「空海」創作ノート1

2004年9月

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09/01
「空海」の創作ノートということで、この日記をスタートする。しかし「空海」を書くのは少し先である。いつから書くかということもまだ決まっていない。しかしいずれ「空海」を書きたいという思いはある。今年出した『桓武天皇』の最後に空海を登場させたのは、その伏線である。『天翔ける女帝』の最後に桓武天皇が出てきたように、歴史というものは連続しているので、わたしの作品もまた長大な作品の部分にすぎない。それで、次は「空海」だということは決まっているのだが、いつ書くかということは、もう少し考える。とりあえず、8月末に完成予定のキリスト教に関する書き下ろし新書がまだ出来上がっていないので、これを終わらせないといけない。
孫がスペインに帰って数日、ようやく気分的に落ち着いた。当日、翌日くらいは、胸の奥が痛んだが、いまはそういうこともなくなった。忙しいのが何よりである。集中して原稿を書かねばならぬところだが、NPOの広報部長より連絡が入り、今月末に予定している著作権に関するセミナーの打ち合わせをやりたいというので、協賛をしてくれる出版社の協会に出向く。まあ、頑張ろう、というような話である。孫が来ていた間は、公用をまったく入れていなかったので、電車に乗るのは久しぶりだ。駅までの道も何だか変わったようだ。

09/02
「犬との別れ」のゲラ届く。担当編集者と三宿で飲む。

09/03
『週刊朝日』の取材。これは『団塊老人』がらみ。本の宣伝になるし、質問に応じて答えているうちに新たなアイデアが出ることもあるので、可能な限り誠実に答えたつもりだ。今月末くらいに出る号に載るとのこと。

09/04
『キリストの謎(仮題)』草稿完了。「犬との別れ」を終えてから本格的に書き始めたので、約3週間で書いた。その間、次男の結婚式があったし、孫とディズニーランドにもいった。とにかくずっと孫と遊んでいたのだから、いつ仕事をしていたのだという気がするが、夜中にしっかり働いていたのだろう。飲みにいくことがなかったせいもある。よくがんばった。すぐにプリントして読み始めたが、出だしのところはよくできている。明日一日で直しを入れて入力もしないといけない。

09/05
プリントをチェックを終えて、入力も済ませ、すべて完成。大きな直しはなく、プリントに書き込めずに別紙に書き込んだ箇所は一つだけ。入力が楽だった。だが、読むのに丸一日かかったので、結局、すべての作業を終えると明け方になっていた。プリントしたものをポストに投函する。ワープロの文書はメールに添付した。一ヶ月かからなかったので、手応えはあまりない。すぐに「犬」のゲラに取り組まないといけないので、完成したという喜びもとくにない。少しハードだった。孫の相手をしていたせいだ。

09/06
自宅にて衛星ラジオの取材。衛星ラジオというのが何なのかよくわからないが、そういうものがあるらしい。『キリスト』が完成した直後なので、今日くらいはのんびりしたいが、「犬との別れ」のゲラが手元にあるので、見ないわけにはいかない。出だしは面白い。書いた感触からすると、途中で少しだれるところがあるのではと心配だが、要するに犬の出てこないところがあるのが問題である。しかしもうゲラになっているのだから、大幅に書き直すことはできない。草稿の段階でかなり修正はしたので、それがうまくいっているか確認するだけのことで、うまくいっていれば嬉しいし、うまくいってなければ、やや落ち込むだろう。というわけで、ゲラを読むのは、少し気が重い。ドキドキする。今日は一章だけにとどめておきたい。

09/07
前半部は何度もワープロの段階で読み返しているので、大きな直しはまったくない。自分の過去を語ったり、文学について語ったりしているところは、ややかったるいことは確かだが、全部が犬の話でもダレてしまう。犬の飼い主がどういう人物か知ってもらうためにも、こういう情報は必要だろう。ということで、とくに直すべきところもない。後半は、書き終えてからあまり時間がたっていないので、距離をもって読めるか。いずれにしても、あと2日くらいが勝負だ。

