伝承板蓋宮跡

 

「伝承板蓋宮(いたぶきのみや)」は斉明天皇の宮とされていたところです。このころは(孝徳朝を除くと)宮は飛鳥にあり、

と変遷しています。#斉明朝後期は、対唐・新羅戦争を控え、北九州の朝倉宮へ遷都。

板蓋宮の名前の由来は板で屋根を葺いたから。つまりこのころ、屋根がわらでなくて板なのは特筆すべきことだったのでしょう。後岡本宮の時代あたりから、瓦が使われるようになります(でも後岡本宮は瓦葺きにできなかったんじゃないかな…今度きちっと調べます)。

ところでどうして「伝承」なのでしょうか。じつは別の宮?という可能性があったからで、発掘の結果、いまでは天武朝の飛鳥浄御原宮だと考えられています。でも、板蓋宮もその下に眠っている可能性はあります。今後の調査が待たれます。

 

井戸のあとらしいです。

上とは少し離れたところにあった史跡。やはり板蓋宮跡です。というのは、もともと広い範囲(宮ですから)に広がっているのが、ところどころ顔を出す、という感じで発掘・保存されているのです。

 


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