パリの北百kmちょっとの所、ピカルディ高原の中心にこのゴシック聖堂がそびえ立つ。 入り口の沢山の立像やレリーフが教義を物語っている。中のステンドグラスにも驚く が、八百年も前にどれ程の宗教心と、権力者にどれ程の力があったにせよ、これだけ の建造物を作らせるエネルギーが、携わった人全てにあふれていた事を思うと脱帽。 私はとても入り口にも及ばないが、物を作ったり再生したりは人間だけに与えられた 特権である。出来るだけ右手はきれいな物を作ったり再生したりするために使いたい と思っている。それは何も特別な事を指すのではなく、日常的な料理や掃除、花に水 を与える事などごく普通の事を、心から右手を通してやり続けたいと願っているので ある。
スペインが好きだ。マドリッドから入ったりモロッコから入ったり、ポルトガル からフランスからと、何回となく入ったグラナダは、始めの3、4回は圧倒され 何処から手をつけてよいかわからなかった。キリスト教とイスラム教の混じりあっ た強さ、もろさ、相も変らず人間のごうまんさ等を、芸術にまでもっていった イスラム文化の極致がここにある。名もない石工が来る日も来る日も石をきざんだ 寸分たがわぬアラベスク模様。歴史の中で憎しみ合い、愛し合ったひとこまを この宮殿の回廊は見続けたのである。
ある時、ジブラルタル海峡を渡ってマラガに着いた。そこから車を借りて途中、 ミハス、ロンダ、カサレス、セビリア、コルドバと寄り道をし、ポルトガルの シントラという待ち合せの町の文字が読めた時は涙が出て来た。土地の人々は人 なつっこい目でこちらを見ている。そのうち、オレンジをくれたり、ワインを 一杯、二杯とついでくれたりする。どこの国でもそうだが、おばさん達はおしゃべり で大声で笑う。缶詰の空き缶に植えられたゼラニュームやペチュニアが柔らかく やさしかった。
ノルマンディとブルターニュを分ける境界近くの浅瀬に、超然とまさに天にむかってそびえ立つ モン・サン・ミッシェル。パリから、カレーから、シェルブールからと、何回となく行ったが、 満潮時に海水が浅瀬一体に満ちて水に浮かぶ光景は壮観である。八百年近くかけて作られた この僧院は要塞ともなって、華麗なスケールの大きい建物である。名もない石工のおじいさんが、 お父さんが、息子がと代々このピラミッド型の建造物を作るために、くる日もくる日も石を 重ねていったに違いない。今は単なる観光地になっているが、長い長い年月を思う時、人間の エネルギーは素晴らしいと思う。我々は21世紀に何を残すつもりか。25世紀、30世紀 には?今迄作られた物を守る事さえ出来ずにいる今....。
明日のエネルギーを信じたい。
ラトランドの広々とした平原−羊牧場、競馬場、クリケット場があり、鹿や野兎、リス などが自由に跳ね廻っている。過日私はエリザベス王朝時代の木組のホテルに泊まった。 アメリカのホテルのように機能性、便利性は全く望めないが、部屋の窓ワク、ドアの ノブ、置かれたフロアースタンドの位置等、全くいいのである。床は木造だからギシギシ いうし、隣の部屋の咳払いが聞こえる。それもそのうちに、スコッチと、この地方の 気持の良い羽根につつまれて眠りに入る。翌朝、この地方にしては珍しく晴れた。 こんなに種類があったのかと思う程のバラが咲いている。野バラに近いバラがあちこちの 家の窓ワクを飾っているのだ。ていねいにていねいに老婦人が手入れをしている。 家事のやり方は古く不便だと思うが、しっかりと坐って生活している様子がわかる。 柔らかい春の日を受けて花ビラ一枚一枚が半透明の空気を作る。久し振りに大きな 深呼吸をした。
ロンドンから少し郊外に出ると、驚くほど、まるで時間が止まったような町に出会う ことがある。