09/08
久しぶりに午前中の会議。契約流通委員会。文部科学省。この種の会議は、外の会議場を借りることも多いし、いま文部科学省が借りているビルの隣の三菱ビルの地下の会議室を使うこともある。本日は文部科学省の内部で、ここへ行くためには、守衛さんの前を通らないといけない。すると身分証明書が必要である。ふだんは文藝家協会の会員証で通るのだが、今年は某大学の非常勤講師の身分証をもっていて、これは写真の入った立派なものなのでこちらを使う。早稲田で非常勤講師をやっていた時は、こんな立派な身分証はくれなかった。「犬」のゲラ。半分終わる。

09/09
ひたすら「犬」のゲラを見る。完了。この仕事は書くのに時間がかかった。ようやく終わった。自分にとって大切な作品になった。

09/10
一日に3つ仕事があると頭が混乱する。まず飯田橋の私学財団で講演。著作権について教育関係者に説明する。いつも同じことをしゃべっているので講演そのものは慣れたものだが、時間内にきっちり終わらせるためには頭の回転が必要である。それから九段下まで歩いて祥伝社の担当者と打ち合わせ。今週の頭に送った原稿に小見出しがついている。ゲラは来週出るとのこと。それまでに小見出しと内容が合っているかをチェック。こちらからは地図、系図、図版などを渡す。基本的にすべて編集者に任せる。自宅に帰って、中村くんが来るのを待つ。「犬との別れ」のゲラを渡す。三宿で飲む。

09/11
妻と梅ヶ丘まで散歩。羽根木公園。三宿に引っ越して18年になるが、この公園に来たのは初めて。のんびりと散歩。駅前でビール一杯。帰りはバス。

09/12
日曜日。短い雑文が3件、締切が迫っているので片づける。短いものなのに手間取った。少し疲れているか。エッセーを書くコツを忘れてしまった。さて、「空海」のことを書かないといけない。これから物理学の本を一つ書くので、まだスタートできないが、実際に書き始める時には、構想が完成していないといけない。とりあえず、少年時代のイメージを確立する必要がある。
リアリズムだけでは「空海」は書けないと思っている。菅原道真の時もそう思った。しかし主人公は空は飛ばない。空を飛ぶのはまずいと思う。とりあえず、父と母がいる。人間である。人間ではあるが、ただの日本人ではない。父の佐伯氏は、蝦夷人の子孫である。母方の阿刀氏は、和迩(ワニ)の子孫である。ワニというのが何かわからないが、サメまたはリュウに象徴される海人である。神武天皇は母がワニ、父の母もワニであったから、75パーセントがワニであった。桓武天皇は25パーセントが百済人であるから、それよりも外人系である。
海洋民族であったことは間違いない。倭寇と呼ばれた海賊かもしれない。韓国系ではなく、沖縄系、ということは縄文系かもしれないが、それなら蝦夷人に近いかもしれない。だとすれば、蝦夷人系の佐伯氏と、沖縄系の阿刀氏が、何代にもわたって婚姻関係を続けてきたのも、当然かもしれない。とにかく、ふつうの日本人ではないというところにポイントがある。
桓武天皇の母方の土師氏が、出雲系で、土葬に関わるうちに歴史を編纂するようになり、文字を記録することから、漢籍にも詳しくなるという経緯があるが、阿刀も自分たちの歴史を守るうちに、漢籍にも詳しくなったのだろう。やがて桓武天皇に重用されるようになる。このあたりから、『桓武天皇』の最後の部分につながっていくことになるだろう。
突然だが、『薬子』を書きたいと思っている。薬子の乱を書きながら、同時に藤原北家の興隆の萌芽をとらえて、のちの歴史につなげたい。『空海』だけだと、そこで歴史が完結してしまう。

09/13
実践倫理宏正会の取材。明日はPL教団の取材がある。「団塊老人」の反響が少しずつ返ってくる。取材で本を紹介していただけるのはありがたいが、著作権関連の仕事もあるので、スケジュールが満杯になっていく。

09/14
新書のタイトルは「ユダの謎、キリストの謎」に決まる。このタイトルに合わせて前書きを書いてメールで送る。これで作業はほぼ終わった。「空海」の資料を読みながら、「物理学」も少し書く。

