谷中城

概説 文献資料がないので明らかでないが、城主については土豪谷中氏であったと考えられる。戦国時代、笠間氏と益子氏が争ったが(『関東古銭録』)、そのとき谷中城の南方橋本城に拠った笠間方の谷中玄蕃の出自は、谷中村(岩瀬町大字上城)の土豪で、谷中城がその本貫であったと思われる。そのほか、雑本に谷中淡路守、谷中親兵衛等の名がみられるが、これらも谷中の土豪であったろう。
 南麓に降りると土塁や空堀を囲らせた居館跡が残っている。諏訪神社は城の南西側裏鬼門にあたる。[『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』より]
南側の橋本城麓から
その他の写真
  1. 主郭南側の堀
  2. 麓にある館跡のコの字型土塁
訪問記[2003/05/05]谷中山の南東側に登り口の標柱がある。登り口右手の民家の裏山にはコの字型の「居館跡」の土塁が残る。あまり戦闘用には見えないが猪除けにはなるだろう。山道を登っていくと段状になった平坦部がいくつか見られる。登り道が通過する段の左右には低くなってはいるが土塁がありここには関門があったのかもしれない。道が二手に分かれるところで左へ進むと諏訪神社方向へ行ける。諏訪神社の裏から藪を突っ切っても主郭部へ到達できるが、右の道を行くことにした。道なりに行けば主郭へ到達すると思っていたがはっきりした道が無くなったので適当なところから急坂を上ったところ、主郭南側下の堀へ出た。郭内は南と北に小高くなった部分があり北側には「牙城」という地名があるようだ。
所在地西茨城郡岩瀬町上城字北前田553。岩瀬町運動公園のすぐ東側にそびえる谷中山頂上。
参考書『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』