「個の尊厳」(憲法第13条)を中心として

 

甲府市自治基本条例策定の極私的経過報告その2

 

森本 優(2006/01/28)


 先日、ある講演を聞き、個人的に意を強くした点がありましたので、二点ほど皆さんに強調し、最後に甲府市自治基本条例策定の意義についても言及したいと思います。

 

一、個の尊厳とは

 先ず第一点は、人間はそれぞれ皆違った個性(イデア的神格)を持たされて、この世に生まれ、自らの個性に従って花を咲かせ実を結ぼうとしているということです。

 ですから、本来あるべき教育とは、それぞれの個性(神格)を自ら自覚させ、それに従った発現を手助けするものなのだと考えています。

 そして、人がそのような手助けを行えるには、既にある程度、個の内奥に自ら立ち戻ることの出来る人間性が培われていなければならないと考えます。

 すなわち、子どもたちが自己を発見し大人社会を変えてゆくようになるには、自らの内奥に立ち戻ることによって個々の子どもたちの内奥にまで辿り、それぞれの個性を尊重してあげられる大人の教師(導師)が、先ず必要なのではないでしょうか。

 その点を、是非多くの教師の方々には自覚していただきたいのです。

 因みに、単に知識や思考・行動パターンを子どもたちに刷り込むだけでしたら、洗脳と同じ類のものとなり、行き着く先は管理ファシズムを補完することにもなり兼ねないと危惧しています。

 すなわち、昔から学校等の教育の場は、支配者・権力者にとって格好な洗脳の場・手段として機能してきましたが、現在及び将来においてもそのように機能し又してゆくだろうことは、誰にでも容易に察することが出来るはずです。

 一団体・一企業から、国家、多国籍企業群、更にはそれらの背後に隠れながら事実上世界を支配しようとしている極一部の支配層までのものとして、地球上には様々な思惑とビジョンが重なり合い結び付き合っています。

 そして、将来において自らの思惑・ビジョンが達成されるための「教育」が、様々な主体によって、またあらゆる場・機会において、なされていることもまた明白な事実なのです。

 ところで、団体・企業・国家レベルでは、ビジョン等は表に出やすいのですが、地球上の人間を家畜同様に管理し支配しようとしている人たちのビジョンの中核となる部分は、まず表には出てきません。

 すなわち、地球環境・CO2・人口・食糧・資源・エネルギー等々の、誰もが影響を受けざるを得ない明らかな関心事項については前面に打ち出して啓蒙しますが、管理・支配体制に繋がる極一部の重要な「種」は、うまく隠されたまま人々の無意識層に刷り込まれてゆくのです。

 そのような力が働いている「教育」の場では、相手(子供たち)を、個々の神格を持った人間としてではなく管理対象の集団として捉え、目的達成のための手段として「教育」し動かそうとします。

 そのため、子供たちの因果的気づき・思考により、社会を如何に合理的・効率的・持続的・合目的的に変革してゆくことができたとしても、己自身に対する自覚・認識とそれに基づく自己実現が伴わないのであれば、子供たちはやはり「迷子」のままだと言えるのです。

 一方、それぞれの個性(神格)を自覚させ、それに従った発現を手助けする場であれば、個として尊重され己の神格に目覚めた子供たちは、人間だけでなく、動植物や、山、川、更には一個の石にまで、それぞれの神格を認められるようになるはずです。

 その時初めて、人は人間至上主義の驕りから抜け出す切っ掛けを持つことができるでしょう。そして、本来持っていた宇宙意識を取り戻すことができるようになるのではないでしょうか。

 私たちは、そのような教育の場と機会をできるだけ多く、地域の人たちの暖かい思い・願いの中で用意してあげることが必要なのだと思います。

 

 ところで、講演の中で講師の方は、「一番理想的な生き様は、死ぬ時に『いい人生だった』と言える場合だ」といった主旨のことをおっしゃっていました。

 しかし、「迷子」の状態にありながら、単なる幻の中の自己満足で終わっていたのでは何にもなりません。

 己の種(イデア的神格) をこの世で発芽させ、花を咲かせ、神格に相応しい立派な実を結ばせること、このことが人間としても本当に求められていることなのです。

 そのことを抜きに「理想的な生き様」を云々していては、現象に足を取られることにもなりますから、くれぐれも注意してください。

 

