カカポの外見と習性 |
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次の文書は、ニュージーランド自然保護省のドン・マートン(Don Merton)の手
になる概要です。彼は、過去30年間カカポの救助に当たってきた人です。
- 1974
- カカポを再発見−2羽のオスがフィヨルドランド(Fiordland)のエスプランス
渓谷(Esperance Valley)で確認された。(その後、これらの鳥は、保護計画の一
部としてモード島(Maud Island)に移された。)
- 初めて録音に成功−(ブーミング以外の)かなりの呼び声を含む。これらの呼
び声は再び記録されてはいない。その中には、ラジオ・ニュージーランドの『モー
ニング・バードコール(morning birdcall)』で未だ使われているものもある!
- テレビ・ニュージーランド(TVNZ)が生きたカカポを映像フィルムに初めて収
録。
- カカポは単生の習性があるということが確定。
- 1975
- さらに5羽(オス)をフィヨルドランドで発見(うち1羽はモード島に移され
た)。
- 初めて、ブーミングおよび関連の(ダンスの)ディスプレーを観察、記述、撮
影(光度増強器を通して)。
- 初めてブーミング・コールの録音に成功。
- 『小道(track)』と『窪地(bowl)』の意味が解明−すなわち、『小道と窪
地のシステム』は求愛機能を持ち、ブーミング・コールは実は求愛ディスプレーの
1部であって、窪地つまり『宮殿(court)』の中あるいは近くから出すものなの
である。
- カカポは『レック(lek)』という求愛システムを持っているという仮説を
提唱(仮説はニュージーランドの大家の殆どによって否定された!)。
- 1977
- フィヨルドランドでは今や全部で18羽(オス)が知られているのみ−この年
取った、ちりぢりになった、切れっぱしの、オスばかりの生息数では回復不能であ
るという結論だ。技術的には、カカポはもはや絶滅した。
- カカポをスチュアート島(Stewart Island)で再発見(約200羽)−
今世紀で確認された最大の活動中の『舞台(arena)』を含む(20羽以上のオスが
呼び声を上げている)−カカポに対して、および、救う努力をしている人々に対し
て、執行猶予だ。
- 1980
- メスが未だ生存していることを確認!今世紀になってから初めてスチュ
アート島で(4羽の)メスを捕獲。かくして、種の存続と回復が現実的な目標に
なってきた。
- 以前のいくつかの報告に反して、カカポ(オス・メスとも)が実際には全く飛べ
ないと言うことが確定。
- 1980-91
- ニュージーランド自然保護省の野生生物局と大学の研究者たちによる野外調査−
しばしば極めて困難な状況に遭遇しつつ−社会行動、行動圏の大きさ、食餌および
摂食行動、求愛および繁殖行動についての知識と理解に関して重要な進展があった。
- 繁殖はブーミングの聞こえる年にのみ起こり、しかもブーミングは2・3年の
間隔をおいて個体群内で同時に起こる、という、1890年代からの日付のリチャード・
ヘンリー(Richard Henry)の主張(随分中傷されたものだが)が実際には実質的に
正しいということを確認。
- カカポは全くの草食であるということが確定。
- 1981
- TVNZの自然史課(Natural History Unit)がスチュアート島で初めてブーミン
グのディスプレーを撮影することに成功。
- 今世紀になって初めて(2つの)巣をスチュアート島で発見。
- 初めて巣中のメスとヒナを観察。
- 初めてヒナの呼び声と給餌の声を録音。
- 初めて巣での行動を写真を撮り、映像でも記録。
- メスだけで巣の世話をすることを確認。
- 野生化した猫がスチュアート島の生息数を急速に失わせていることを発見。猫
抑制策を進め、効果的な短期解決策であることを証明。
- 1981-92
- すべての(残った)スチュアート島の生息数(61羽)を、野生猫から保護する
ために(4つの)沖合の島に移した。これで、現在知られている最後の自然生息数を
事実上喪失させることになった。これは、1つの種(今回の場合、属でもあるが)の
すべての個体を移住させた希な例の1つである(移動中に1羽も欠けなかった!)。
- 1984
- レック求婚仮説がついに認められた。(「アイビス(Ibis)誌における)発
表で一般に認められてきたので、この重要な行動の発見を管理に組み込む好機が到
来したのだ。
- 1987
- フィヨルドランドでの最後のブーミングが聞こえた。フィヨルドランドに
1970年代にいた18羽のオスのうち3羽だけが1987年まで生き残っていたことと
