認 証プログラム(MPS)」という制度がある。その三鷹の花屋さんは「MP S」生産者を応援している。7月12日(土)から14日(月)に「MPSフ ェア」という催事を予定していることと、その催事には奥会津の生産者も参加 し、店頭に立つという。案内を見ると曜日の表示がずれているので、その花屋 さんにメールを差し上げて確かめてみる。速攻で、ご返事があった。曜日表記 を間違えていていたが、3日間開催するとの事だった。

 行ってみようかと思う。
 が、週末の土日のどちらかは、上野東京藝術大学大学美術館で開催中の「バ ウハウス展」を見てこようと予定していた。WAT氏にいただいた展覧会の切 符である。来週でも開催しているが、来週は別の予定(奥会津行き)がある。 平日はほとんど予定がないが、週末だけ予定が入っているのである。
 その12日(土)思い切って出掛けてみようとする、と、晴天霹靂、恵比寿 は大雷と大雨になった。通りでは、通行人の悲鳴も聞こえる。12日の予定は 諦める。13日は「バウハウス展」を見に行ってしまった。

 こうして、三鷹の花屋さん「コテージガーデン」には行きそびれてしまった。




■昭和村のカスミ草はここに行けばある

 昨日は、恵比寿駅ナカの有名な花屋さんで、カスミ草を入手できなかったが、 さほどの落胆をしなかったのは、この三鷹にある「コテージガーデン」という 店にはありそうだと思ったからである。
 三鷹まで行ってみるか。本当に染めカスミ草を販売しているかどうかは分か らない。電話でもメールでも問い合わせれば分かるが、そんな問合せと訪問予 告をして店の方に過大な期待をされてしまうのも気が引ける。奥会津人はヘン なところで奥ゆかしいのである。

 と、ここに、一つの複雑系が表に現れてきた。
 数日前に、IT氏からのメールで、26日から「三鷹産業プラザまるごと 夏まつり」というお祭りがあり、そこでは北海道栗山町特産品の三富屋「くり やまコロッケ」が特別出店するというのだ。
 つまり、ここで、三鷹に行ってもいい用事が二つ重なったのである。

 「昭和村のカスミ草を入手したい」→「カスミ草は三鷹のさる店にありそう」 →「ほんとにあるかは事前に確認したくない」→「三鷹に行ってもよい理由は 他にもあるでしょう」

 という、北海道出身のIT氏からの「くりやまコロッケ」が、三鷹に出掛け させる決意の背中をポンと叩いたのである。

 三鷹に出掛けた。
 結果としてコロッケを見つけることは出来なかった。「くりやまコロッケ、 三鷹(見たか)?」「いや、三な鷹(見なかった)」。わたしは会場で販売し ていると思ったら、祭りのメインストリートとなっている商店街で販売してい たのであった。そのことを知ったのは、帰宅してから三鷹の夏まつりのパンフ レットを見てからだった。はい「後のまつり、、、」でした。

 カスミ草は見つけることが出来たのか。

 三鷹駅から歩いていくと、三鷹産業プラザは「コテージガーデン」よりも だいぶ手前にある。まずは、プラザに入ってコロッケを探すが見つからない。 会場内になんだか行列もあるが、子どもが多いので、違うイベントの行列らし い。そうこうしているうちに、市長の挨拶などが始まったのでプラザを出る。

 「コテージガーデン」の店が見つかる。
 様子をうかがってみる。といって物陰でうかがったわけではない。店の前に 立って店内をうかがったのである。キキョウやひまわりの花が目立つ。その段 の奥にある!染め色かすみ草に違いない。店に入る。
 「奥会津の染め色カスミ草ありますか?」と尋ねる。
 尋ねなくても目の前にある。カスミ草だけで、色 は適当に混ぜていただきたい、と希望を述べる。3本ほどでよいかと言いなが ら、束にして見せてくれる。少し広い部屋なので、もう少しボリュームがあっ たほうが良いかもと感想を述べて5本にしてもらう。実際の染め色は、この店 でされたとの説明もお聞きした。

 値段を確認して、店主の方が梱包を始めだしてから、
 「実はMPSフェアの日程の事でメールをしたのはわたしです。」
 というと、
 「五十嵐さんですか」
 名前まで覚えていただいていた。嬉しい。
 それから、K氏と同郷の出身者であることと、K氏とはまだ直接のお会いは していないことなどの雑談をする。

