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富士山めぐり

  1. 前置き
      ホームページを作るきっかけになった由来なぞ、少々・・・。
      それは、仕事で静岡県沼津市へ長期(約2ヶ月間) 出張したことに始まります。沼津で晴れた日に見る富士は実に間近に、そして改めて その優美さに打たれたことによります(私は普段、埼玉に居住しているんであります)。 そんな富士を見ながら毎朝通勤や生活しているとどんどん惹かれていって、もっとよく見たい、 写真に撮りたい、きれいに撮りたい、という気持ちになって来ました。
      そして、撮影場所を探すのにただ漫然と動くのでなく、何か良い場所はないか?というような ことを考え始めた時、まず沼津市のすぐ西隣に田子の浦港があったのですぐにあの有名な短歌を思い出しました。 そして実際に行ってみたのが次の項目です。その他に 富士山を見るポイントになりそうな場所としては、小説やTVドラマで知っていた歴史ものの中から幾つか 思い浮かびました。それが信長ページ信玄ページになります。
      以上のようなことを思い立って始めてから思ったより大変だったのは、写真に撮るには万葉集当時より 現代は景観が変わり果てているということです。 田子の浦港には石油貯蔵タンクが並び、周囲には工場の排煙が棚引き、街中からは電線が写真に ほぼ入らざるを得ないということです。

  2. 田子の浦港
    歌碑港の案内図 公園入口公園からの富士
    (1999.3.6撮影。歌碑と富士はデジカメQV-100使用。中2枚はエスピオ140M写真をGT-7000Uで取込。)
      現在、静岡県富士市にある田子の浦港は、万葉時代に山部赤人によって詠まれた場所そのものという訳ではなく、 昭和33年から建設された港湾(昭和39年に重要港湾指定、昭和41年に外国貿易港として出発)でありました。 (ということは、見に行ってからだいぶ後になって分かりました。しかし、その港の西側カーフェリー乗り場に上記歌碑が 作られています。)
      では、万葉当時の場所はどこだったのか?というと、田子の浦という名でかなり広範囲な 場所を指していたようです。『角川日本地名大辞典 22 静岡県』(1982年発行)によると、 ”富士川河口を挟んで西は三保の入り江から東は浮島ヶ原までの広範囲にわたる海岸の総称とするが、一般には 庵原郡蒲原町の海岸、吹上げの浜を中心とした付近一帯の海岸をいう”とあります。ですから、碑があるのも 間違いではないのでしょうが、どうせならもう少し西−富士川より西−で今でも富士山の眺めの良いところに 作れば良かったのに、と思ってしまいます。ですが、歌に詠まれた頃は、”白砂青松が連なり、富岳が 駿河湾に影を落とす景勝地であった”そうですから、現在では探しても無いのかもしれません。
      がっかりしつつそこにある港の案内図を見ると、すぐ近く−港の東岸−に”富士と港の見える公園” があるのが分かりました。この辺から富士山を見るために作った公園のようだったので、期待しつつ向かって 撮ったのが上の写真の右側2枚です。確かにかなり高く上れる展望台もあって、富士山だけを見るなら おそらくかなり良い場所でしょう(つまり、手前側というか下側を見なければという意味で)。 結局、到底満足できるものではなく、決意も新たに再度富士山めぐりをすることにしたのでした。

  3. 富士山ライブリンク集
    24時間、しかもいろいろな場所から富士山を見られるという素晴らしいページです。
    絶景くんの富士山中継
     ↑山中湖村から5分毎に撮影。逆さ富士が見られる。
    しずおか富士山ミュージアム by WNN-C Shizuoka
     ↑御殿場と戸田村(西伊豆)からのライブで、ズームなどの操作も可能。また他の富士山ライブリンクが豊富!!


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