川というには、余りにもお粗末な流れに、それにしては立派なしっかりした橋が かかっている。一時間に二人くらいしか渡らない橋である。それが、さっきピカデリー サーカスやリージェントストリートを通ってきた続きなのだから、一呼吸しないとなかなか その空気に溶け込めない。
恐ろしく旧式の車がたまに通る。運転は必ず老人である。のんびりとのんびりと時間が 過ぎていくのを楽しんでいるいい顔なのである。相変わらずバタバタとトランク詰めを して移動している私は、そんな光景にふれると時々荷物を捨てたくなる。
私の旅は西の果てのポルトガルから東へ東へと移動してきている。ほとんどがヨーロッパ である。それも、同じ所へ何回も、ということで、アルバニアを除いてほとんど廻って いる。そして帰国後、個展の制作に入るのである。
こんな日々がもう何年も続いているのだ。
モンマルトルの丘にのぼる。古い石畳、古い家並、小さいブドウ畑、墓地、パリで一番 古い教会、クレープ屋、カフェ、そしてローマン・ビザンチン様式のサクレクール寺院、 この界わいは観光客目当ての量産の絵を売っている。買う方も充分承知で買っている。 この丘に立つとはるかむこうにエッフェル塔が見え、人々は何時間も手すりによりかかっ たり、階段に坐ったり、それぞれの思いでパリを感じている。
確かにスカイラインは統一され、どこをとってもきれいだ。確かにフランス料理やシャン パンはおいしいし、洗練されている。
しかし、私は何年か前から「キャビア」より「イクラ」、フォアグラよりあん肝、ボルドー のワインより司牡丹と思うようになった。年のせいだろうか。
ただし、パンだけはかなわないと思っている。
静かな美しさをたたえたアルザスも、何度となくドイツ領となったり、取り返したりの 歴史の中で動いた土地であるが、私はこの田舎町が好きだ。全く見たり経験したりしたこと がない筈なのに、遠い昔、この角を曲がると水のみ場があって、つきあたり右に教会があって と、夢の視覚がぴったりと出てきて、「待て待て!」と、しっかり頭を整理する。
確かにこの角を曲がると「ホラネ!」と、自分で自分にびっくりする。壁木組、オーバーハ ングした張出し窓、何度も塗り替えた窓ワクなど、ドイツのツェレにもイギリスのチェスター にも、こんな家並があって驚く。
人が生活していく空間、人が重ねていく歴史、それは、特別変わったことでも、珍しいもの でも、奇をてらったものでもないのだ。
自然と溶け合った中に重ねていかれるものだけが、人の本当の生命を生む。
バルカン半島の南東部、神話と遺跡の国にはじめて入った時、ゴツゴツと した岩石の多い乾いたところだナ、と思った。いくつもの都市国家が、栄え 滅びて行った4000年の間、古代ギリシャ人の精神を失う事なく美しい風土を守り 続けてきた。トルコに近いこの島、エーゲ海の青と乾いた岩山、港の入り口にはオス とメスの鹿の像をのせた円柱が立っている。気を付けて見るとあちこちに鹿の像が立ち、 花びんや皿、装飾品にも模様や型をあしらった物が多い。旧市街の城壁を歩くと剣と盾 がぶつかる音が聞こえる様な錯覚に落ち込む。石灰とほこりで白っぽくなった道を、 ロバにオレンジを積んで隣り村に向う農夫に出会う。この島も老人達が多い。老婆は 一日中木陰で編み物をしている。良く見ると大変手のこんだ模様で驚く。又絹と羊毛 を織り合わせたタニエスという布も独特な模様の中に風土と歴史を織り込んでいる。 岩山の間に燃えるようなハイビスカスが咲きみだれる。空と海とほどんど変わる事のない 古代ギリシャの空気が調和よくこの島の彩りを伝える。