09/15
「物理学」の担当者来訪。というか、人事異動で担当できなくなったという報告で、引継の必要はあるのだが、とりあえず執筆は続けることにする。こちらが出した企画なので、このまま押し切りたい。

09/16
文藝家協会理事会のあと、JVCのコンサートにいく。日本ビクターではない。難民救済のボランティアセンターで、チャリティーのコンサートだ。弦楽カルテットにチェンバロ、これにカウンターテナーが加わる。会場のルーテル教会にぴったりの演目だった。この難民救済のボランティアは、わが妻がかかわっていて、ずっと以前だが、メサイアのコーラスに加わったこともある。じつは今年も練習をやっているのだが、忙しくて参加できない。日曜が全部つぶれてしまうと仕事ができない。ということは、昔参加した時は、ヒマだったのか。指揮者として来日したショスタコビッチ(もちろんジュニア)の運転手をして寿司屋につれていったこともあるし、ソロのアルト歌手が自宅にホームステイしていたこともある。このコンサートには以前、わが長男が一人でコンサートをしたこともある。いろいろと世話になっている。

09/17
キーストーンメディアの担当者来訪。「高齢者雇用フェスタ2004」という催しの中で、シンポジウムに参加する。10月4日(月)午後3時から、東京ドームプリズムホールにて。その一部が10月30日(土)23時30分から教育テレビで放送されるらしい。
「ユダの謎、キリストの謎」のゲラ届く。連休中に見ないといけない。

09/18
今週は毎日、何か用があって落ち着かなかった。ようやく土曜日になって、今日は何もないかと思っていたら、妻が姉と次男夫婦を招待して宴会になった。これは楽しい会だが、その後、ゲラを見るのは集中力を要する。しかし人生とはこういうものだ。次男の嫁さんは文化的な人で、文化性に欠ける次男とは全然違う。そもそも次男一人だと、実家に寄りつきもしないのだが、奥さんができると誘えば来てくれるので、ありがたいことである。

09/19
「ユダの謎、キリストの謎」ゲラ完了。大きな問題はない。つながりのよくないところを少し修正した程度。枚数の制限のある新書サイズだが、コンパクトにまとまっている。限られたサイズで何かを伝えようとすると、圧縮する必要があり、最初から順番に説いていくということができず、何をどういう順番で語っていくかが難しいが、読み返してみて、うまくいっていると思った。

09/20
このところ仕事が忙しくて、毎日用があった。この三連休もゲラがあった。ようやく本日だけ、休みという感じなので、のんびりとしている。話はかわるけれども、うち家でも地上波デジタルが映るようになった。いままではNHK総合しか映らなかった。今回は民放も見えるようになったが、3チャンネルが2に、10が5に、12が7になっている。こういう微妙な変化が老人にはつらい。

09/21
NHKラジオの収録。10分のトークを4本。合計40分だと軽く引き受けたが、エンディングに向けて話をまとめないといけないので、講演4回ぶっ続けにやったみたいに疲れた。タクシー券をもらったのでタクシーで飯田橋へ(ふだんはタクシーに乗らない。運転手と二人きりになるのがいやだから。二人きり恐怖症)。少し早く着いたので、駅前のカフェバーで生ビール一杯飲む。元気になる。教育NPOとの打ち合わせ。このプロジェクトはスタートすることに意義がある。実験段階なので、細かいことにこだわらずに、実現に向けて話し合いを続けたい。

09/22
取材一件。「団塊老人」を出してからこの種の取材が増えた。インタビューを受けていると、何かの拍子に新しいアイデアが出てきて、もう一冊、本が書けそうな気がしてくる。が、これからは『空海』を書かないといけない。しだいに頭の中が「空海」の方向に向きつつあるが、当面はガリレオ・ガリレイのことを考えている。これから十人の物理学者の生涯をまとめて本にするために、物理の原理について究めないといけない。まずは落下の法則である。