いうことになる。−3羽すべてがこの年にブーミングしているのが聞こえた。それ
以来、かの最後の砦地にカカポが存在したという形跡はない。かくして、カカポは
ニュージーランドの本島からはすっかり絶滅したのである。
- 1989
- 「カカポ回復計画(Kakapo Recovery Plan):1989-94」の開始と実行−
絶滅の危機にあるニュージーランドの動物のための最初の計画である。
- 回復計画の実行を監督するためにカカポ回復隊(Kakapo Recovery Group)を
設立−ニュージーランド初の絶滅危機種回復隊である。この計画と回復隊は、ニュ
ージーランドでの絶滅危機種回復に新しい(今や広く受け入れられている)概念を
もたらした。
- 大きなスポンサーの付くことが正式に決まった。コマルコ社(ニュージーラン
ド)が回復計画期間中(5年間)カカポ回復計画を支援することを引き受けてくれ
た。−絶滅の危機にあるニュージーランドの種に関わった最初の大スポンサーであ
る。
- 7年前に移住させて以来リトル・バリア島では繁殖が生じていないという事実
から、さらなる介入が必要であるという決議がされた。繁殖を促そうと、リトル・
バリア島の何羽かのメスに対して補助的な給餌が始まった。
- 1989-92
- リトル・バリア島の5羽にまで広げた、試験的な補助給餌計画が、実際にかつ
効果的に、生殖を促すだけでなく、繁殖行動の頻度も増加させることが分かった。
5羽の補助給餌のメスのうち4羽が抱卵し−うち2羽がこの期間中に成功−1991
年には2羽のヒナが育った。この単純かつ重要な実験の結果、(i)移住カカポは
首尾良く繁殖可能であること、(ii)支援すれば、リトル・バリア島ではうまく育雛
できること、(iii)十分な栄養物を与えれば、カカポは12ヶ月間隔で産卵可能である
ことが分かった。
- 1992
- 1975年にフィヨルドランドからモード島に移し、その後1982年にモード島から
リトル・バリア島に移した雄カカポ「リチャード・ヘンリー(Richard Henry)」が
リトル・バリア島で良好に生きていることを発見。彼は、存在が確認された唯一
の南島出身の個体であり、彼の遺伝的な役割は大きいと思われるので、彼をこの
管理計画に組み入れようと努力が払われているである。
- ついに5羽の(補助給餌していない)コッドフィッシュ島のメスが繁殖状態に
なり、4羽がヒナを孵化させていることが分かっている。しかしながら、自然食群では
すべてのヒナが餓死して失敗に終わった(3羽のヒナは救出して人工飼育し、うち
1羽が生き残ったことを除いては)。この時までコッドフィッシュ島で採用されて
いた「非給餌」策は、不適当であることが分かった。また、次のことも立証された。
- 巣(育成を含む)での監視と直接介入が実利的であること、
- (弱った)ヒナの長距離輸送が可能であること、
- 人工飼育が可能であること(コッドフィッシュ島の巣から救出された3羽の
深刻なほど体重不足のヒナのうちの1羽は、オークランド動物園(Auckland Zoo)
の職員によって約5週目から人工飼育に成功した−飼育された最初のカカポ)、
- (1部人工飼育された)カカポは、飼育して維持できること。
- 1993
- リトル・バリア島の非給餌のメス1羽が無精卵を抱卵した。これは、カカポが
1982年この島に移されて以来、非給餌のメスで知られている唯一の繁殖行動である。
- 1992年のコッドフィッシュ島で起こったカカポ繁殖期の天災の結果、繁殖メスを
管理・支援もしない、巣を保護しもしないという方針も原因であることは明確だが、
試験的な補助給餌計画を1992/3年度末に拡張して、実行できる限りコッドフィッシュ
島のすべてのメスをそれに含めようとしている。(この給餌方針は、リトル・バリア
島では1989年以来採用されており(4−5羽のメス)、モード島では1991年に
(2羽の)メスを配置して以来採用されている)。かくして、現在全地域で13羽の
メス(生存が確認されているうちの80%)がこの管理計画下にあり、残っている
メスをこの計画に組み入れることに高い優先度を与えてきたのである。
Don Merton
Senior Technical Officer
Kakapo Management Group
Department of Conservation
PO Box 10 420
WELLINGTON, NZ.
目下この文書は定期的に編集・更新しております。今後の進展を期待していて下
さいね!
提案や批評を歓迎します。Copyright © 1994-1998 R.Bateman and others.
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