 「はい、お待たせしました」
 透明セロファンで包まれている。これを抱えて電車に乗るのは少し気恥ずかしい。 その上から、もう一度包装紙を掛けていただく。新聞紙でも良かったのにと思 う。わたしの希望は、福島県の福島民友新聞とか福島民報新聞で包んで欲しい が、まさかそこまでの準備はされていらっしゃらない。

 昭和花き研究会の名前の印刷されたフラワーフードの説明カードをおまけに いただく。




    CM フラワーショップ・コテージガーデン フラワーショップ・コテージガーデン
     東京三鷹で、奥会津とMPSを応援。
     染め色カスミ草はシーズン中いつでも取扱い。
     「昭和村のカスミ草ください!」丁寧にアレンジします。

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■『奈良県代官山iスタジオ』へ再び

 「この花は、フラクタルと銀河のイメージを体現する花であります」
 「ぜひとも、東京で、奈良の方に奥会津も自慢したかったのであります」
 「どうぞ」
 まさか、酒席での戯れ言などで、後日にカスミ草を持参するなどという行動 に出るとはお思いにもならなかったであろう。
 「ま、まさに、、、」
 と、花束を抱えたまま、篠原範子は、崩れ落ちたのである。こらー!嘘つけ!

 それほどではないにしても、

 むくつけきヒゲ男が持参したものが、花束とは思わなかったであろう。想定 外、もっと流行り言葉で言えば「サプライズ!」程度か。
 「あらどうしましょ、おとうさん(S原氏のこと)、花瓶ないかしら、花瓶!」
 ま、それぐらいには、お喜びいただけたのである。

 知ったかぶりを額に汗して説明する。暑いのである。

 「この花は染め色なれども、ドライフラワーにあらず」
 「その証拠は、しばらくすると染め色の花の間から、白い花が咲く」
 「普通に活けても、1週間以上はゆうに花持ちがする」
 「カスミ草の花持と品質保証を全国生産者の先頭に立ち推進した団体がある」
 「その団体とは、誰あろう、この昭和花き研究会のカンケさんなるぞ」

 というような事を、述べる。

 S原さんのご親戚の女性の方?がおっしゃった。
 「カスミ草とは珍しい。添え物と思っていましたが、染め色はすばらしい主 役にもなりそうですね」。

 ん、ま、まずい。絵画の展覧会で主役(絵画)を食ってはいかん。
 後で、よくよく考えたら、この女性の方は「展覧会の主役になる」とは一言 も言ってはいなかったのである。

 おい、カスミ草よ。じっとしておれ、目立つではないぞ。
 もしも、展覧会主が『フラクタル的世界−−奈良とそして奥会津・・・』な どとテーマを変更してくださるのなら別であるが、わたしもここで急遽展覧会 名の変更を申し出るほどには行動力はないのである。
会場の片隅に置かれているカスミ草(想像)と展示している絵画との類似性、 気分的相似性、テーマ性、に気づいた(聡明な)観覧者が展覧会主に声をかけ るまではしゃしゃり出るではないぞ。これは一つの星の王子様の帽子の絵の段 のようなものなのだ。範子さんに理解いただけただけで、もう、金メダル!と 思うべしだ。と、銘じてそそくさと会場を後にしたのである。


 第二章了。



  《《《第二部へ》》》

    「カスミ草物語」のタイトルは、これは昭和花き研究会のWebにある、 「私のかすみ草物語」にインスパイア(inspire)されています。
    どんどん横道にそれてまいります。
    ほとんど収拾がつかなくなりつつあります。
    ご登場人物の皆様には、お疲れ様でした。
    一旦第一部として筆を置き、中休みとさせていただきます。

    なお、掲載中の「CM」については、筆者の勝手な無断押しかけ広告です(笑)。
    申し訳ありません、文言が適切でなければ改訂しますのでお知らせください。



08/08/21:初版
08/08/22:誤字等訂正と、おたよりを追加。
08/08/23:「ごへい餅」の条(くだり)訂正他。
08/08/29:マドリッドの美術館の条訂正他。
10/02/18:誤記訂正。

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