「親の心子知らず」

 

森本 優

2022.10.18


ダ一クエネルギ一

 宇宙は平らで空間一立方メ一トルあたり水素原子が約5個分の質量(エネルギ一)に保たれているとされる。もしそうなら、宇宙が急速に膨張しているという事実を踏まえると、その水準を保つためにも、その分の質量(エネルギ一〉も供給され続けなければならないはず。とすれば、宇宙は点(無)から急速に吹き出され膨張したことが分かっているが、今でも依然としてエネルギ一がこの宇宙に吹き込まれていることになるのではないか。今話題となっているダ一クエネルギ一とはこのようなものではないかと推測される。

 

空間とは

 「空間」の概念は宇宙エネルギーの広がりにその根拠を持つ。人間などの高等生物が持つ知覚のための直観形式を通してフラットな三次元の枠に直観的世界を描き出すことになることから、「空間」(三次元の世界)が実在するという錯覚に陥り、宇宙が消滅しても空虚な「空間」は残り続けるものと反省内で想像してしまうことになる。

 しかし実際には、その枠を満たすエネルギーの場は均質的でもフラットでもなく、濃淡があり歪んでもいる。その歪みのためにこそ、高次元の「空間」を想定せざるを得なくなるのではないか。ところで、発現されたこの宇宙を被統一面とするなら、「超空間」(宇宙エネルギ一が全く消滅した真空)は、その被統一面の外にあるのではなく、統一面(無としての点)の内奥に存在するのかもしれない。宇宙エネルギ一を風に譬えるなら、風を起こしている中心部は、台風の目のように風が凪ぎ無風状態のようなポイントとして存在するのかもしれない。物質現象として実証することはできないが、その可能性は否定できないだろう。

 

時間とは

 私たちが持つ「時間」の概念は、宇宙エネルギ一の働き・変化にその根拠を持つと考える。そのため、宇宙が消滅すれば、反省内で無限に続く「時間」を想像することができるとしても、事実としての時間は消滅するはず。

 宇宙エネルギ一は様々に働きかけ変化し続けている。その働きかけの中で私たちは三次元の広がりの中で変化・運動する感覚を土台とした物質現象を描き出すことになる。

 そしてその変化は因果の法則に遵うはず。

 すなわち、ある変化は突然そのような結果を現すわけではなく、原因となる諸要素が先行していなければならない。そうであるなら、変化(時間)の進む方向は当然原因から結果への一方向でなければならない。(ここで注意しなければならないのは、変化の順番とその情報の伝達の順番とを混同してしまうことから因果の法則を疑問視してしまうことである。)

 精神現象においても、私たちは漠然とした感覚を原因として統一を向け諸直覚を表し知覚の状態を結果として認識する。そのようにして直覚・知覚を継起させ直観的世界を描き出すが、それらの諸「存在」の継起性が「時間」の概念の主要な内容となっている。その継起性こそ物質現象内での運動・変化をもたらしていたものと同じ宇宙エネルギ一の働きに基づく変化なのである。

 

エントロピ一の拡大

 ところで、エントロピーの拡大が「時間」の方向性を決定しているとする考えがある。

 確かに、これも宇宙エネルギーの変化に関係しており、時間性を示す事実ではある。しかし方向性を決定しているとは考えにくい。

 この説においては、宇宙エネルギ一が初期において出尽くされ、そこで生成された宇宙はその後エントロピ一の拡大に任せるままとなっているとの考えが前提となっているのではないか。

 しかし今でも宇宙エネルギ一が時空を超えたところから湧き上がり続けているという宇宙観からすれば、その宇宙(生命)エネルギ一によって新たな秩序が断続的に生まれ続けてゆくことになるはずである。すなわち、確かに初期に発生した秩序の渦が大きいので、全体的には宇宙はエントロピ一の拡大の方向に向かうのであろうが、流入するエネルギ一が一定量ある以上、新しい秩序の渦は生まれ続けるはず。イメ一ジとしては、その大きな渦が徐々に崩れてゆく中で、それより小さい渦が次々と生まれそして崩れてゆく様子が繰り返されているのではないか。