 社会において、それぞれの個人が、周りのものたちと助け合い連携し合いながら、自らの個性(神格)に従って花開き、実を結び合ってゆくこと。

 そのように、万物斉同の世は、正に個の尊厳の中で始めて実現できるのであり、そのような万物斉同の世を実現していくことの出来る地域運営の仕組みを、今、それぞれの地域が準備してゆかなくてはならないと考えます。

 ところで、憲法第13条で保障されている「個の尊厳」は、単なる人間の個人的エゴの尊重なのでは決してなく、個の侵すことのできない神格にも繋がってゆくものであり、その意味で、日本国憲法体系の究極的な価値であり目的なのだと私は考えています。

 ですから、自治基本条例も、当然その価値を前提として策定されるべきだと考えます。

 

二、達成すべきビジョン 

 次に、第二点目は、上記のことに直接関連してきますが、将来達成すべき理想郷(生き残りのためのノアの箱舟)に対するビジョンは絶対必要だということです。

 「CO2削減」等の現象的課題に対する対症的解決を目的としたビジョンのみでは、あまりにも貧しすぎます。

 理想郷を達成することで必然的に「CO2削減」等の課題も解決される方向で、トータルビジョンを描くべきなのではないのでしょうか。

 ところで、「CO2削減」や「地球環境保全」のためにボランティアが大勢集まる時代になってきています。しかし、私たちの将来達成すべきビジョンがないままでは、却って、管理・支配体制に繋がるうまく隠された「種」を、脳天気に無自覚のまま全世界にばら撒いてしまうことにもなり兼ねません。

 そのようなことが無いようにするためにも、達成すべきビジョンは今のうちにはっきりとさせておく必要があります。

 そして、企業・国家等との協働は、前記のような個の確立とこのような明確なビジョンがあって初めて、私たちにとって本当に意味のあるものとなるはずなのです。

 

 ところで、今、地球上では加速度的に環境が悪化し、資源・食糧等も四半世紀後には急激に減少方向に向かうとの科学的シュミレーションが出ているそうです。

 そうなれば、このままでは、大きな戦争が起こる可能性は非常に大きいでしょう。

 また、そのような混乱期には、統制経済による食糧の配給がなされるようになり、人口抑制策も採られた専制支配体制国家が地球上に数多く発生してくるものと考えられます。

 そしてやがては、食糧・資源・エネルギー・情報等を地球単位で管理・統制する強大な管理支配体制がこの地球上に作り上げられるかもしれません。

 そのような社会では、一般大衆は、極一部の支配層を認識し得ないまま、家畜同様に徹底的に管理されることになるでしょう。

 すなわち、人間として生まれてきても、自らの神格を自覚する機会を与えられないまま、体制が管理・統制する家畜集団として一生を終えなければならないのです。

 このような管理社会にしてはならないことは、普通の意識があれば誰でも願うはずです。

 そのために、今何が必要なのか、私たちは深く考え、準備し、行動してゆかなければなりません。

 私は、人類生き残りの道として、上記支配体制とは別の、もう一つの道が残されていると考えます。

 すなわち、自給経済圏を基盤とした、個の尊厳が共通の合意として守られる地域協働社会のグローバルな連携です。

 最低限、生きてゆくのに必要な食糧・資源・エネルギー等は地域内で若しくは連携し合って生産・開発して確保し、住民が情報を共有し協力し合って政治・経済・教育・医療等を企画・実施してゆく、自立した地域協働社会とそれらの全国的・世界的な相互扶助を目的としたネットワークです。(地球連邦構想案参照)

 

三、甲府市自治基本条例策定の意義

 ところで、そのような地球立て直しの礎ともなる地域協働社会を今から準備してゆくためにも、甲府市自治基本条例の存在が今後非常に重要になって来るものと考えています。

 甲府市自治基本条例のビジョンと地域運営の仕組をどのように設定するかによって、個の確立した者たちの草の根のネットワークが編まれ、それを通して、日本国更には地球そのものの立て直し運動にさえ繋がってゆくことも可能になってくるからです。

 そのため、甲府を起点とした立て直しの動きが始まり、それが全国・全世界に波及してゆくのか、しばらくの間、関心を持って見守っていただけたらと思います。

 

 以上です。

 お付き合いありがとうございました。

 

 


甲府市自治基本条例をつくる会会議録

 


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