トスカーナ地方の大都会フィレンツェ。古い歴史と貴重な芸術文化遺産を受け継ぎ、 小高い丘、低いぶどう畑、オリーブの濃いしげみ、真っすぐ伸びたイトスギ、人々が 生き生きと動いている。ミケランジェロ、ラファエロ、ボッティチェルリ、ダヴィンチ、 ティツィアーノなどなどを、ルネッサンス、ゴシック様式の優雅な建物の中に入れるべく して、全面的に理解と金銭的協力を惜しまなかったメディチ家。ローマに入った初めて の夜、はげしい風と雨の嵐の様な最悪の状態。おまけに南廻りで、すっかり疲れ切っていた。 翌朝抜ける様な朝日で起きた。フォロロマーノを見た。2000年も前の石柱が朝露を つけた雑草の中にころがっていた。その石の光景を見た時「やろう!!」と思った。 木と紙の文化で育った私がこわがる事はない、自分の感ずる気持を大事にしたいと思った。 この朝の出来事が私を決定的にこの世界にひきずり込んだ。きれいだと感ずる事が出来る 時間を長く持ちたいと思っただけである。長く透明な世界を旅したいと思っている。
その夜のモテプルチアーノのワインの味は忘れない。
東欧がこんなに早く変化するとは思ってもいなかったが、その中でハンガリーの首都 ブダペストは東欧の中でも華やかな場所であり、パリやロンドンに比べてもう少しセピア 色を感ずるのは私だけだろうか。この辺を40日位ウロウロした事があうるが、ドナウ川 をはさんでブタ地区とペスト地区、ほどんど乾いた平原である。
ネオロマネスク様式のマティアーシュ寺院に隣接する「漁夫の砦」からみる街並は、朝、 昼、晩それぞれ美しい。人々は純粋で人なつっこいし無口だ。民家はどの家も絵皿やあざやか な刺繍の敷物が飾ってあり、質素だが暖かい。
トカイワインをのみながらのジプシー音楽が悲しい。サラサーテの哀愁をおびたヴァイオリン の旋律がはっきりと色になって重なってくる。
北イタリアのミラノ、ビスコンティ家の相続者フランチェスコ・スフォルツァが改築し、
今は博物館として使われている。長い城壁や大回廊、円塔も美しいがこの額縁が私は気に入っ
ている。ドイツのパッサオという所の店の片隅にアンティークな鏡として売られていた。
始めから鏡として使用する意思はなく額として使うつもりで買った。ガラス絵になっていて
極採色で描かれている。帰国後夢中であれこれ中味を作ったもののどうにも額が浮いてしまう。
遂にあきらめて少し上等の面取りの鏡を入れようかとも思ったが再度挑戦したのがこの作品で
ある。下地にとけやすい透明な釉薬を何種類も焼き付け、上は最も溶けにくい不透明の釉薬を
のせて焼いてある。元来私は額縁屋泣かせで通っている。個展に出した。すぐとびついた人が
いた。「シマッタ!!」と思ったが遅い。いまでもほしい額縁のひとつである。
イギリスは何回か旅をしている。いつも寒い時とか、春浅い季節である。どのの国でもそう 思うが、都市より郊外や田舎の方がその国に人々の生活、歴史、機能と詞情を共存させる 何かを感ずる事が出来る。
このシェークスピアが生まれ育ったゆかりの地は、500年前彼が見て感じた光景や空気が 全くそのまま続いている中世の町だ。頑固に人々はその空気を大切に受けついでいる。 例えば人々の家並や庭、人の作った物と自然が全く気持良い雰囲気でとけ合っている。 一軒一軒違うのだが違和感のある家はない。リタイヤしたのであろうか、白髪の老夫婦が草花 を楽しそうに植えかえたりしている。庭のテーブルにカップ、ポット、砂糖入れが全く 自然に置いてある。ストーク・オン・トレートかと錯覚してもおかしくない空間である。 道はほとんど歩いている人はない。
この古びた教会も勿論現在も使われているのだが、静まり返っている。高い尖塔とくずれ
かかった瓦、土壁、人々を見つめてきた通りの樹々、草花、人々の生活が、おだやかな顔の
人々が、いとおしいのである。
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