水落遺跡

 

「水落遺跡」は、平たくいうと当時の時計塔の遺跡です。

当時というのは天智朝。天智天皇は皇太子時代(660)に漏刻(水時計)を作っています。漏刻は水を吸い上げ落ちて溜まっていく、その溜まり具合で時を知らせる仕組みのもの。こちらについては、大津にある近江神宮内時計博物館に復元模型があります。

で、水落遺跡にあった建物では、1階に漏刻があり、2階には鐘があり、時がきたらそれを鳴らして一帯に時を告げました。

それがなぜすごいことかといえば、「時間」をお天道様でもお月様でもなく、朝廷が仕切ろうとしているから。日の出日没や四季と無関係な絶対的な時間を、朝廷が作ったのです。京域ではこの時間が通用したでしょうから、朝廷は時間を支配したというわけです。さすが中大兄、でしょ。

#ちなみに江戸時代までは、日の出〜日没の間を区切って時間としていたので、○の刻というときのその時間は、季節によって違っていたのです。

これが”水落”の部分です。

水落の横に復元されていた建物の基礎部分。時計のための建物とはいえ、けっこう広いです。

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