リニア狂想曲

「何かおかしいと感じたら、声を上げることを恐れてはいけない」

(日系人の強制収容に異を唱え続けたフレッド・コレマツ氏の言葉)

森本 優

2018/7/9


 リニアはその経済性・安全性等が疑問視されるも、JR東海のドン葛西会長の夢とされ、また経済活性化策の一環として、大手ゼネコンと沿線各地域の経済団体が推進し、各地方公共団体も支援体制を整えてきた。

 2011年、リニア交通政策審議会の検討・答申を受け、国交省はJR東海にリニアの建設を指示。国策民営会社による「公共事業」が本格的に動き出すことになった。

 しかし、その交通政策審議会にほとんど毎回来場し傍聴された方によると、その審議会は始めからリニアありきで進められ、委員の偏った構成上からして、当然、その内容も推進派の意向に沿ったものだったそうだ。また、安全性の確保や自然・生活環境の破壊などのディメリット部分の検討はほとんどなかったという。

 山梨でも、資本関係の点でJR東海に近い三菱UFJリサ一チ&コンサルティング株式会社が、山梨県の委託を受け2009年12月に「リニア影響基礎調査業務報告書」を出し、そこで「夢」のリニア効果を打ち上げている。その希望的観測に基づいて、今巷ではそのような「夢」のような効果のみを強調する一方的な都合の良い情報が氾濫している。

 コンサル会社としては是非リニアを通したいから、リニア効果をできるだけ大きく見せたいのだろう。しかし現実とのギヤッブが大きすぎると責任問題になってしまう。そこで報告書では、現場の工夫・努力次第でそのような「夢」の効果は可能であるとしている。つまり裏返せば、「そのような効果を実現できなかったのはあなたたちの工夫・努力が足りなかったからだ」という逃げ口上を残しておきたかったということだ。

 その後、その報告書が謳った「夢」のような効果のみが強調され、可能性の話はほとんど隅に押しやられている。県ではその報告書を土台として、2013年3月に「活用基本構想」を、同じく2017年3月に「整備方針」を出し、「夢」のようなリニア効果を実現すべく、リニア駅周辺地域の開発や他地域への交通網整備等に巨額の県費を投入しようとしている。

 冷静に考えてみれば、リニアは本来、東京・名古屋・大阪のみを繋げるものとして構想されていたのではなかったのか。JR東海としても、リニアの特性上、その他の沿線各地域にはできれば停車したくないのが本音のはず。しかしリニアを通すのに沿線各地域の協力も必要になるため、リニア効果をできるだけ大きく見せて沿線各地域の支援を仰いだというのが本当のところなのだろう。

 だが各駅停車便を1時間に1本程度しか走らせないことからも分かるとおり、リニア営業による地域経済の活性化はそれほどには望めないはずである。そのような実情の中で、県が「夢」のリニア効果に踊らされ莫大な税金を「公共事業」に消費してしまうとしたら、「夢」から覚めた後の現実は如何ばかりのものとなるのだろうか。そしてリニア事業そのものが大赤字になれば、その「敗戦処理」は国民の税金で処理するしかなくなるのである。

 人口減少を無視した事業効果の水増しなど、リニア推進のために策を弄して都合の良い出鱈目な数字を並べ立てているが、一方、都合の悪い情報は民営会社を盾にJR東海は情報開示を拒み情報は見事にコントロ一ルされているようだ。

 また、沿線住民が騒ぎ出す時間を与えないためか、ル一トも直前まで公にはされず、環境影響評価や住民説明会などの手続きも形ばかりで、住民の人権に配慮する様子は見られない。

 「民」という字は、目を射潰された奴隷を象るが、施政者(権力者)にとって今でも住民とは、必要な情報を遮断したままうまく管理すべき対象、すなわち「奴隷」でしかないのだろう。

 そもそも真の文明・幸福は経済的・物質的豊かさや便利さの中にあるものなのか。足尾鉱毒事件の指導者である田中正造氏日く、「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」と。しかし今の世の中は、経済成長至上主義と唯物功利の穢土に「文明」を築き、山を荒らし、川を荒らし、村を破り、そして儲けのために人殺しの戦争さえ仕掛けようとする。そして人々は桃源郷から追い立てられて「文明」社会の犠牲となっているのが現実である。

 原発・リニア・ダム等の大半の巨大「公共事業」は、この「文明」社会に咲く仇花にしか過ぎないのではないか。自然破壊や犠牲となっている人々の怒り・悲しみを見るにつけ、そう思われるのである。

 

 私たちは、2018年初頭に作成・配布された冊子『リニアで変わるやまなしの姿』に対して、違法な公金支出であるとして監査請求を求め、今回「リニアまんが訴訟」(住民訴訟)を提起する運びとなった。何もせず諦めてしまっていては、不当で違法な権力行使に屈し不条理をそのまま認めてしまうことになる。私たちには、できる範囲で異を唱え続けることしかできないが、今回は本人訴訟で闘うことにした。皆さま方のご支援・ご協力を頂ければ幸いである。

以上


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