 

エネルギ一の量子化

 以上から、三次元の広がりの中で変化・運動する物質現象を描き出す私たちにとって、「時空の場」は正に時間・空間で限定された局所的なエネルギ一の場と読み替えてもよいと考えている。したがって「時間」・「空間」の量子化の問題は、宇宙エネルギ一の量子化の問題であり、物質(生命)現象は、エネルギ一の一定量の働きにより断続的・段階的に進展するものと考えられる。

 また精神現象である表象機能においても、この断続的・段階的な性質は認められる。例えば漠然とした感覚に統一を向け直覚を表す場合でも、常にその直覚の状態を保つことはできず、断続的に諸直覚を表していって知覚の状態を得、諸知覚の継起によって直観的な世界を描き出している。※

 

宇宙の意思

 表象機能や直観形式の制約から、宇宙は感覚を土台とした物質で満たされ、それらの相互関係によって「空間」内を運動・変化する物質現象こそが宇宙の実相であると考えてしまいがちである。

 しかしその物質現象の背後にそれを支えるエネルギ一が働いているのではないか。

 前述通り時空を超えた点から宇宙エネルギ一が吹き込まれているとするなら、そのエネルギ一は、物質現象としての宇宙の特定された「空間」から湧出するのではなく、濃淡はあれ、全宇宙の至る所から湧き上がっているのではないか。すなわち物質現象の地平線上にある量子の世界でも、粒子の生成・消滅に影響を与え、また、物質の発展形である人間の精神現象の内奥においても、そのエネルギーは生命の泉として湧き出しているのではないか。そして上述のように、一定量のエネルギ一を吹き込み続け新たな秩序の渦を作り続けるのは、物質を生み出しその発展形として動植物や人間等の高度の生命体を創り出そう、叡智的な世界をこの秩序の中で描き出そうとする宇宙の意思があるからなのではないか。そのために、子どもがシャボン玉を膨らますように、潰れないように、また吹き過ぎて破裂しないように慎重に一定量吹き込んでいる様子を物語風に夢想してしまうのである。

 もし私たちが宇宙の意思を体現できず叡智的な世界を発現できないまま、環境破壊や核戦争などで他の生命体を道連れにして滅ぶなら、「親の心子知らず」とは正にこのことなのだろう。

 

「虚空を掴む」 第一部 表象機能 参照

   


2022.11.6

補足1

 コメントの「宇宙エネルギーが全く消滅した真空」については、そのエネルギ一が立ち上がる前の静寂な状態を指しますが、その背後の統一面にはマトリックスとしての隠された別の力が存在すると考えています。したがってこの「真空」とは、何も無い地点ではなく、宇宙の発生源に接した地点であり、宇宙の生成・消滅が幻影のようなものだとするなら、その発生源こそが実在そのもの(絶対有)であると言うことができるでしょう。

補足2

 宇宙の意志に関して一言逃べるなら、現に発現されている個々の現象から推測するしかありません。宇宙の意志は、個別相においては五つの発展段階を形成する諸欲求として発現されていると私は考えています。すなわち物質的欲求・生存的欲求・性的欲求・知的欲求・宗教的(至高の彼方へ至らんとする)欲求です。詳細は以下の拙論〈「両性具有論」)を参照してください。

http://www.asahi-net.or.jp/~jh4m-mrmt/A.philosophy/a-b-3.html

 人間の場合、上位の諸欲求を満たしてゆくべきなのに、物質的欲求の罠にはまり、自らを滅ぼそうとしていることについては、拙論(「私有財産の起源とその発展」)で考察しています。

http://www.asahi-net.or.jp/~jh4m-mrmt/A.philosophy/a-b-2.html

 いずれも20歳代後半のもので青臭いですが。

 


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