09/23
今日は少し涼しくなった。三宿神社でお祭りをやっていて、御神輿のかけ声が聞こえてくる。三軒茶屋方面は人でいっぱいだと思い、下北沢まで散歩。今日が祭日だということを忘れていた。下北沢の休日は、いつでもお祭りみたいな人込みである。
「大発見(仮題)」の序章と一章ができたので、担当編集者に送る。何しろ物理学の話なので、少し難しいかもしれない。中学生でもわかる、というくらいのレベルを目指しているのだが、いまの中学生はレベルが低くなっているのかもしれない。どうしても、自分が中学生だった頃、というのを考えてしまう。当時の中学生は円錐曲線も不活性気体も理解していたと思うのだが。

09/24
本日は公用はなし。「大発見」の担当編集者から、一章については面白いという評価が来たので、このまま先に進むことにする。次はパスカル。パスカルは人生の大半を神学と哲学にあてていた人で、そこが面白い。天気予報で台風が来る度に名前を呼ばれる(気圧の単位)ので、有名でもある。「空海」についても考えているが、同時代の「薬子」のことも気にかかっている。平安時代を全部書きたいという希望というか、プランに沿って、一定のスピードで前進していきたい。

09/25
土曜日。近くのタンタン麺の店に行った以外は散歩にも出ず。パスカルについて考えている。パスカルは偉大だ。16歳で円錐曲線に関するパスカルの定理を発見した。19歳で歯車式計算機を発明した。そして35歳の時、一夜の歯痛をいやすためにサイクロイド曲線の解析をして積分の原理を発見した。39歳で死んだ。その生涯の大部分を、神について考えていた。数学も物理学も片手間だった。どうしてこんな人物がいるのだろう。でも、自分はパスカルより幸福だと思う。孫がいるもの。

09/26
日曜日。何ごともなし。短い原稿2つ。あとはパスカル。もうすぐ終わる。空海についても考える。そろそろ出だしの部分を書かないといけない。少年時代は重要である。なぜ空海は空海になったのか。まず幼児体験があるはずである。それから都に出て儒教を学ぶ。ここでは伊予親王との親交があるはずである。それからなぜ仏教に傾くことになるのか。そして室戸などでの修行で、第1の悟りのようなものがあるはずである。このあたりを全部押さえて、ここまでで7割くらいの分量にしたい。そこから先は、ややアラスジだけの展開になるだろう。基本的に、青春小説を書くというのがわたしのスタンスだから、大人になってからの空海を書いても仕方がない。最初は、母親を書く。このファーストショットが重要だ。やや神秘的に書くべきだろう。母親の先祖は、どうもワニ族らしい。海の民である。父方は蝦夷であるから、両方とも、正統的な和人ではない。そこがポイントだ。

09/27
日本点字図書館の本間賞の選考。今回が第1回。選考は全員一致で、短い時間で決まった。

09/28
NPO日本文藝著作権センター主催の講演会。無事終わる。その後、日本図書教材協会とと打ち合わせ。さらにNPOの広報部長と新宿で飲む。

09/29
文藝家協会で打ち合わせ。打ち合わせしなければならない項目があまりに多いので、頭がこんがらかってしまう。パスカル、最後の「考える葦」についての考察。次を誰にするかまだ決めていない。

09/30
自宅で『テーミス』の取材。著作権問題について。民間業者寄りに洗脳された取材者だったので、こちらが義のために尽くしていることを誠意をもって説明した。ある部分は伝わったと思うが、雑誌によってはコネやリークで企画が立てられることもあるし、新聞の報道でも偏ったものがあるので、マスコミの報道に公正さは期待できない。しかし取材なしで書かれるよりは、可能な限り実情を説明したいと思う。「三田誠広が文部科学省寄りである」という発言があったので、これまでのお役所との闘いを少し話したが、こういうものは何時間あっても説明できない。
パスカルの項目が終わって次はガルバーニ。誰も知らないだろう。その次はキャベンディッシュ。こういう人の偉大な人生を、若者に伝えることが、科学技術の発展の基礎となる。わたしは小説家だが、義のために生きているので、余計なことかもしれないが、日本の若者の「理科離れ」をくいとめたいと思う。いま書いている本はそのために文庫書き下ろしにする。


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